青空


「ファイト、ファイト・・・」

 体育の授業。いつも走り回ってる。そりゃあそうだ。私の授業は体育しかないんだから。でも、28にもなると、若い子にそろそろ負けてくる。くやしい。でも、少なくとも生徒にはそう見えないらしい。

「山本先生、いつも元気ね。」

 みんなそう言ってる。おまけに、同僚の先生にまで言われてる。

「当たり前よ。若い子になんか負けてられないもん。」

 なんてことを言うと、いつも笑われる。

「意味深ですねぇ。誰か若い子と競争でもしてるんですか?」

 別に競争しているつもりはない。ないけど、元気だけが取り柄で、負けん気が強い事だけは自他共に認めている。

 10ン年前、私が高校生だった頃もそうだった。その時、私は陸上部で長距離ばっかり走ってた。小学生の頃、徒競走が一番嫌いだった。いつも決まってビリだったから。それが、中学生になった途端に段々速くなってきて、高校生になったら陸上部というわけだ。私の場合、コンマ1秒が勝負の短距離よりも、速くなったと自覚しやすい長距離の方が好きだ。だから、クラブの練習で毎日近くの山まで往復してた。この時も、やっぱり元気な負けず嫌いだった。みんなで一緒に並んで走るのが苦手で、ランニングの列から飛び出したくなるのが常だった。そうじゃなかったら、せめて声だけでもと精一杯の大声を出していた。

「ファイト、ファイト・・・」

 高校2年生になっても、相変わらず長距離を走ってた。うちのクラブで良く走るコースと言うのが、通称「山」と呼んでいる。正門を出てそのまま山のふもとをぐるりと駆け抜けて、一周してきたところがグラウンドの裏門。ここまででたっぷり1時間はかかる。で、裏門からグラウンドの隅の方を大回りして、また正門に戻ってくるというコースだ。ある5月のこと。5月と言ってももうじき6月で、グラウンドは結構な暑さだった。この日も、「山」を走ってた。山のふもとを駆け抜けて、裏門からグラウンドに戻った瞬間。私の頭にがつんとボールのような物が当たって、そのまま気を失ってしまった。気がついたら、保健室のベッドだった。多分大丈夫だとは思うけど、今日はゆっくりしてなさいと保健の先生に言われた。じっとしているのが何よりも苦手な私としては、ベッドで寝ているというのは苦痛以外の何物でもなかった。

「あんたもうちょっと打ち所が悪かったら、救急車で病院に担ぎ込まれてもおかしくなかったのよ。悪い事は言わないからおとなしくしてなさい。」

 保健の先生の監視つきとあっては、ベッドを抜け出す訳にも行かない。諦めてベッドで寝てることにした。しばらく横になってたら、サッカー部のキャプテンと、新入生らしき男の子が2人、保健室に謝りに来た。話によると、この新入生らしき男の子が蹴ったボールが思いがけないところに跳んで、私の頭に当たったらしい。それで、キャプテンに連れられて謝りに来たのだそうな。ほっぺたを赤らめてたいたのが、何とも新入生らしかった。

 次の日、部活の練習をしようと集合場所に集まったら、昨日は病院に行ったかと聞かれた。保健室で寝てたけど、病院には行ってないと答えたら、早速病院へ行ってこいと言われた。自分ではもう大丈夫だと思ってたし、なんでと思った。思ったけど、少なくとも練習はさせてもらえそうになかったことだけは間違いなかった。私は、しぶしぶ病院へ行った。随分オーバーだとは思ったけど、脳波を取られた。結果、1週間何もなかったら大丈夫でしょうと。それまでの間、激しい運動は控えてくださいと言われたから、必然的に部活はお休みだ。でも、じっとしているのが大の苦手な私。せめてマネージャーでもと言うことになった。マネージャーと言っても、球技のように玉拾いがあるわけでもなく、ただ単に全員分のお茶くみが主な仕事。だから、陸上部にはマネージャーはいなかった。じゃあ誰がお茶くみをするのかと言えば、新入生が予めお茶をくんでから練習をするのだった。早い話が、マネージャーなんてほとんど何もすることがなかったのだ。結局、みんなが練習しているのをぼんやりと見ているだけ。そしたら、こないだのサッカー部の新入生君も、何やら先輩に扱かれていた。そうかと思うと、何やら申し訳なさそうにこっちを見ていた。一応気にはなったけど、まあいいやみたいな感じで練習を眺めてた。  もう日がとっぷりと暮れるころ、私は一番最後に帰宅した。

