ハイテク仕掛けのラブストーリー


第2章 キューティー吉本のワープロ

一、

思えば、ひろし君と私が出会ったきっかけは、このワープロだった。あれは確か、私が大学の3回生になろうかなって言うときだったと思う。3回生になったら、レポートの数が多くなるの。手書きじゃしんどそうだし、ここらで一つワープロでも買おうかと思い付いてしまった。取りあえず、バイトして10万円ちょっとぐらいためたしね。

でも、問題はそこから先。大学の友達ってみんな機械おんちなのよね。だって、いまだに洗濯機がうまく使えない子もいるし。ワープロって、紙に文章を書いてくれる便利な機械ぐらいにしか思ってないし。もちろん私もそう思ってたけど、その頃は。

だから、大学の友達に聞いたって無駄なのはわかってたの。取りあえず、ワープロが置いてあるところへ行ってみようと思ったのね。で、こういうものを買おうと思ったら、やっぱり寺町かなぁって。そしたら、なんかたくさんのワープロがあるはあるは。でも、どれがどう違うのか全然わからなかったの。それに、やれ「AI辞書」だの、「アウトラインフォント」だの、訳のわからない言葉が一杯。なんか、すっごく幻滅しそうになったの。

ワープロの前でうろうろしていたら、店員さんが「ワープロですか」と声を掛けて来た。取りあえず、「はい」と答えたら「予算はいくらぐらいですか」と。私のバイトで稼いだ金額を言ったら「そうですねぇ、これなんかどうでしょう」と、1つワープロを指さして言った。

「だいたいこれがよく売れますよ。みなさんはたいてい、こういうラップトップ型をお求めになりますね。AI辞書がついていて変換効率もいいですし、48ドットでスーパーアウトラインフォントがついていて、印刷も綺麗ですしね。」

・・・と説明してくれるのはいいんだけど、その説明がまた訳わかんなかったのよね。。取りあえず、性能はいいということを言いたいのだけはわかった。普通の女の子だったら、ここで「そうですか。では、これにしますね」と返事するところなんでしょうねぇ。でも、なんか店員さんの薦める物ってなんかありそうなのよね。事実、それで衝動買いして、後悔したなんていくらでもあったもん。だから、

「そうですねぇ、ではちょっと考えて来ます。」

とだけ答えておいて、カタログをもらってから店を出ることにした。
道をぶらぶら歩きながら、カタログもみながら色々考えていた。でも、考えれば考えるほどわからなくなって来た。どうせわからないのなら、とも思ったけど、取りあえず他の店に行くことにした。

でも、やっぱりわかんなかった。ワープロを買うとまでは決めて来たけど、そこから先はなにも決めてなかった。それが、そもそもの間違いだったのかも知れないよね。店員さんに聞いても、なんかまたさっきと同じようになりそうだし。ということで、誰かつかまえて聞いてみようと思ったのね。で、店の中をざっと見渡すと、ワープロをまじまじと見ている男の子がいたの。その男の子というのが、ひろし君だったのね。

なんか、知らない人に聞くって胸が張り裂けそうだけど、心を決めて声を掛けたのね。「すみません」と。そしたら彼は笑って、「え? 何?」って。最初の声が出てしまうと、なんか肩の荷が下りたみたい。

「私、ワープロって全然わからないのですよ。」
「ああ、ワープロですか? えーと、全然わからないのですよね?」
「はい」

私は、いかにも自身ありげに答えた。だって、こんな訳のわからないような機械を作って、平気で売ってること自体が間違いなんですもの。

「じゃあ、こんな『アウトラインフォント』とか言われてもわからないですよね?」
「はい。」
「じゃあ、AI辞書とかカルク機能とかは?」
「それが、全然わからないのですよ。」
「うーん」彼は、なんかしきりに考え込んでいた。その考えた結果出て来た言葉が、これだった。「今時間ちょっとあります?」
「ええ、どうせワープロ選ぶだけで、1日掛かると思ってましたから。」
「・・・じゃあ、ちょっとゆっくり話でもしましょうか?」

なんか説明してくれるみたいだけど、完全に私がひろし君を引き留めてしまったみたい。申し訳ないやらありがたいやらで、ひろし君の誘いに乗ることにした。

二、

彼の案内で来てしまった喫茶店。レモンティーを頼んだら、ひろし君が話を始めて来た。

「やっぱり女の子って、一度はワープロに興味を持つのでしょうかねぇ。」
「うーん、わからないけど。でも、打てたらいいなぁ、とは思っているみたいですね。本当にワープロなんて始めたのは私ぐらいですけど。」
「え? そうなんですか?」
「みんな機械音痴なのですよ。だって、炊飯器の使い方を知らない人だっているんですもん。」
「それってなんか家事能力が低いだけだと思うけど。」

私は黙っていた。確かに、私の家事能力って、とてもじゃないけどほめられた代物じゃないもん。

「へぇ~、信じられない。俺でも炊飯器の使い方は知ってるのに。でも、水を入れる分量とかがわからないから、御飯は炊けないけど。」

その沈黙は、ひろし君のこの言葉が破った。

「あ、でも私はちゃんと使えますよ。」
「うん。そうでないとワープロは使えないと思うしねぇ。」
「ワープロってそんなに難しいのですか?」
「いや、そんな難しいというもんじゃないけど・・・やっぱり慣れかな? 必死になって覚えるよりも。」
「そうなんですか?」
「うん。俺も、最初の頃は大分苦労したもん。キーボードで。大抵の人は、あそこで挫折しているんじゃないかな?」

挫折なんて言葉を聞くと、私は大丈夫かしらと思ってしまう。もしかしたら、ワープロって使いこなすのが難しいのかしら。それ以前に、キーボードって何なのかわからない。やっぱり私にはワープロなんて無理なのかなぁ、なんて思ってしまった。でも、どうせ説明してくれるみたいなので、思い切って聞いてみた。

「あの~、キーボードって何ですか?」
「あ、ああ、キーボードね。ほら、ワープロにボタンがたくさん並んでいたでしょ? あれをキーボードっていうのですよ。英文タイプとか使ったことありますか?」
「あ、そういえば、大学に置いてあるのをちょっとだけ触ったことはありますけど。」
「あの英文タイプと同じ並び方をしているのですよ。だから、ちょっとでも触ったことがあったら大丈夫ですよ。」

そう。大学生協でちゃんと英文タイプを売っているのよね。私は、店員さんの目を盗んでポンっと叩いたぐらい。だから、ボタンがどう並んでいたかなんて覚えてないの。

私は、レモンティーを少しすすって、どんな感じでボタンが並んでいたかを思い出してみる。思い出せたのは、確かABC・・・の順番には並んでなかった、ぐらい。

「でも、ボタンがどう並んでいたかなんて覚えてないですよ。」
「ボタン? ああ、キーのことね。でも、慣れたらなんとかなるよ。」
「そうかなぁ・・・」

私は、少し俯いてみた。

「あ、そうだ。大学生でしたよね?」
「はい。2回生なのですよ。」
「若いなぁ。俺も大学生だけど、3回生だから。」

彼も大学生と聞いて、なぜか胸が軽くなたの。彼は童顔だけど、着くずした感じとは言えジャケットを着てたから、24~5才と思っちゃった。そういえば、下は普通のGパン姿なのよね。大学生って聞くと、大学生に見えてしまうから不思議。だけど、意外と年齢が近くて、なんか急に近くなったような気がする、彼が。

