シンシアリー


 いつも9時になったら消灯。電気を消されたら冷たいコンクリートの中に閉じ込められているような錯覚に陥る。所々に非常口を示すランプがついているだけの廊下。お手洗いに起きるだけでも、無性に恐い。

「きっとここから出る事もないかも・・・。」

 夜中に目が覚めたら、私はそうつぶやいていた。

 この病室に来てから、もう半年になる。急に貧血で倒れて、この病院にに担ぎ込まれてから、即入院を言い渡された。それが、高校の卒業式の3日前だった。クラスのみんなには、卒業式の日に担任の先生の口から知らされたらしい。母の話だと、式の次の日からぽつりぽつりとお見舞いに来てくれたそうだ。卒業も決まって、短大も決まってたのにと、みんな残念そうに言う。でも、本当に残念で仕方がなかったのは、何を隠そうこの私だった。何しろ、人生で一番楽しい時期だと言うのに、下界から隔離されて、ベッドの上で寝かされてるんだから。病室の窓からさくらの花が満開に咲くのを眺めながら、本当だったらこのさくらの下で新しい学園生活が待っていたんだなと思うと泣きたくなった。そんな私を気遣ってるのか、ここにお見舞いに来てくれる人は絶対に明るい顔をしてた。それが仮に作り物であったとしても、悲しそうな顔だけは絶対にしなかった。

 泣きたくなったのは、武志だって同じかもしれない。武志は、私が高校時代に生徒会の仕事で一緒だった。本当だったら、私は今頃また武志とおんなじ学園に通っていたはずだった。もっとも、武志は四年制大学で私は短大だから、同じ敷地内でも別の校舎で授業をやってたはずだった。受験生してた頃、大学ってどんなところか聞かされていた。話によると、大学と言うのは基本的に自分で好きな科目を取って、自分で自分の時間割を作れるしくみになっているらしい。更に、一般教養の講義では、四年制大学と短大が合同で同じ講義を受けるしくみになっているらしく、うまく行けば一緒に同じ講義を受けられるかもしれないねって言う話をしてた。それが、私が突然入院したものだから、その予定はがらりと変わってしまった。その代わり、講義をサボってはこの病院に見舞いに来てくれた。こんな時間に大丈夫と聞いたら、代返頼んであるから平気なんて笑ってた。親も武志の顔は知ってるから、鉢合わせになったらどうすると気を使う心配もなかった。それどころか、これ武志君が来たら出してあげてと、缶ジュースを1本余分に買ってくるぐらいだった。

 入院してから1週間ぐらいは、色々と検査があってゆっくりと寝ていられなかった。それが、しばらくして検査の数も減ってきて、ここ数ヶ月はほとんど一日中ベッドの上で横になっているのが仕事みたいな物だった。入院してたら暇だろうと、妹は良くマンガを買ってきてくれた。母はいつも着替えを持ってきてくれたし、武志はいつも話し相手になってくれた。でも、私の身体のことだけは、誰も触れようとしなかった。実は私、即入院が決まった時点で普通の貧血じゃないとうすうす感付いてはいた。でも、なぜ入院させられているのかは教えてくれなかった。これまで、何度となく母には聞いてみた。でも、きっとゆっくり休んでたら癒るよと、相手にもしてもらえなかった。これはきっと、現代の医学ではどうすることもできない病気なんじゃないかと気付き始めていた。

 私は、思い切って武志に聞いてみることにした。うちの母のことだから、武志にも病名を話しているはずで、その上で私には内緒にしておいてという話になっているんじゃないかと想像がついた。今までのパターンからすると、ちょうど今日はバイトがあるから、夕方ぐらいに駆け込みで見舞いに来てくれるはずだった。そしたら、予想通りコンビニのビニール袋をぶら下げて、武志が遊びに来てくれた。私は、武志と話をしながら、例の話をする機会を窺っていた。暗い雰囲気になったら武志は帰っちゃうから、今日見てたテレビの話なんかをして、あくまでも明るくさり気なく聞いてみた。

「ねぇ武志君、聞いてもいい?」

 なあにとだけ答えた武志。私は、話を続けた。

「本当は私、知ってるんだぁ。私の病気、相当厄介なんでしょ? だって、ただの貧血だけでこんな6ヶ月も入院するわけないもん。それに、お母さんに聞いても病気のこと教えてくれないし。ねぇ、武志君なら知ってるでしょ? 私、何て病気なの? お母さんから口止めされてるんでしょ? ねぇ教えて。」

 武志の顔が、急に曇った。やっぱりこれは、不治の病に違いない。私は、そう確信した。

「実はね、富美絵ちゃんのお母さんから、お願いされてたんだ。富美絵ちゃんの前では絶対に言わないようにってね。だから、僕から聞いたって絶対に言わないって約束だよ。」

 ほら来た。こう言う前置きをするってことは、やっぱり厄介な病気なんだ。しかも、いつもあれだけふざけてばっかりの武志の、あの真剣な顔。間違いない。私はそう思った。

「いや、富美絵ちゃんの病気はね。実はね・・・。」

 武志は、ここで妙な間を取った。武志の顔には、お前はもうすぐ死ぬんだから覚悟をしておけと書いてあった。何しろ、ずっと生徒会の仕事で一緒だったと言うのに、こんな顔は見たことなかった。私は、ベッドから身を乗り出した。

「実は・・・よくわかんないんだ。」

 私は思わず、「なんだよそれーっ!」って叫んだ。叫びながら、ベッドの上でずっこけた。あーあ、真剣に聞いた私が馬鹿だった。手の施しようがない天下の奇病だったら天下の奇病だったで、素直にそう言えばいいじゃない。私は腰を丸くして、武志に背を向けて思いっきり笑ってた。丁度、テレビドラマの本番の撮影で、一番の見せ場で武志がNGを出した瞬間と同じ雰囲気が流れた。

