My Revolution


 今日もまた、50分授業が長く感じる。水曜日は、これだから嫌だ。1時間目が基礎解析、2時間目が化学、3・4時間目が体育で、5時間目が国語2で、6時間目が英語2C。1・2時間目で散々頭を酷使させられた後、暑いのに外で走りまわされて、昼飯食ったあとの一番眠い時間に国語。こんなにハードな一日もあったもんだ。

 窓際へと視線を持っていく。奈々美が、グラウンドをぼんやりと眺めている。奈々美は、すごくおとなしい子でクラブに入っている様子もなく、そのくせ授業が終わるとさっさと帰るから、喋り相手と言えば私ぐらいのものだろうか。ま、二人に共通していることは、少なくとも一つ。それは、先生の説明など耳の中から入っていっても、頭の中を通過するだけだったと言うこと。ただし、授業終了のベルだけは、通過せずにちゃんと理解できた。

「奈々美、いつもぼんやりとしているけど、一体頭の中で何を考えてるの?」

 奈々美は、ちょっとだけためらう風を見せた。それはちょうど恋するセーラー服の少女(と言っても、奈々美もセーラー服の少女なのだけど)が、ややふくらみかけた胸に手を添えて、目を閉じてうつろになっていく風を、一瞬のうちにやってのけたようにも見えた。

「教えて欲しい?」

 背の低い奈々美は、下から見上げてこう言った。私は、ちょっとだけどきっとしながらも、ゆっくりと首を縦に振った。

「じゃあ、尚ちゃんにだけは教えてあげる。放課後、うちに遊びに来てよ。」

 そう言えば、奈々美と同じクラスになってからもう2ヶ月とちょっと。学校でよく喋ったりはするけど、奈々美の家に遊びに行った事はなかった。もっとも、私も遊びに行きたいと思った事はないし、私の家は学校から奈々美の家への通り道にあるから放課後に遊ぶとしても私の家で遊ぶのが暗黙の了解みたいになっていた。でも、何やら良からぬ匂いがしたのは気のせいかしら。

 放課後、私は自分の家を通り過ぎて、奈々美の家へと歩いて行った。私は徒歩通学で、奈々美は自転車通学だから、奈々美が自転車を押して歩く格好になった。自転車を二人乗りして行くという手もあるんだけど、うちの高校の校則で「自転車の二人乗りは禁止」なんて書いてあるからダメ。校則くらいくそ食らえと思うんだけど、この辺りでは先生も通学、いや通勤路に使っているから破るわけにも行かない。仕方がないから歩いて奈々美の家へ行くことにした。

「ねえ奈々美ぃ、そろそろ教えてよぉ。一体何があるの?」

 と聞いても、

「着いたらわかるって。」

 と答えが帰ってくるだけで、何も教えてくれなかった。

 こうやって、奈々美の家に着くまで私は散々お預けを食らった。玄関に案内されて、2階への階段を通されるまではなんの変哲もない普通の家だった。どうやら、家自体にからくりがあるというわけではないらしい。そして、2階の奧の方の、奈々美の部屋へと通じるらしき扉を開けて、私は目を見張った。ベッドが置いてあって、ピンク色のカーテンがかかってて、窓際に学習机が置いてあるまでは普通の女子高校生の部屋だった。部屋にべたべたとはってあるマンガのポスターも、確かにすごかった。でも、私の視線が釘付けになったのは、何を隠そう部屋の真ん中においてあるこたつだった。と言っても、およそ夏が来そうだと言うのにこたつ布団がかかっているとかそういう問題じゃない。そのこたつの上には、マンガを描く道具が一式ずらりと並んでいるのだった。奈々美が座っていると思われる場所には、描きかけのマンガ用紙(これはケント紙と言うんだとか)が乗っかっていて、その回りには、ペンやら筆やら定規やら歯ブラシやら、その時私にはよくわからないけどフィルムみたいなの(これは、スクリーントーンと言うんだとか)が、所せましと並んでいるのだった。

「いい加減にこたつ布団片付けたいんだけど、こんだけ散らかってたらそうも行かなくて。それに、暇もないし。」

 そう。奈々美はいつも高校が終わるとさっさと家に帰って、寝る暇を惜しんではマンガを描いていたのだった。そう言えば、私の家で遊んでた次の日、奈々美は決まって目の下に隈を作っていた。きっと、夜を徹してマンガを描いていたのだろう。

「これ、見てもいいかな?」

 私は、こたつの上のケント紙を指差して、奈々美に聞いてみた。

「うーん、それまだ描きかけだから、こっちを見た方がいいと思うよ。」

 奈々美はそう言って、やたら大きな封筒から別のケント紙を取り出した。私はこういうマンガの原稿を見たのは初めてだったから、その大きさにびっくり。で、どう見ても素人が描いたようには見えないから、またびっくり。奈々美が描いているのは少女マンガで、憎たらしげな先生にいじめられる女の子のマンガだった。しかも、その先生と言うのがうちの高校の生徒指導部の本当に憎たらしい社会科の先生にそっくりなような気がした。

「尚ちゃん、良かったらそれあげるよ。」

 奈々美は、いとも簡単にこう言った。

「いいの、奈々美ぃ?」

 私は、疑うようにこう聞いた。無理もない。だって、奈々美が夜なべして描いた原稿を、こうも簡単にもらって帰ってもいいのか、戸惑わずにはいられなかったから。

「うん。それ没になった原稿だから。」

 奈々美は、またも簡単にこう言った。

「没!?」

 私は、あっけに取られた。もしかしてこれは、どっかの雑誌社に出した原稿と言うのだろうか。と言うことは、奈々美は本物のマンガ家と言うことなのだろうか。うちの高校は、当然アルバイトは禁止。ましてマンガ家だったと言うことが知れたら、下手をすると奈々美は退学だ。先生がマンガを読まないという保証はどこにもないから、いつまでも奈々美が謎のマンガ家しているわけに行くはずがない。なるほど、良からぬ匂いがしたわけだ。

「・・・と言っても、これだけどね。」

 奈々美は、マンガ本を1冊、書棚から取り出した。本屋さんに並んでいるものと比べて随分薄く、また小さかった。中身をぱらぱらとめくってみると、色々な作者のマンガが載っていた。と言うことは、単行本というわけでもないし、一体何かと聞いてみたら、同人誌なんだとか。つまり、本屋さんに並んでいるわけでもなく、原稿料をもらっているわけでもないからおとがめなしと言うわけなのだ。

「本当はね、中学を卒業したらマンガ家になりたかったの。でも、親に相談したらせめて高校ぐらいは行けって。だから、高校なんてどこでもよかったの。一応親を安心させたかったから、進学コースなんて行ってるけどね。でも、大学には行きたくないんだぁ。」

 奈々美は、目を輝かせながらこう言った。学校ではいつも死んだような目をしている奈々美とは、どう見ても同一人物には見えなかった。

「それじゃあ、あんまり先生を邪魔しちゃ悪いから。」

 と言って帰ってきた。帰り道、私の方がぼんやりと歩いていた。もうかれこれ夕日が沈もうかと言うころ。中学を卒業したら高校へ行って、大学へ行って、社会人になるって言う夢を、毎日砂場で遅くまで遊んでは怒られていた子供の頃に夢見ていたかと考えながら。ふと気がつくと公園の横を歩いていて、誰もいないぶらんこが揺れていた。