「へぇ~、そうなの? てっきり24才か5才ぐらいに見えた。」
「うん。よく言われるんだよね。」
「なんか、大学生の割にはしっかりした感じ。」
「そう言ってくれると嬉しいけど。あ、そうだ。」
「え?」
「ワープロ買いにきたんだったね?」
「ええ。」
「だったら、俺と同じワープロ買わない?」
「うん。・・・て、なんかよくわかんないけど。」
「その方がいいよ。取りあえず、ついて行くから。」

なんかこれ以上引き留めるのも悪いと思ったけど、彼が行こうって言うから、私もついて行った。
喫茶店から寺町までは、河原町通りを南へ行って、四条通りを西へ行けばいい、ということだけは私にもわかってたの。で、四条河原町の交差点で信号を待っていたら、彼が私の肘に手を掛けたの。

「こうしたら、『機械に強い彼氏についてきてもらった』ように見えるじゃない。」

って言って。なんか雰囲気になっちゃった。

そこから後は、彼に任せることにした。彼は、お目当てのワープロを見つけたと思ったら、今度は店員さんをつかまえて値切ってるの。なんか嬉しいけど、見ている私の方が恥ずかしかった。彼は、もう慣れた感じだったけどね。結局、私はお金を払った以外は彼に任せてしまった。ただ困ったのは、「お持ち返りですよね。」という店員さんの声に彼が「はい」と答えちゃったこと。おかげで、重たい荷物を担いで持って帰る羽目になっちゃった。これでも軽い方らしいんだけど、やっぱり重たかった。でも、不思議だったのはお店に置いてあるワープロよりも、その箱の方が小さいのね。どうやったらあんな形のが、こんな小さい箱の中に入るのかしら。

「あ~あ。買ったのはいいけど、使えるかなぁ~。」

店を出るなり泣き言のような台詞は、私。

「大丈夫って。」

ワープロを担いだ彼は、私の肩をポンっと叩いた。さすがの彼も、ワープロはちょっと重たそう。「駅まで送るよ」の言葉に、またしても甘えてみた。

「ねぇ、京阪に乗って帰るの?」
「うん、丹波橋まで。そこで乗り換えるから・・・。」
「んじゃ、丹波橋まで送るよ。俺、中書島で乗り換えるから。」

結局、四条駅から同じ電車に乗った。電車の中でも色々と話をしていた。例えば、昔のワープロは30万円ぐらいしていたとか、フロッピーディスクとか言うのがついていなかったとか。他にも、名前はひろし君というとか、大学はどうのとか。あっと言う間に丹波橋についたのは、急行に乗ったからだけじゃなかったの。本当に、この電車が各駅停車だったら良かったのにね。

私の願いが通じたみたい。電車がゆっくりと丹波橋のホームに近づいた時、彼は

「もし何かわからないことがあったら、ここへ電話して」とメモをくれたの。その時は、このメモが後ですっごく思い出に残るなんて、思わなかった。そのメモ、今も大事に持っているけどね。

三、

家についた私は、早速ワープロの入った重い段ボール箱を開けてみた。結構な重さだったから、開けただけで疲れちゃったけどね。中には、説明書と、訳のわからないプラスチックの板が入っていたの。これをフロッピーディスクって呼ぶなんて、今だからこそ知ってるんだけどね。でも、ワープロ君はどれかしら。まさか、このプラスチックの箱みたいなやつじゃないよね。だって、お店に置いてあるのと形が違うもん。やっぱりこのプラスチックがワープロ君なのかしら。よく見ると、蓋を閉めた時の英文タイプに似ているもんね。じゃあ、ワープロ君もたぶん蓋が閉まってるんだ。

嬉しくなった私は、ワープロを机の上に陣取った。取りあえず、このワープロ君の蓋を開けないと。えーと、どこから開けるのかな? なにせ機械音痴の私だから、こんなこともわからないのね。下手に触ると壊れそうだし。色々いじくり回している内、ワープロ君のちょうど両端にボタンみたいなのがついてるのに気付いたの。それを押しながら蓋を開けたら、画面とキーボードが出てきたの。ちょうど、店に置いてあったのと同じ感じの形になったのね。さてと、次はコンセントを探して、電源スイッチを入れよう。今度は電源スイッチを探さないと。えーと、なんか左端のところに明かりのスイッチみたいなのがついているから、これなのかな? えーい適当に触ってやれ、みたいな感じでこのスイッチを入れたの。そしたらワープロ君が「ウイ~~ン、ウイ~~ン」と鳴いたのね。私、「しまった! 壊れたかな?」と大慌てしたの。だって、電源を入れたらプリンターも動くなんて、知らなかったんだもん。それどころか、プリンターって言う単語も知らなかったし。あの当時わかったことは、ただ一つ。音が鳴った。それだけ。まあ、画面に文字みたいなのが出てるから、多分大丈夫なんでしょう。

「やった~~~、動いた動いた!」

・・・と、ここまでは良かった。というのは、そこから先が全然わからなかったの。画面には色々な絵が描いてあって、「作業を選択して下さい。」とか書いてあったけど、これから何をしたらいいのかわかんない。ワープロの前で考え込むことしきり。だって、下手に触って壊れちゃったら悲しいでしょ? 結局、この日はそのままスイッチを切っちゃった。

次の日、全然使えないけどなんとなく嬉しくなった私は、大学をまたブッチしちゃった。で、朝からワープロの前で腕組み。やっぱりわかんない。仕方がないから、説明書を読んでみる。やっぱりわかんない。「えーい、どうにでもなれ!」と適当にボタン(あ、これはキーって言うのか。ゴメン)を押してみる。ワープロ君は「ピッ」っと文句を言うだけ。もしワープロの達人が目の前にいて、こんなことしてる人を見たら、きっと「信じられない」なんて思うでしょうねぇ。

で、こんなことを繰り返している内、なんかのキーを押したら急に画面が消えたの。で、画面が原稿用紙みたいになった。「やったやった~~~!」と思った。取りあえずは一歩進んだみたいな感じかな。う~ん、ほんと~に嬉しい。さあ、私もいよいよワープロ少女か・・・と思ったのも束の間。そこから先はどうすんのかわかんない。それどころか、なぜ原稿用紙が画面に出て来たのかすらわかんなかった。もっと言えば、どこをどういじったらこの画面になるのか、それすらわかんなかったのね。

取りあえず、「あ」と書いてあるキーを押してみた。画面の左上に小さく「3」なんて出て来た。

「あれ~~~、私確か『あ』って押したはずなのに。」

などとワープロに怒ったって、「ピッ」と鳴くだけ。鳴かなかったとしても、なんか訳のわからない文字が出て来るだけ。もう私って完全にワープロに振られちゃったのね。

「あ~あ、せっかく原稿用紙が出て来たのに。」

とぶつぶつ言いながら、電源を切っちゃった。ちょっと未練があったけどね。原稿用紙にね。

こんなことを繰り返している内、私もだんだん飽きて来た。というより、なんか恋に破れた少女みたいなのよね、私。「もう! あんたにいくら出費したと思ってんのよ!」とか言って。なんかちょっと違うなぁ・・・。でも、私が何をしたって言うことを聞いてくれる訳でもないし。あーあ、ワープロに初恋した頃の情熱って、一体どこへ行っちゃったのかしら。

・・・と、ぼんやりとワープロの画面を眺めていた。窓の外はきれいな満月。眠くなっちゃったからコーヒーでも飲もうかしら。ポットのお湯をコーヒー茶碗に注いで・・・と。

ワープロ君の横には、コーヒー茶碗。さてと、いくらなんでもこのまま泣き寝入りじゃ、私が可哀相よね。まして、このまんま押し入れに直行される、ワープロ君はもっと可愛そうよね。そしたら、ふと思い出したの。

「もし何かわからないことがあったら、ここへ電話して」

というひろし君の一言。「よしっ一度電話してみよう。」と心に決めた。まずは何を言おうかな? 取りあえず、「この前はワープロのこと教えてくれてありがとう。」なんて言ったら、私のことはわかるわよね。で、それから「親切に甘えてみたくなって電話したの。」・・・ダメダメ、こんなこと言ったらあんまりにも臭いよね。じゃあ「教えて欲しいことがあるの。」なんてのはどうかしら? でも、教えて欲しいことって・・・うーん、全部かな。じゃあいっそのこと、「実は全然わからないの」なんて言ったら、また色々と教えてくれるわよね。ひょっとしたら、すぐここへとんで来るんじゃないかしら?

