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今の若い人達にとって、津軽海峡冬景色のあの歌の状況って、頭の中に浮かんでないんじゃないでしょうかねぇ。だって・・・
「上野発の夜行列車降りたときから~」
・・・って言われても、上野発の夜行列車はもうあとわずかですし、
「私は一人~、連絡船に乗り~」
・・・って言われても、連絡船がありませんからねぇ。なので、若い方にもなるべくわかりやすく解説すると・・・
連絡船というのは、北海道-本州とか、本州-四国みたいに、列車を通そうにもあんまりにも距離がありすぎで、橋を架けることも、トンネルを掘ることもできないところを、列車で結ぶための船なんです。なので、船なのですが扱い上は列車みたいなもので、JR(ではなく、当時の国鉄)が運航していたんです。
その昔、青森-函館を結ぶ、青函連絡船ってのがあったんです。で、当時はと言うと(注:まだ東北新幹線はありません)、東京から北海道に行くには、まず夜行列車で青森へ行って、青森で青函連絡船に乗り換えて、函館から北海道内の目的地へ行く・・・というのが普通だったんです。
ところが、時代が進んで東北新幹線ができ、青函トンネルができた結果、青函連絡船が廃止になってしまったんです。つまり、列車で直接本州と北海道を結ぶことができるようになったため、わざわざ連絡船で結ぶ必要がなくなったという訳です。
さて、青森駅はJRのターミナル駅では珍しく、正しい意味でのターミナル、つまり行き止まりになっているんです。なぜかというと、ここから先は青函連絡船に乗り換え・・・なので、行き止まりなんです。
かつて青森駅に青函連絡船が止まって、お客さんの乗り降りをしていたであろう場所に、もう役目を終えた青函連絡船がありました。八甲田丸です。正しく言うと、青函連絡船の船そのものはもっとたくさんあったのですが、そのうちの1隻が青森駅にあるっていう訳ですね。
すぐそばでお父さんが子供に言ってました。
「あの船に乗るとねぇ、イスカンダルに連れてってくれるんだよぉ」
↑ウソを教えてはいけません
青函連絡船としての役割を終えた八甲田丸は、そのまま記念館になっていました。中に入ってみようかと思ったのですが、お金がかかるってことで断念しました。
かつては青函連絡船以外にも、宇高連絡船って言って本州-四国を結ぶ連絡船もありました。じゃあ、連絡船って、普通の船とどこが違うのかというと・・・
決定的な違いが、この写真です。青森駅から延びた線路が、船の後ろへつながってますよね。なんと、列車をそのまま積むことができるんです。
そもそも連絡船というのは、鉄道を結ぶことができないところを、鉄道の代わりに結ぶための船なんです。カーフェリーが自動車をそのまま乗せることができるのと同様、連絡船は列車を乗せることができるんです。
列車と言っても、連絡船で運ぶのは、通常貨物列車です。貨車を船でそのまんま運んでしまえば、貨車から船まで、わざわざ荷物を積み変えなくても済むという訳ですね。
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