サマータイムブルース


「そう言えば、この浜辺でよく遊んでたな。」

 私は今、実家で手伝いに追われる毎日を過ごしている。私の実家と言うのが、とある田舎の海水浴場の近くにある民宿。夏のこの時期は猫の手も借りたいほどの忙しさで、ちょうど夏休みになる私も駆り出されていた。あったかいお布団が恋しいと言うのに朝早くから起こされて、朝食の準備・後片付けをしたら買い出しにがあるとかで軽トラックに載せられて、お客が出て行ったら部屋の掃除をして、今晩泊まるお客が来たら部屋の案内をして、夕食の準備・後片付けをしたら夜も遅くなっていたという感じ。確かに、お手伝いの合間をぬって海へ遊びに行ける特権はあるんだけど、こんな時期にしっかりと遊べる都会っ子がどれだけ羨ましいと思ってるか。

「今年は、正ちゃん帰って来ないみたいよ。」

 うちの母がこんな事を言ってた。正ちゃんと言うのは、正確には正道という名前の男の子だ。男の子と言っても、今年から都会の大学に通ってる1年生だ。丁度うちの民宿の裏あたりに実家があって、ちっさいときからよく一緒に遊んでた。もちろん、どこで遊んでいるかと言えば海。子供の頃は一緒に海で泳いでたし、夜になったら一緒に花火もした。他にも、水着に着替えてる時に覗かれた事もあった。覗かれるなんて可愛いもんじゃない。着替えてる部屋に堂々と入ってくるんだから。

「みっちゃんも胸大きくなったなぁ。お兄ちゃんどきっとするじゃない。段々女っぽくなっていくんだから。」

 だって。ちっちゃい子が着替えてるんじゃないんだから少しはわかってよと言いたいんだけど、およそちっちゃい子扱いされてた。もっとも、中学校へ行って高校生にもなると、さすがにそれはなくなった。

 正ちゃんも私も高校生だった頃、二人で都会へ遊びに行ったこともあった。もっとも、外泊なんて親の許しが出るわけがなかったし、お小遣いなんて雀の涙ほどしかなかったから、クーラーすらついてない普通列車でがったんごっとん揺られて、およそ着いたらすぐ帰って来ないといけないと言う、大人の目から見ればなんとも寂しい旅だった。でも、都会なんて行った事なかったから、私すっごく楽しみにしていた。その日、私は田舎娘に見えないよう、買ったばかりの一張羅の服をおろした。これだったら正ちゃんと一緒に歩いてても都会の彼・彼女に見えるだろうと張り切ってたら、正ちゃんにこんな事を言われた。

「みっちゃんったら随分色気づいちゃって。そんな格好で男の子と歩いてどうしようって言うんだい?」

 全く、一体誰の為にこんな格好をしていると思ってるんだか。複雑な乙女心を少しはわかってよと言いたいんだけど、正ちゃんにはおよそ馬の耳に念仏だよね、なんて言ったら、いや馬子にも衣装って言うじゃないって言われた。やっぱり正ちゃんは、複雑な乙女心がわかってないらしい。それでも、升みたいな形の普通列車の座席に二人並んで座って、正ちゃんとぴったりくっついたら本当に正ちゃんの彼女になった気分だった。正ちゃんが意識しているかどうかはわかんなかったけど、少なくとも私はそう思ってた。

 こんな事ばかり言ってると、およそ幼馴染の内緒の恋みたいに聞こえるけど、実はうちの親はちゃんと知っていた。それと言うのも、これだけ狭い田舎のこと。正ちゃんと私が一緒に遊んでたら、少なくとも近所の誰かは見ていた。しかも、一人が見たことと言うのは町全員が知っている世界だから、当然うちの親の耳にも入っていたし、正ちゃんの親の耳にも入っているはずだった。それはそれでむしろ親に白状する手間が省けて便利なんだけど、困るのは一人が見たことがいつの間にか作り話になって町全体に伝染していくことが往々にしてあった事。私も直接聞いた話じゃないから良くわかんないんだけど、正ちゃんと私があんまりにも一緒に遊んでるもんだから、町全体の認識として、この二人は付き合ってるということになってしまった。付き合ってるとは大袈裟なとは思うんだけど、いつも一緒に遊んでるのは事実だから、否定することもできなかった。もしこれが小学生時代の話だったら、街中のあちこちの壁という壁に正ちゃんと私の名前が書いた相合い傘が描かれているという物だった。これは、つまり敗北を意味する物でもあり、小学生でさえ穴があったら入りたいと思うぐらい恥ずかしい物でもあった。もっとも、私が下手に一人で歩いていると、

「みっちゃん今日は一人ぼっちで、正ちゃんと喧嘩でもしたの?」

 と、町の大人は気を使ってくれたりした。一度本当に喧嘩して、もう顔も見たくないって絶交してたんだけど、その時も私の親や正ちゃんの親が仲を取り持ってくれたりした。こう言う、男女交際に協力的な親達と言うのも、今時めずらしいと思った。もっとも、お互い顔をよく知ってる者同士だからこそ、これだけ協力的になれるのかもしれないけど。