私は、飲みかけのコーヒーを半分残して電話の前に立った。でも、そこから先が、コーヒーを飲みながら考えていたようにはいかなかったの。なんかドキドキするのよね。男の子のところに電話するって。彼って一人暮しなのかしら。もしそうじゃなかったら、こんな時間に電話を掛けたら、家の人にどう思われるかしら。ひょっとして、家の人に冷やかされたりしてね。「女の子から電話が掛かってるよ」とか言って。それより、こんな風に簡単に電話掛けたら、私のことを軽い女だなんて思われないかしら。こんなことを考えてたら、指が電話のボタンからまた少し離れちゃうの。

ほんと、電話の前に立ってからどれだけ経ったのかしら。「えーい、恥ずかしいこと聞くんだったら、どうせかっこなんて」と思い切って電話番号を押してみた。その後の長い間。「プルル・・」という音が受話器から1回、2回、3回と鳴るのと同じように、私の心臓も1回、2回、3回とはちきれそうになるのよね。

「はい、西岡です。」

これは、あの時と同じ声。私は心の中で思いっ切り叫んでみた。「あ、出た!」でも、なんか胸が高鳴ってる。最初の一言がでない。さあ、勇気を出して!

「もしもし、吉本ですけど。」
「はぁ!?」

あ、そうか。私って名前教えてなかったのね。やっぱり、声だけじゃわかってくれなかったかしら。無理もないとは思うけど。

「あ、この前はワープロ見てもらって、ありがとうございました。」
「あ、ああ、思い出した。で、使えるようになった、ワープロ?」
「それが・・・全然・・・」
「やっぱりなぁ。多分そうじゃないかなあって電話待ってたけど。」

なあんだ。やっぱり私のこと心配してくれてたのかぁ。なんか、あれこれ考えてた私の方が馬鹿だったみたい。

「うん。私も色々悩んだけど・・・」
「んじゃあ、そっちまで教えに行こうか?」

嬉しかった。すっごく嬉しかった。もう、本当に泣きたくなるぐらい。ああ、なんて彼って優しいのかしら。でも、私の良心が止めた。「こんな簡単に男を呼んだら、きっと後悔するよ」って。そうよね? だって、まだ1回しか逢ったことがないし、ひろし君のことはよく知らないし。

「・・・でも、悪いなぁ・・・」
「いや、俺は別にかまわないけど・・・」
「うーん・・・、でも・・・」
「えーと、そしたらねぇ・・・。取りあえず、いっぺん逢わない?」
「うん。」
「じゃあ、明日の1時ぐらいに丹波橋の前まで車で行くから。」

私は、受話器を置いた。そうよね。ワープロの手解きしてくれなくっても、ひろし君に逢って話しだけでも聞けたらいいよね。きっと彼にだって、初心者マーク背中に貼ってた時期があったはずだし。その体験談でも聞けたら、少しは気が休まるかもしれないわね。

四、

私は、ワープロの電源スイッチを切って、飲みかけのコーヒーを飲んでいた。で、取りあえず明日を待ってみることにした。私はベッドの上に横になっていた。一言、眠れない。これってコーヒーを飲み過ぎたからかしら。それとも、ワープロ君が気になるからかしら。私は、天井を眺めながらぼんやりとしていた。どうやら、私を睡眠不足にしているのは、コーヒーでもワープロ君でもないみたい。なぜって? だって、ひろし君の顔が浮かんでくるんだもん。でも、その時って、ひろし君のことが好きだったわけじゃなかったのよね。彼の顔ってどんな感じだったかな? ちゃんと私の顔覚えてくれてるかしら? でないと、丹波橋でひろし君と擦れ違ってもわからないもんね。ああ、なんかこんなことを考えていると、どうにも眠れない。

どうやら考え過ぎたみたい。私はいつの間にか眠ってた。ふと目が覚めると、時計の針が12時を指していた。あーあ、女の子にしてこんな時間にならないと目が覚めないって、情けないよねぇ。まあいいか。一応は男の子とツーショットだから、それなりの格好に着替えて出かけようか。

近鉄電車を降りたところにある改札を抜けると、ひろし君が待っていた。私、彼の顔をよく覚えてなかったけど、すぐわかっちゃった。だって、辺りをきょろきょろして、顔に待ちくたびれたって書いてあったもんね。なんか、結構早くからここへ来て私のことを待っていたみたい。
「あ、吉本さん?」と、彼の方から声をかけて来た。私が「はい」と答えたら、「俺、車で来たんよ。こっちに置いてあるから。」と、橋みたいになっている丹波橋の駅を西へ抜けて、私を銀色のスポーツカーに案内したの。もうびっくりした。車って言うから、てっきり乗り心地の悪そうな中古かと思ったら、ぴかぴかの新車なのね。うーん、大学生なのにすごい車に乗ってるなぁと思ったの。

「へぇ~~~すごい車に乗ってるのねぇ。これってもしかして自分で買ったの?」
「うん、まあね。実は大学入ったばっかりの時に事故っちゃってね。で、買い換えたの。昔は軽に乗ってたけど、腰傷めちゃって乗れなくなっちゃったんだよ。すかちゃんって結構出費がきついけど、やっぱり乗り心地がいい。」

どうやら、彼はこの車のことを「すかちゃん」って呼んでるみたい。なんか、あまりにもすご過ぎる車だから、「これって土足禁止?」って聞いちゃった。土足でいいよというから、そのまま乗った。こんな車に乗ってるんだから、さぞかし荒っぽい運転をするのかなぁと思ったの。でも、ひろし君の運転はスムーズ。スゥッと発進してスウッと止まってみたいな感じで。「あ、運転うまいのね」と思わずびっくりしちゃった。ブレーキの踏み方で、運転がうまいか下手かわかるもんね。若葉マークつけてた友達の車に乗せてもらったら、発進する時にガクン、止まる時にガクンガクンだったもんね。もう乗ってるだけで怖くて。

とこんな話をひろし君としている内に、車はいつの間にか私の近所の喫茶店についていた。別に彼は家を知ってたわけじゃなかったけどね。だから、私もびっくりしちゃった。

「確か丹波橋で近鉄に乗り換えるんだったね。近鉄のどの駅?」
「・・・実は、この近所の竹田駅なの。」
「え~~~ほんとに。」
「だって、この喫茶店ってよく行くわよ。」
「へぇ~~~、んじゃあ家帰ってワープロ取りに行ったら、ちょうど教えられるね。」
「でもぉ、こんなところで恥ずかしくて打てないよ。」
「そうかなぁ、俺って結構こんなとこで打ったりするけど。大学へ持って行ってレポート打ってたりね。」
「え~~~、あんな重たいの大学に持って行くの?」
「と言っても、ノート型だけどね。ノート型って知ってる?」
「ううん、知らない。」
「ノート型って言うのは、こういうやつ。」