「いや、だってね。病名は一応聞いたんだよ。聞いたんだけど、あんまり難しい病名だったから、忘れちゃったんだよ。」

 武志は、こう言い訳した。台詞を忘れた役者と、まんま一緒だった。

「もうっ、武志君の馬鹿っ! あたし本当に治んない病気だったらどうしようかって・・・あたし・・・。」

 私の笑い声は、泣き声に変わった。丁度どっきりカメラを仕掛けられて、実は作り物だと気付いた瞬間の女優さんと同じ心持ちに変わった。そんな私をなだめるかのように、武志はこう言った。

「いや、治んない病気じゃないんだよ。治るんだよ。ちょっとだけ手術しないといけないんだけどね。で、手術自体もすぐ終わるんだ。ただ、問題はその手術をしようと思ったら、ある条件があるんだ。」

 武志の顔は、また真剣な顔に戻っていた。もうだまされない。私は、そう思ってた。

「その条件と言うのがね。富美絵ちゃんと同じ型の骨髄が要るんだ。ま、ひょっとしたらって言って、僕も調べられたんだ。実はね。でもね。残念ながら、型が合わなかったんだ。何しろ、50万人に1人いるかいないかの確率だから、そう簡単に合わないんだよね。」

 どうやら、これは本当らしい。だって、武志の顔が真剣なままなんだもん。武志の話は、まだ続いた。

「要は、骨髄さえあれはすぐ治るんだけど、富美絵ちゃんと同じ型の骨髄が見つからないから、治せないんだよね。」

「じゃあ、武志君・・・。」

 私も、真剣な顔をしてこう聞いた。

「もし・・・もしもよ。私と同じ型の骨髄が見つかったら、元気になれるんだよね。でも、もし見つからなかったら、私どうなるの? やっぱり死んじゃうの?」

「それは・・・本当に僕にもわかんない。でもね、もし死んじゃうとしてもだよ。やっぱり元気になれると信じて頑張るしかないんじゃないかなぁ?」

 私は、黙って聞いているしかなかった。

「ま、こんな話はもうやめよう。それよりもさあ、秋までに元気になれたら、新しい学食行ってみようよ。こないだ学食建て替えるって言ってたじゃない。で、この秋にできるんだって。と言ってもプレハブの仮設だけどね。本物は・・・ああ、どうだろう。1年留年したら富美絵ちゃんもありつけるよ。まあ、この時点で留年確定だから、やっぱり本物にはありつけるな。・・・」

 もし仮に私の病気が末期状態で、明日死んでもおかしくない状態だったとしても、武志君それだけは言わなかったはず。私が悲しまないように、病気のことを教えてくれた武志君の気持ちだけでも、私は十分だった。

 その日以来、私は死ぬ夢を良く見るようになった。夢の中の私は、ちょうど冷たいコンクリートの地肌が見えるような建物にいて、周りは真っ暗で、ちょうど足元あたりに小さな灯がぽつりぽつりとあって、なんか廊下のようなところをパジャマ姿で歩いていた。壁には手すりがついていて、別にそうしないと歩けないわけじゃないんだけど、私はその手すりにつかまりながら歩いてて、歩いていたら周りがぼんやりとぼやけてきて、すうっと一瞬何も見えなくなった瞬間私は倒れていた。本当だったらここから先は何も見えないはずなんだけど、なぜか私は空中にふわりと浮かんでて、丁度倒れて動けなくなった私が見えるあたりにいた。そのうち見回りの看護婦さんが歩いてきて、倒れてる私に気付いて、脈があるか調べてて、まだ助かるかもしれないと。そしたら急に周りが騒がしくなって、夜遅くにタクシーを飛ばしてきたのか、私の親と妹も駆けつけて、担架みたいなベッドに仰向けにされたままどこかに連れられて、明るい部屋に連れて行かれたの。何か私の回りでは計器の音がして、当直のお医者さんが額に汗を吹き出しながら必死で治療してた。ここはどこかなと、扉の外が見たくなって、そしたら扉をすうっと通り抜けて、そしたら処置室だったの。真っ暗な廊下には赤いランプだけがついてて、私の両親と妹ががっくりと肩を落としたまま長椅子に座ってた。段々計器の音が小さくなってきて、「心拍数低下」なんて声が聞こえてきて、私もこれが最後かなと。

 そしたら私、泣いてるの。私の目から一粒の涙が、すうっとこぼれたの。みんな、さよならって思った瞬間、計器の音も何もしなくなって、急に目が覚めるの。で、辺りをきょろきょろして、おっぺたつねったら痛いから、ああ生きてて良かったみたいな感じで。もしこの夢がもうちょっと長く続いてたら、きっと母と妹が大泣きしてて、父ががっくりと肩を落としてて、いつの間にか日が昇ってて、武志がわんわん泣いてるの。その時には私、安置室に移されてて、顔に白い布を被せられてるのね。そして私は木でできた箱に移されて、煙になっちゃうの。で、本当に空を浮かんで終わりみたいな感じでね。こんな事誰かに話したら、滅多なことを言うんじゃないのって思いっきり怒られちゃうよね、きっと。

 で、ちょうど今、私はお手洗いに行こうとしている。そう言えば、夢の中で出てきた私もこんな感じで歩いていたんだよね。そしたら急に意識が遠くなって、音も聞こえなくなって、目の前が真っ暗になったの。もしあの夢の通りだったとしたら、今頃私は病院の廊下で倒れているはず。全くないはずの意識の中で、私は涙を一粒だけ、すうっとこぼした。目の前には、武志の顔がぼんやりと浮かんでた。

 さよなら・・・。みんなありがとう。