「こないだはどうもすみませんでした。」

 正門をぬけると、私の後ろからこんな声がして、私は思わずびっくりしてしまった。振り向くと、例の新入生君が立っていた。どうやら、私の帰りを正門の前で待っていたらしい。

「こないだって・・・ああ、あれねぇ・・・。でも、わざとやったわけじゃないんでしょ?」

 こんなことを言うと、もう新入生君の顔が赤くなっていた。

「だったらそれでいいよ。じゃあ、帰ろう。」

 私はそう行って、歩き始めた。すると、新入生君も同じ方向へ歩いてきた。まだ何かあるのかと思えば、帰る方向が一緒なんだとか。真っ赤な顔に、耳まで真っ赤にしてそう言ってた。ああ、何て純な子なのかしら。私は被害者というよりも、意地悪なお姉さんになっていた。こんな感じで、新入生君と私、同じ方向へ一緒に歩いて帰る日が1週間ばかり続いた。たまたまなのか、わざとなのかはわかんなかったけど。

 新入生君の本名は、岩本君というらしい。サッカーボーイというよりは、思いっきり可愛らしくて、ぎゅっと抱きしめてあげたいよお姉さんはみたいな感じの男の子だった。こういう岩本君みたいな男の子は結構便利で、例えば部活で遅くなった時なんかは、

「女の子一人で夜道歩いたら危ないじゃない。一緒に付いて来なさい。」

 みたいなことを言ったら、素直にボディーガードになってくれた。でも、本当に危ないのは岩本君かもしれない。だって、本当に可愛いんだもん。お姉さんが守ってあげるから、一緒に付いて来なさいって訂正しようかなって思うぐらいだった。

 そんな岩本君も、私が3年生になったら立派なサッカーボーイになっていた。あんな風吹いたら吹っ飛びそうだった子が後輩を教えてるんだから、お姉さんは年取ったよみたいな感じだった。それでも、私の前では相変わらずの甘えっ子だった。いや、私が甘えっ子にさせていると行った方が正しいかもしれない。結局、この関係は私が陸上部を勇退するまで続いた。

 プールサイドがあんまりにも寒くて、あったまりたいがためにプールに浸かってた頃、岩本君からあるお願い事をされた。そのお願い事と言うのが、もし今度の秋季大会で一度でもゴールを決めたら、僕を男にしてってことだった。これをストレートに言ってしまうのが岩本君らしいと言えばらしいんだけど、今度は逆に私が頬を赤らめた。

「本当にゴールを決めてくれる?」

 岩本君ははっきりと、「うん」と答えた。ゴールを決められなかったら慰めてって訂正してもいいんだよ、私はそう言いそうになった。それ以来、岩本君は練習が忙しいからと、私をかまってくれなかった。ちょっとだけ寂しかったけど、そんなことより受験勉強してよって言われたら辛い。夜になっても、受験勉強が忙しくて眠れないのか、岩本君が恋しくて眠れないのか、何だかよくわからなかった。机の左において国語辞典、知らない内に「恋」と言う文字を引いてた。

 そして、秋季大会の日。雲一つない秋晴れで、日差しがなかったら暑いぐらいだった。この日の岩本君は、やけに張り切っていた。それが災いしてたのか、一向にパスがつながらなかった。相手のチームにあっさりと先制ゴールを奪われて、後はもう元気だけが空回り。相手に点数を奪われていく一方。後半に入って、いい形で相手のゴールを脅かし始めた。いい形でボールがつながって、相手のエリアのコーナーからボールが真ん中めがけてぽーんと跳んだ。その落下点あたりに岩本君がいて、オーバーヘッドキック・・・でも、わずかにゴールをかすめて跳んで行った。結局試合は、うちの高校が完敗してしまった。私の目には、涙が浮かんでいた。

 がっくりとうなだれながら出てくる、うちの高校のサッカーチーム。その中に、岩本君の姿もあった。私は手招きして、球技場の裏側の公園へ呼び寄せた。岩本君は下を向いたまま、がっくりとうなだれていた。でも、その真っ赤な顔は、私が好きだった岩本君に戻っていた。私はそのまま後ろへ回り込んだかと思うと、岩本君をぎゅっと抱き締めた。彼は相当びっくりしてた。

「いいの。お姉ちゃんね、一度でいいからこんなことしてみたかったんだぁ・・・。」

 汗臭い岩本君の肩に頬擦りしながら、私は目を閉じた...

 目を閉じたら今でも思い出せるんだけど、それを知ってか知らじか、私の同僚の先生がこんな冷やかしを言った。

「山本先生。何だったら次の高2の授業、変わりましょうか? どうですぅ? 若い男の子が食べ放題ですぞぉ!」