と言って彼は、鞄の中からなにやら取り出した。それは、ちょうど私が大学へ行く時なんかに持って行ってる、普通のルーズリーフを一回り大きくしたぐらい。そうじゃなかったら、高校の時に男の子が持っていた大きいお弁当箱2つ分ぐらいの、真っ四角のプラスチックだった。

「で、ここをこうすると・・・」

と言って彼はそのノートを開けたの。そしたら、ちょうど私のワープロ君と同じ、画面とキーボードが出てきたの。

「え~~~、信じらんない。こんな形のワープロってあるのぉ?」
「うん。こうすると、持ち運びがしやすいじゃない?」
「ほんと、私のワープロより小さい。でも、私は使えないなぁ。だって、家にあるワープロだって使い方がわからないし。」
「ほんと? で、取りあえず使ってみた?」
「ちょっとだけ。なんか訳わかんなくて、適当にいじってたら、原稿用紙みたいな画面が出て来て・・・」
「原稿用紙みたいな画面・・・ああ、編集画面ね。」
「なあに、その編集画面って。」
「編集画面って言うのは、これから文章を作る時の画面。ここに文章を書いて行くのね。」
「あ、なるほど。でも、その編集画面って言うのを、どうやって出したかよくわかんないの。」
「うん。まず電源を入れるでしょ? そしたら、メニューって言って、『この中からこれからしたいことを選んでください』って画面が出るのね。」

と言って、彼は電源スイッチを入れた。すると、私が電源を入れた時と同じ画面が、彼のワープロに出て来たの。

「・・・で、画面の左上に四角いのがあるでしょ? これをカーソルって言うのね。」

このカーソルを、カーソルキーって言うこんな矢印の書いてあるキーを押したら、その矢印の方向にカーソルが動くの。ほら。」

彼は、カーソルキーとか言うキーを押してみせた。確かに、この4つのキーには、上・下・左・右の矢印が書いてあるね。私は、「ふんふん」って感じで聞いてたけどね。

「んで、このカーソルを、自分のしたい仕事のところに合わせるのね。例えば、さっきの編集画面を出そうと思ったら、『文書編集』って言うところにカーソルを合わせるでしょ? で、『実行』って書いたキーを押すと、ほら。」

確かに、私がさんざん悩んだ挙げ句に出て来た、原稿用紙みたいな画面が出て来た。なあんだ、こんなことだったら、最初からひろし君を呼んだらよかったわね。

「んで、カーソルのあるところに文字が出てくるんだよ。」
「でも、ここから文字を出そうと思っても、出ないのよ。だって、この『あ』ってキーを押しても、『3』って出てくるのよ。ほら。」

私は、ひろし君のワープロの、「あ」と書いたキーを押してみせたの。そしたら、やっぱり「3」と出て来た。

「ああ、これねぇ。」

ひろし君が説明を始めた。

「ローマ字入力って知ってる?」
「え? 何ローマ字入力って?」
「ローマ字入力って言うのは、打ちたいかなを、頭の中でローマ字に置き換えて入力するの。例えば、『あ』って言うのはローマ字にしたら『A』でしょ? だから、『A』と入力したら、ほら。」

彼が「A」というキーを押すと、ワープロに「あ」と出て来た。
「へぇ~~~、じゃあ、なんでこんなキーボードの上にかなが書いてあるのかしら? だって、そんなの要らないわよ。」
「昔は、このキーボードの上に書いてあるかなで入力してたのね。でも、かなを全部キーボードの上に書いたら、キーがいくつ要ると思う?」
「え~~~っと、大体50個ぐらいかな?」
「そう。そうするとキーの数が多過ぎて覚えにくいから、ローマ字入力って言うのがついたの。ローマ字だとアルファベットで打つから、26個のキーを覚えたら打てるでしょ?」
「じゃあ、いっそこのかなの文字を消したらいいじゃない。」
「でも、まだかな入力している人もいるからね。俺も使ってるけど。慣れたらこっちの方が入力が速いからねぇ。だから、かな入力とローマ字入力と切り替え式になってるよ。」
「あ、そうか。じゃあどうして『3』なんて出て来たのかしら。キーの上にいっぱい文字とかが書いてあるから、よくわかんないよ。」
「ローマ字入力の時は、このキーって使わないでしょ? だから、この数字の方が出るのね。」
「ほんと。じゃあ、他の記号とかは?」
「うん。例えば、さっき押した
 #
3 ぁ
 あ
ってキーがあるでしょ? まず、そのまま押すと『3』って出てくるの。で、シフトってキーを押しながらこのキーを押すと・・・」

と言いながら、彼は実演してみせた。画面を見ると、『#』という記号が出て来たの。

「・・・という具合に、キーの上に書いてある記号が出てくるの。で、アルファベットを打ちたい時は、まず英数キーを押して、次にアルファベットが書いてあるキーを押すと、小文字で出てくるの。で、シフトキーを押しながらアルファベットキーを押すと、大文字が出てくるの。またかなを打ちたい時は、かなキーを押したら元にもどるよ。」
「あ、そうか。へぇ~~~、西岡君っていろんなこと知ってんだ。」
「なんか、西岡君って呼ばれると変な感じするなぁ。ひろし君でいいよ、ひろし君で。みんなそう呼んでるから。」
「えー、じゃあひろし君、ってなんか気が抜けたみたいねぇ。」
「うん、でもこの方が呼ばれてるって感じがしていいよ。」
「そうかなぁ。なんか私変な感じするけど。」
「みんなそう呼んでるもん。吉本さんも慣れたら大丈夫だって。」
「でも、ひろし君に吉本さんって変じゃない?」
「えーと、名前が確か吉本・・・」
「恵美子。みんな恵美子って平気で呼んでるけど。」
「でも、何か『恵美子』って呼び捨てするのも、何か抵抗があるなぁ。」
「うーん、どうしようかなぁ。」
「じゃあ恵美ちゃんでいいかな?」
「うん。」

ということで、ここから彼のことを、ひろし君って呼ぶことになったのよね。最初のうちはちょっと抵抗あったけどね。

「あ、そうだ。恵美ちゃん何か言いかけたんじゃなかったっけ?」

どうやら彼の方はすぐ慣れたみたい。でも、これって私を誘う手なのかしら? それともひろし君が慣れてるのかしら?

「あ、そうそう、ひろし君ってワープロ使い始めてから結構長いの?」
「えーと、いつ始めたっけ? あんまり遠い昔だから、忘れちゃったなぁ。」
「そんなに前なの?」
「だって、あの頃って確かワープロが、安もんでも30万円ぐらいはしたもんねぇ。フロッピーもついてなかったし。」
「え? フロッピーって何?」
「フロッピーディスク。こんな感じのやつがついてなかったっけ?」

ひろし君は、ワープロ君についてたのと同じ、プラスチックの板を鞄から出した。あれが何だったかよくわかんなかったけど、上の方が金属だったし、形だけは覚えていたのね。
「ああ、ついてたついてた。でも、これって何に使うの?」
「うん。文章をワープロで作るでしょ? で、作ったらこれに保存しておくんだよ。だから、ワープロが使うメモってとこかな?」
「あ、そうなのか。うんうん、そういえばこんな感じで、『拡張フロッピー』とか書いてあったのがついてたわよ。」
「まあ、拡張フロッピーって言うのはあんまり使わないけどね。でも、フロッピーは買っておいた方がいいよ。」
「へぇ~~~、でも、どんな感じのやつ買ったらいいかよくわかんないよ。」
「んじゃあ、今度の日曜日にでも一緒に買いに行こうよ。俺って大抵寺町まで行くけど、あの辺って駐車場が高いから車では行かないんだよ。」
「そうね。あの辺って駐車場が高いわよねぇ。私、車持ってないけど、友達がいっぺん車で買い物行ってぇ、2時間で900円ぐらい取られたって言ってたもん。」
「それだけ出すぐらいだったら、電車で行った方が正解。だって、時間気にしなくていいし、電車代ってどうせそれぐらいかかるし。ねっ、電車で行こ。」
「うん。」
「じゃあ、恵美ちゃんが竹田だから、地下鉄で行った方が安いね。どうせ四条烏丸から歩いても知れてるから、烏丸で待ってようか。」