 ま、いくら周りが協力的だからとは言っても、正ちゃんと私だけの公然の秘密はやっぱりあった。あれは私が高校2年の盆踊りの日のことだった。この辺りで大人の娯楽と言えば、盆踊りか花火大会ぐらいしかなかった。この頃になると、さすがの正ちゃんも私の中の女性を意識するのか、それとも本当に忙しいのか、家の手伝いの合間をぬって、正ちゃんの家に遊びに行っても「後で」と言って取り合ってくれなかった。これを一番気にしたのが私の父で、盆踊りの前の晩にこんな命令をされた。

「満子も最近正ちゃんと遊んでるところを見掛けないけど、喧嘩でもしたのか。明日小学校で盆踊りがあるから、正ちゃんと踊ってこい。これは命令だぞ。」

 この情報は正ちゃんの母にも流れたらしく、

「やれやれ、うちのお母さんもお節介なんだから。」

 と、ぼやいてた。こうして、正ちゃんと私は嫌でもずっと盆踊りを踊る羽目になった。とは言え、ずっと踊ってたらやっぱり疲れるから、みんなに見つからないようにグラウンドの隅でこっそりと休憩してた。

「最近、本当に遊んでくれないけど、どうしたの? 忙しいの? それとも私のことが嫌いになったの?」

 正ちゃんと私、花壇に腰掛けてこんなことを話した。この花壇と言うのが丁度校舎の旧館と新館の丁度間にあって、グラウンドからは直接見えないようになっていた。

「笑わないでよ。」

 正ちゃんは、こう前置きを置いてこう言った。

「最近思うんだよ。みっちゃん、可愛くなったなって。可愛くなったって言うか・・・女になったなって。だから、こうやってみっちゃんと一緒にいたら、胸が張り裂けそうになって、それで・・・。」

「それってもしかして、私のこと好きってこと?」

 私は、妙にはっきりとした声で、こう言った。

「・・・なのかなぁ。やっぱり。」

 正ちゃんと私の間に、しばし沈黙が流れた。

「ねえ正ちゃん覚えてる? 私小学校へ行ってた頃、よく正ちゃん突入して来たよね?」

 突入と言うのは、至って簡単。小学生の頃に男の子の間ではやった遊びで、女の子が着替えてる教室に「突入!」と叫んで急に突入してくるという物だ。これがもし、ほとんど素っ裸のパンツ一丁なんて状態だったら女の子は敗北を意味した物だ。だから、女の子はいかにして突入を阻止するか、もし突入されてもいかにして見られたくない物を見られないで済ませるかが女の子の知恵の見せ所だった。こんな話をすると、もう正ちゃんの顔は真っ赤になっていた。

「ねえ正ちゃん、あの時ってやっぱり見たかったの?」

「いや・・・見たかったって言うのもやっぱりあったけど・・・女の子がキャーって悲鳴上げて、逃げ回ってるのを追っかけてる方が面白かったかな?」

 グラウンドでは盆踊りがクライマックスを見せていて、大きな太鼓の音やら、容赦なくボリュームを上げた民謡が聞こえて来た。

「みっちゃんの浴衣姿、久しぶりだね。」

「ああ、これ。」

 私はすっくと立って、背中の帯に差したうちわを右手に持ってみた。そして、張り切った声でこう言った。

「これねぇ、お母さんに着せてもらったの。今日は盆踊りだからって。」

「みっちゃんの浴衣姿って、似合うね・・・。」

 そしてまた、しばしの沈黙が流れた。

「ねえ正ちゃん、見たい?」

「え?」

「あれだけ突入して来たんだから、やっぱり見たいんでしょ?」

 正ちゃんは何も言わず、こっくりとうなずいた。そして、さり気なく私の肩を抱いてキスをした。あれだけやかましかったはずの太鼓の音。いつの間にか聞こえなくなっていた。

 それ以来、正ちゃんはやっと私をまともな女扱いしてくれた。でも、時すでに遅しと言うか、正ちゃんはこの春に都会の大学へ行ってしまった。今度の夏には帰って来るってあれだけ言ってたし、結局帰って来なかった。私は待ち遠しくて、駅員もいない小さなホームでじっと待ってたこともあった。ひょっとすると、都会で本当の彼女ができて、今頃どこかへ遊びに行ってるのかもしれない。それを知ってるのか知らないのか、私の親も、正ちゃんの親も、いつしか正ちゃんと私の間柄には触れないようになっていた。言わば、私だけが取り残された格好だ。でも、私は来年正ちゃんと同じ大学を受けようと思ってる。複雑な乙女心をわかってない正ちゃんには、少なくとも監視役は要るんだから。