まったく、ひろし君ってどうしてこうせこいのかしら? 確かに男の子からすれば、四条烏丸から寺町まで歩いても平気なのかもしれないけど、あれって結構な距離なのよね。私、歩けるかしら? まあいいか。もし歩けなかったら、「足が痛~~い」とでも言ってひろし君に甘えちゃおうっと。
「うん。じゃあ阪急の烏丸の改札で待ってるね。」

結局、私はこの後歩いて帰っちゃった。ひろし君、話が長びいたら、もっといろんなものを出すつもりだったみたい。ひょっとして、あんな鞄をいっつもぶら下げてるのかしら?

五、

でも、不思議なのよね? だって、ひろし君って車で来てたわけでしょ? 大抵そういう時ってどっか他の場所に誘うじゃない。ひろし君には、それがなかったのよね。ひょっとして、ひろし君って私に気がないのかしら? それとも、ただ単に臆病なだけなのかしら? こんなこと考える私って、変よね。

まあいいか。取りあえず、また逢う約束をした訳だし。それより、ワープロ君のお相手をしてあげないと。だって、ひろし君に嫉妬してるみたいだしね。

えーと、まずは電源スイッチを入れてっと。あ、これがメニューね。確か、編集画面を出そうと思ったら、「文書編集」で良かったのかしら? あ、出た出た! これが編集画面ね。ここで色々文字が打てる訳ね。えーと、最初は「わ」だから、ローマ字に直したら「WA」ね。それから、次は「た」だから、「TA」かな。あ、合ってた合ってた! んで、「し」だから「SHI」・・・うんうん、なんとかなりそう。次は、「は」よね。やだぁ、間違えて「わたしわ」なんて出て来ちゃった。だって、読んだら一緒よね。えーと、どうやって消すのかな? 確かカーソルとか言うのを書きたいところに合わせるのよね。カーソルキーで一番後ろの「わ」にあわせて・・・と。では、もう一度「は」だから、「HA」って打たないといけないんだよね。では・・・あら、「わたしはわ」ってなっちゃった。どうして?! なぜなの?

あーあ、今日ひろし君に逢ったばかりなのに、もう質問ができちゃった。いくらなんでも、さっき逢って質問攻めにしたばっかりなのに、こんなこと聞いちゃあ悪いよね。だって、こんなことばっかりしてたら、ひろし君、睡眠不足になっちゃうんじゃないかしら? とすると、今度の日曜日にひろし君をつかまえるしかないよね。あーあ、早く日曜日が来ないかしら。ひろし君に逢いたいんだか、ワープロ君のことを聞きたいんだか、わかりゃあしないわよ。

で、その日曜日が来るまで、ひろし君先生への質問ってたっぷり溜ったのよね。取りあえず、「変換」ってキーを押したら、漢字に変わるまではわかったの。けど、そっから先がわかんないの。んで、フロッピーを買いに行くんだけど、私ってフロッピーの使い方がわかんないのね。あと、メニューに出て来るのは一体何かしら? 私が知ってるのは、「文書編集」だけ。エッヘン

六、

待ち切れないもんだから私、烏丸までさっさとついちゃった。ひろし君を待ち伏せてやろうと思ったのね。ひろし君はまだかなぁ。確か彼って京阪電車で来るのよね。よく烏丸まで歩いて帰れるもんよね。ひょっとしたら、またあの鞄持って来るのかしら。だったら大変よね。なんか、鞄ひっさげて歩いて来るひろし君の姿が、頭の中に浮かんで来たの。なぜかしら?

こんなこと考えてたら、本当にひろし君が来ちゃった。大きな鞄ぶら下げて、遠くからえっちらおっちら歩いてるのを見たら、おかしくてさぁ。だって、四条河原町から四条烏丸までの地下道って、真っすぐでしょ? ひろし君が汗水たらして歩いて来るのが、遠くから見えるのよね。私が手を振ったら、彼が一生懸命走って来るの。あー、もうそれだけで笑い転げちゃった。んで、なんだ、もう来てたの、だって。もうおかしくて。私が大笑いしたら、マジな顔してんの。あーあ、先生からかってる私って、いけない子かしら?

で、ひろし君のあいさつというのが・・・

「どう? 少しは使えるようになった? ワープロ。」

私とひろし君、地下道を寺町へ向かって歩いていた。んで、こっからは歩きながら話したのね。

「うーん、あの後早速悩んだの。」
「へぇ~~~、どこで?」
「だって、『わたしは』って打ちたかったの。んで『わたしわ』って間違えたから、直そうと思ったら『わたしはわ』になっちゃったの。」
「ああ、あれねぇ。」

ひろし君ったら、半分笑ってるのね。いいわよ。どうせ私は超初心者ですよ。
「あれは、たぶん挿入モードになってるんじゃないかなぁ・・・」
「挿入モード?」
「うん。また寺町についたらやってみせるね。」

やってみせるねって、まさかまたあの鞄の中からワープロを出すつもりかしら。四条河原町のど真中で、ワープロって言うのはちょっとねぇ・・・。そりゃひろし君は慣れてるから、平気かもしれないけどさぁ。まあ、彼に任せるけどね。

ひろし君はもう大学の4回生で私が3回生だから、大学の話とか就職の話とかしてたら、もう寺町通についちゃった。烏丸から寺町って意外と近いのねと話したら、俺は大抵地下鉄に乗る時は四条から歩いて行くよって。私、地下鉄の沿線に住んでるけど、四条河原町へ行く時は、いっつも丹波橋まで行って乗り換えるもんね。まあ、ワープロをぶら下げて歩いているくらいだから、ひろし君の足は丈夫なのかもね。

まずは私がワープロを買った店に行ってみた。ここが四条通から一番近いの。彼が言うには、本当はもっとフロッピーが安い店があるんだって。で、それはどこかと聞いたら、また話が長くなっちゃった。安い店があるんだったら、最初からそこへ行ったらいいのに。

で、今度はカタログの置いてあるところへ走って行って、なんか訳のわかんないカタログを片っ端から集めてるの。ひょっとして、ひろし君の部屋ってカレンダーとかポスターとかの代わりに、こんなカタログが張ってあるんじゃないかしら。どうせ私はそんなの見てもわかんないけど、取りあえずひろし君の側にいる事にしたのね。だって、彼ったら私の肘をしっかり握ってるんだもん。ちょっと恥ずかしいな。ひろし君がカタログ集めをしてるから、だけじゃないんだけどね。

んで、カタログ集めの次は、パソコンかなんかよくわかんないけど私にあれこれ説明。やれあの機械はグラフィックが綺麗だの、サウンドが綺麗だの、人の喋ってる声をそのまま取りこめるだの。どうせ綺麗なら、私もっと綺麗なところへ行きたいな。でも、その説明してるひろし君の顔がマジでさぁ・・・。

ねえ、もっと綺麗なところへ行こうよって誘ったら、彼ったら真剣に悩んでるの。うーん、どこへ行こうかなぁなんて言うから、例えば北山に行きたいってお願いしたのね。だって、あそこなかなかオシャレでしょ? ひろし君、ちょっと悩んで、うーんちょっと疎いけど、恵美ちゃんがそう言うなら行ってみようか。確か地下鉄の北山だったよねって。・・・と、ここでやっとフロッピーを買う事になったの。ひろし君の案内で、いろんな大きさの箱が置いてあるところに来たのね。

「えーと、フロッピーって色々種類があるの知ってる?」
「え? じゃあひょっとして、ここにあるのみんなフロッピー?」
「そう。」
「へぇ~、こんなの選ぶの大変ね。」
「んで、大きさが、8インチと5インチと3.5インチがあるけど、恵美ちゃんのワープロは3.5インチね。3.5インチって言うのは、これ。」

と、彼は、サイコロみたいな箱を指さしたの。んじゃあ、こんな感じのやつを買ったらいいのねって言ったら、また説明。

「ううん。3.5インチの中でも、2DDって書いたやつを買わないとダメだよ。フロッピーには2HDと2DDがあって、機械によって使うフロッピーが決まってるのね。」
「じゃあ2HDと2DDって、どうちがうの?」
「テープで言えば、ノーマルとハイポジションの違いみたいなもんかな? で、テープは音質が違うんだけど、フロッピーの場合は中に入る分量が違うんだよね。」
「ふーん、で、こっちの2DDと書いたやつを買えばいいのね。」
「そういうこと。」

なんかよくわからないけど、2DDと書いてあるサイコロを1つ取って、レジまで持ってった。私がお金を払っている間、ひろし君はなにか箱を眺めていた。ビデオテープの箱をちょっと大きくしたぐらいの箱。レンタルビデオ屋さんみたいにいっぱい並んでて、へぇ~このソフトもう出たのか、なんて彼は言ってたけど、私にはよくわかんない。あの箱にテープかなんか入ってるのかしらねぇ。
そんなこんなしているうち、私はあることに気付いたの。それは、北山まで行こうとしたら地下鉄に乗らないといけない事。で、それにはまたあの地下道を通らないといけない事。うーん、ちょっときついかな? だから、ちょっとサテンでゆっくりしようよって声をかけたの。この前行ったサテンは方向が逆だからなぁ、と言いながら彼が案内してくれたのは、寺町京極の角にあるサテン。そこでちょっとゆっくりしてから、北山まで行く事にしたのね。

七、

サテンでレモンティーを待つ間、ひろし君はまたワープロを出して色々と説明。「えーと、まず上から文字を打った時っていうのはねぇ、下にある文字をどうするのかが問題になるのね。で、挿入モードの時は、下の文字には1個左へよけてもらって、空いたところに打った文字を書くのね。上書きモードの時は、下の文字を消して上から書くの。例えば・・・」

と説明しながら、彼は慣れた手つきで画面に「わたしわ」と打ったの。

「・・・と言う具合に間違えて、後ろの方の『わ』を『は』に変えたいとしようか。で、例えば、こんな具合にカーソルを後ろの『わ』に持って行って、『は』って打ったら・・・」

あ、「わたしはわ」になっちゃった。じゃあ、どうやったら直せるのかしら。

「・・・と、こうなるの。これを挿入モードって言うのね。普通ワープロは挿入モードにして使うから。もし『わたしわ』なんて間違えた時は、その時点で後退キーを使って間違えた文字を消すのね。」

あ、「わたし」になった。

「で、正しく打ち直す。」

なあんだ、間違えた文字を消せばいいのか。よく考えたら、簡単よね。

「じゃあ、どうして上書きモードがついてるの?」
「うん。これはケースバイケースで使い分けるの。と言っても、そんなに使わないけどね、上書きモードは。」
「ふーん。」私は、ちょっと気の抜けた返事をして見せた。
「じゃあ、今度は漢字を打ってみよう。まず、恵美ちゃんの名前をかなで打ってごらん。」

彼は、いつの間にか私のとなりの席に座ってた。私は、ぎこちなく「よしもと」と打ってみた。

「で、変換キーを押してごらん。親指のところにあるから。」

言われた通り、私は変換キーを押してみた。そしたら、「よしもと」が「吉本」に変わったのね。大きな声で、やった~~~っ、なんて叫んだらひんしゅくだから、心の中で拍手拍手。

「んで、もし正しい字が出て来なかったら出て来るまで、変換キーを押すの。でも、もう出ちゃったから続けて打つのね。」

今度は、「えみこ」と打ってみたら、「江美子」だって。やだ、あたしこんな名前じゃないわよ。

「うん、今度は間違って出て来たから、正しく字が出て来るまで変換キーを押してごらん。」

変換キーを何度か押している内に、「恵美子」って出て来たのね。へえ~~、意外と簡単じゃない、なんて心の中でつぶやいてたっけ。

とああだこうだと言いながら、レモンティーが冷めるまで練習してたのね。ひろし君ったら、教えてる段々わたしにくっついて来て、いつの間にか、肩がぴったりくっつくぐらい近づいてるのね。んで、私が変換キーを押し過ぎて違う漢字が出ちゃったの。あ、って彼がキーを押すふりをして、私の太ももに・・・。だって、てっきりなんかキーを押すかと思ったら、フェイントだもん。私、思わずピクッてなっちゃった。でも、嬉しかったな。

その後? ウフフ、なんか思わず笑っちゃうの。サテンを出ようかって時にぃ、ひろし君が、ねぇ北山は今度行かないって。どうしてって聞いたら、だって今度またゆっくりと行きたいんだもんって。北山へ行くにしても帰るにしても、どうせ地下鉄に乗るんだから送るよっていうことで、ひろし君と私、烏丸まで歩いたのよね。

色々と大学とかの話をしてたんだけど、もうちょっとで烏丸につくかなぁって時に、人混みと会話がピタッととぎれたの。私がちょっと寂しそうな顔をしたら、恵美ちゃんのこと好きだよって。私、立ちつくしたら、彼が私の額にキスしてくれたの。この地下道ってもともと人通りが少ないのね。でも、やっぱり人がぽつりぽつり歩いてるから、ひろし君が両手で私の肩を抱いて壁の方を向いて、見えないようにそぉっと・・・ね。ちょっと恥ずかしかったけど。

でも、なんかすっごく別れづらくなって、ねぇ私達今度はいつ逢えるかしらって聞いたら、次の日曜日あたり、今度は車で迎えに行くからねって。こんな話をしている内に、いつの間にか彼の腕はしっかり私の肩を抱いてたし、私もひろし君の肩にもたれてたしね。この地下道がずぅっと続いてたらいいのに、ほんと短い地下道よね。だって、もう烏丸についたんだもん。私気付かなかったんだけど、ひろし君がしんみりとして、もうついたねって。気がついたら目の前に券売機があるのよね。その券売機に1つ1つコインを入れる手が、だんだんゆっくりになってく私なの。最後の1つなんて、手がつっかえてなかなか入らなかったから、ひろし君に入れてもらったけどね。その時、彼が私のすぐ後ろから手をのばしたんだけど、もうちょっとでくっつくぐらいだったから、なんかどきっとしちゃった。

んで、自動改札をくぐった後振り向いたら、ひろし君がじっと私を見送ってるの。じゃあまた来週ねって声が寂しそうだったな。後ろを向いたら改札を飛び出しちゃいそうな私だったから、一気に階段をかけ降りた。きっとひろし君の事だからあのまま私をじっと見送ってくれたと思うのよね。

八、

家に帰って来た私は、じゃあワープロの練習でもしてみようかと思ったのね。でもワープロをたたいていると、ひろし君が横にいて、ぴったりくっついて来そうな気がするから不思議よね。

うん、ひろし君ってなんか不思議。だって、見かけは24才か5才だけど、私と同じ大学生なのよね。んで、北山通りは疎いなぁといいつつ、私よりよく知ってるのね。んで、オタッキーなパソコン少年かと思ったら、意外と女の子の扱いに慣れてるようか気がするのね。なんかひろし君って不思議だなぁ・・・って、コーヒーをすすりながらぼんやり考えてたの。

そしたら、電話のベルが鳴ったのよね。受話器の向こうは、ひろし君だった。ちゃんと帰れた、の言葉に始まって、今着いたところだって話になって、ワープロの話が出て来て、一瞬の沈黙。その沈黙、好きよって心の中で言ったの。ひろし君には、きっとわかるよね。でも、さっき逢ったばっかりなのに、さんざんしゃべっちゃった。ふと時計を見たら1時間ぐらい話してるの。それじゃまた掛けるねって言葉を残して、彼が電話を切っちゃったけど。

それから2、3日の間、こんなことを思い出してはくすくすって笑ってたから、大学の友達が「恵美子ぉ、なんかあったの?」って。でも、これは内緒ね。・・・て、しっかりばれちゃったけど。

なぜって? それはね。大学生協の本屋さんで占いの本を立ち読みしてて、ひろし君と私の相性を調べてたの。えーと、ひろし君の誕生日は昭和45年1月3日・・・うーん、なんかめでたい日に生まれたのねなんて感じで。そしたら、「理想的な相性で、あなたにとって肩の凝らない相手となるでしょう」って。もうほんとに嬉しくって。というのが私の顔にも書いてあったみたいなのね。

そこへ友達が来て、「相性占いなんて読んでる。で、こんな嬉しそうな顔してるってことは、彼氏ができたんでしょう」って。ううんって私は答えたけど、だってもう占いが気になったら恋の始まりよって。その後? サテンへ連れてかれて、ひろし君のこと白状させられちゃったわよ。その友達、しっかり焼き餅やいてたけどね。だって私の話し聞くなり、あーあ私もワープロ買おうかなぁ、だって。でも、ひろし君みたいに不思議なワープロ使いさん、そう何人も歩いてるわけないよね。

さてと、練習ばっかりしててもつまんないから、ワープロ君でレポートでも作ってみようかな? あんまり意味のない文章ばっかり打ってたら、すぐ飽きちゃうしね。
ひろし君もやっぱり、レポートはみんなワープロで作ってるのかな?
ああ、だめだめ、こんなことばっかり考えてたら、レポートの提出日に間に合わなくなっちゃうもんね。

えーと、まずはタイトルをっと。タイトルは真ん中に持って行った方がかっこいいもんね。でも、真ん中に合わせるって難しいのよね。だって、スペースキーを何度も叩かないといけないし、きっちりスペースの個数を合わせるのって大変。(後でひろし君に電話で聞いてみたら、センタリングって機能を使ったら、簡単に真ん中に持ってってくれるんだって。早く教えてよぉ)。

んで、名前もちゃんと入れなきゃ。一番右に書いた方がかっこいいよね。えーと、どの辺にカーソルを持ってったらいいかな? 右のカーソルキーをポンポンポン・・・これって結構手が痛いな。うーんと、この辺でいいかな? では、「吉本恵美子」っと。やだー、スペースが1個多かった。後退キーで消さないとね。ポンポンっとこんなもんでいいかな? (これもついでにひろし君に聞いてみたら、右寄せって機能を使ったら、簡単に文字が右端に揃うんだって)。

ああ、なんか最初だけで疲れちゃった。ちょっと休憩しようかな? えーと、電気がもったいないから、電源スイッチを消してコンセントも・・・っと。

そう言えば、ひろし君どうしてるかなぁ。私みたいにワープロの前なのかなぁ。ちょっと電話してみようっと。

ということで、コーヒーを半分飲みかけで彼のところに電話したのね。

えーと、いるかなぁ・・・あ、いたいた。もしもしって私の声を聞いた彼、すっごく嬉しそうだったな。んで、今頑張ってレポート作ってるのって言ったら、大丈夫かぁって随分心配しちゃって。まあ、練習も兼ねてるからね。そのレポート手書きで下書きしちゃったから平気だよ、って言ったら、ひろし君は下書きなしで、最初からいきなりワープロで書いてるんだって。なんか不思議そうだったな。慣れたら、いきなりワープロで打った方が早いのかもしれないけどね。それに、彼はいっつもワープロ持ち歩いてるみたいだし。

「さっきのタイトルとか名前とか書くの大変だったのよぉ。文字を真ん中とか右端に書くのって、スペースいくつ空けたらいいかわかんないし、適当に打ったら変になるし。」

って言ったら、ひろし君大笑いしてた。聞けば、左端に書いてセンタリングってやったら、文字が真ん中に行くんだって。んで、右寄せってやったら、文字が右端に行くんだって。ねぇ、もうちょっと早く教えてよ。って、電話しなかった私が悪いんだけど。

色々としゃべってたんだけど、ひろし君がパソコンって電気代がかかる、って話をしたのね。んで、ワープロも結構かかりそうだから、電源を切ってコンセントも抜いた、って言ったら、彼が声色を変えたのね。えっ文章大丈夫かなぁ、って。彼の話だと、これで文章が消える時があるんだって。消えたらしゃれになんないから、ワープロ君を見に行ったのね。電源を入れて文書作成ってやったら、

ガ~ン、やっぱり消えてる。

ちょっとぉ、こんなのひどいわよ。って話したら、フロッピーに保存しておいたらいいんだよって彼が。なんかよくわかんないけど、どうやって保存するのって聞いたら、この前買ったフロッピーを1枚出せって。んで、サイコロみたいな箱を開けたら、フロッピーが10枚入ってたの。そのうちの1枚を取り出して、ワープロの右側にあるディスクドライブに入れろって。ディスクドライブって何って聞いたら、ワープロの右側に、フロッピーが1つ分入る穴があるだろう、って。あ、本当だ。蓋が閉まってるけど、フロッピーと大きさがぴったりあう穴があるわね。私、彼の言う通りにしたら、今度はメニューからシステム管理とか言うのを選んで、フォーマットっていうのを選んで実行キーを押せ、って。そしたら、そのディスクドライブからジッジッジッって音がしてぇ、ほとんどつきっぱなしになるぐらい速いスピードで、ランプがついたり消えたりしたの。1分ぐらいかな? しばらくしたら、ランプが消えたよ、ってひろし君に言ったら、フロッピーに保存する方法を教えてくれたのね。ついでに、呼び出す方法も教えてくれたの。これなら電源を切っても大丈夫だって。なあんだ、フロッピーってこうやって使うのか。メモにカキカキっと。

で、よく考えたら、私印刷する方法を知らなかったのね。これも彼に教えてもらっちゃった。んで、ワープロは実際に使ってみるのが一番速い覚え方だよ、って事と、今度の日曜日にちゃんと迎えに行くからね、って話をして電話を切っちゃった。

九、

壁の時計はもう11時を回ってる。早くレポート仕上げようっと。その前に、まだ飲み掛けのコーヒーがあったよね。このコーヒー、完全に冷めちゃってる。まあ、ひろし君と1時間ぐらいは電話で喋ってたから、当り前よね。

取りあえず、タイトルっと。んで、センタリング。あ、ほんと、タイトルが真ん中になった。へぇ、便利ねぇ。今度は、私の名前っと。ここで、右寄せ。あ、これって面白い! なんか思わず遊びたくなっちゃうけど、レポートがあるんだったね。私、キーボード打つの遅いから、これだけでもすっごく便利よね。

なんて部屋には誰もいないから、最初はぽつりぽつりから始まって、だんだん打つのが速くなって行く感じがする私なの。でも、手元をじっと見て画面が見れないから、打ち間違えたのに気がつかないのね。んで、変換なんて押したらとんでもない漢字が出て来るの。「私の意見です」が「私の入れんです」になったのは笑っちゃったな。キーが隣どうしだったらパッパッて打てるんだけどね。うんうん、この分だったらレポートなんとかなりそう。

ふぅ、やっとできたぁ~~~~~っ!
今何時かな? え~~~っ、もう2時?

なんか時間忘れてワープロ君に夢中だったみたい、私。さてと、印刷しようっと。
あ、しまった! 紙がない!

私、ちょっと考えたの。まあいいかって感じで、レポート用紙に印刷しようと思ったのね。えーと、どっち向きに紙を入れたらいいのかな? まあどっちでもいいや。どうせ読むのは教授だしね。

えーと、紙をセットして、あら、なかなか真っ直に入らないなぁ。・・・よしっと。何度も何度も紙を入れたり出したりしたけど、やっと入った。紙入れるだけでも大変ね。んじゃあ、印刷っと。なんか初めての印刷って、うまくできるかどうかドキドキするわね。

ワープロ君からウィーンウィーンって音がしたの。
やった~! 印刷ができた~~~と思ったら、何も書いてないのね。
あれ~~~っ、ひろし君の言う通りやってんだけどなぁって思って、もっぺんやってみたの。紙をもっぺん入れ直して印刷っと。やっぱりドキドキするわね。ワープロ君からウィーンウィーン。でも、やっぱりダメ。

そうか! そう言えば、この前ひろし君と一緒に寺町まで行った時、お店にワープロ用紙なんて置いてあったわね。あれを使わないといけないんだぁ。でも、こんな時間に気付いたって、ワープロ用紙売ってるとこってどっこもないよね。と、とうとう私は諦めて手書きのレポートを出すことにしたの。もうガッカリ。だって、どうやったら印刷できるかわかったのに、ただ紙がないだけで諦めるなんてくやしいでしょ?

え? さんざん苦労して打ったあのレポートは、どうしたかですって? 要らないけど、なんかもったいないからフロッピーに保存しといたわよ。んで、手書きのレポートを提出した後で、ひろし君に電話で聞いたんだけどぉ、ワープロ用紙を使わなかったから印刷できなかった、と言う訳じゃなかったのね。なんか、印刷する時にはインクリボンとか言うのが要るんだって。フロッピーとかインクリボンとかよくわかんないから、今度日曜日に聞こうっと。ちなみに、彼もリボンのことを説明するの忘れてたみたい。その埋め合わせに、今度の日曜日はおごってくれるんだって。ラッキ~~~。

十、

日曜日、ちょっと早起きして・・・どころか、思いっきり早起きだったな。大学に行く時なんか、自主休講なんて良くない手を使って遅起きしてるけどね。今日は早起き。だって、ひろし君からの電話が、いつ掛かって来るかわかんないもんね。

でも、ちょっと早く起き過ぎたかな? 壁の時計を見たら7時だしね。さてと、汗臭い女の子なんて思われるのやだから、シャワーでも浴びて来ようかな? さすがのひろし君も、7時には起きないよね。わかってはいても、なんか落ち着かないな。シャワー浴びてても、なんか電話のベルが鳴りそうな気がするの。耳の中で鳴ってる、電話のベルが。

シャワー浴びてゆっくりしてたら、ひろし君からの電話。もしもし、って言う彼の声、なんか眠そうね。朝の8時だしね。何時に行こうかなって彼が聞くから、いつでもいいよ。でも、できるだけ早く逢いたいなって言ったの。そしたら、今からこっちに向かうって。じゃあ、8時半には着くよねって聞いたら、うーん9時ぐらいになるかもしんないねって。じゃあ、ということで9時に竹田の駅で待つことにしたの。

なんかこの1時間、すっごく長く感じたな。30分も早くから待ってみたり、ひろし君が間違えそうだから、西口と東口の跨線橋をうろうろしたりね。

こんなことしているうちに、ひろし君の車だけは見つかったの。あら、変ねえ、ひろし君はどこへ行っちゃったのかしら。私、車の中の運転席のあたりをじっと眺めてたの。ハンドルが寂しそうにちょこんと座ってたな。持ち主を待ってるのは、私だけじゃなかったみたいね。

「ごめん。待ってた?」

こんな声がして後ろを振り向いたら、ひろし君が立っていたの。

「ううん、今来たとこなの。」

私ってうそつきね。ほんとはひろし君が来るのをずっと待ってたのに。

「いや、どうせ9時って言ったから、缶コーヒーでも飲みながら待ってようかと思ってたんだよ。はい、これ。」

そう言って、ひろし君は缶コーヒーを1つ、私にくれたの。

「へぇ~~~、どうしてコーヒーが好きって知ってたのぉ?」
「あ、そうなの? 俺、よく缶コーヒー飲むからさぁ。それで。」
「内緒にしておきたかったんだけどなぁ、コーヒーが好きな事。」
「どうして?」
「だって、コーヒーが好きな女の子って、好きもんだって言うじゃない。」
「そうなのかなぁ、あんまり気にしないけど。」
「あたし、軽い女の子だなんて思われるのやだもん。だから、ひろし君と一緒の時は紅茶とか飲んでたけどね。」
「でも、この年になってコーヒー飲めない人っているかなぁ。」
「いるわよ。うちの大学に。」
「ほんと?」
「うん。その子がまだすっごいの。まず、コーヒーのたぐいがダメでしょ? で、炭酸が入ってるとダメでしょ? だから、コーラとかも飲めないの。」
「うそぉ、コーラって俺たまに飲むけどなぁ。」
「ほんと、気の毒な子なのよね。」
「でも、喫茶店とか行ったらどうするんだろう?」
「うーん、その子は紅茶とか飲むらしいけどね。」
「あ、そうか。紅茶っていいよね。2杯分来るから。」
「そうなの。大抵ティーポットとかに入って来るの。あれって2杯分ぐらい入るでしょ?」
「あ、ひょっとして恵美ちゃんがいっつも紅茶飲んでるのは、それで?」
「うん。そうなの。本当はコーヒーが好きなんだけどね。」
「あ、やだなぁ。恵美ちゃんって好きもんなんだ。」
「え~~っ、ひろし君だってコーヒー好きじゃない! いやよぉ、ひろし君好きもんだったら!」

と私のこの一言で、会話がふととぎれたの。窓の外は、いつの間にか人気のない山の中なのね。ひろし君の車がスピードを落としてぇ、あれよあれよで道端に止まったの。

そして・・・ふっふっふ。大体想像がつくでしょ? え? やっぱり言うのぉ? なんか恥ずかしいな。どうしても知りたい? んじゃあ話すね。

ひろし君の車が道端に止まって、ひろし君が運転席から私の方に身を乗り出して、顔がどんどん近づいて来るの。もうひろし君がなにをするかわかったから、目をそっと閉じたのね。そしたら、お待ちかねのディープキス。なんか息が苦しくなってきたなぁと思って目を開けると、ひろし君の手がシフトノブから離れて、私の左胸辺りをまさぐってるの。もう運転席のシートは完全に倒してあって、助手席も倒したのね。今度はその手が、私の左の太股をいやらしくまさぐっててぇ、背中の筋までピクンとなっちゃった。触るというよりは、触れるか触れないかぐらいのところかな?

・・・という訳で、後はご想像にお任せします・・・はい。でも、いまだにこんなこと思い出しては、くすくす笑ってる私なのよね。