きつイ奴ら

~先生にも、青春を下さい~


第一章 嵐山大三郎先生登場

春うららの四月、もうじきほころびそうな桜の花と、心地の良い春風。誰でも浮かれそうなこの季節。中でもとりわけ浮かれている先生がいた。この先生こと、中田先生。本名は、中田拓也。年齢二十六歳。先生歴四年。担当科目は英語。上風学園の問題児として、その名前を知らないものはいなかった。彼の甘いマスクは、もちろん女子人気ナンバーワン。だからとっかえひっかえやりまくっているからと言うわけではない。正確には、それは事実なのかもしれないが、それ以上の問題があった。彼は、成績よりも青春エンジョイ派なのだった。曰わく、学校なんてものは楽しければいい・・・と。上風学園は、県下でも上位を誇る進学校。そうすると、中田先生の教育方針は、上風学園からすれば、邪魔以外の何者でもなかった。

「中田先生っ!」
背後から黄色い声が聞こえてきた。

「紀子先生、おはようございます。」
この女性こと、斉木紀子先生。年齢二十五歳。先生歴三年。担当科目は国語。斉木先生は、男子人気ナンバーワン。中田先生も、もちろんこの斉木先生にあこがれていたのだった。

「今日は、移動日ですねぇ。」
紀子先生は、桜並木を眺めながらこう言った。

「うーん。」
中田先生は、ちょっと憂鬱そうな顔をして、うつむいた。

「問題は、中田先生が今年もちゃんとクラスを受け持ちできるかどうかですよねぇ。」
中田先生は、身長が縮んで、もともと百七十五センチの身長が、紀子先生と同じ百六十センチに縮んだような気分になった。

「先生が受け持った二年一組、成績が学年最下位、しかも問題児続出。」
中田先生は、身長がさらに百三十センチに縮んだような気分になった。

「何しろ、坂本君が初代理事長像の頭にパンツかぶせて十停(停学十日)でしょ? 三停(停学三日)は数知れず。挙げ句の果てに、金城君が不純異性行為で退学ですもんねぇ。」
中田先生は、身長がさらに縮んで、百センチになったような気分になった。

「違うっ!」
中田先生は、身長を復活させる勢いで、こう言った。

「不純なんじゃなくてね、純粋なんだよ。彼らは、・・・ね。」
こう言いながら、すっと肩を抱き寄せた中田先生の頭を一発殴っていく奴がいた。寺田貴夫先生。年齢二十八歳。担当科目は体育。この寺田先生。学生時代にバスケットボールをやっていただけあって、身長百八十センチ。しかも、毎朝ジャージ姿でジョギングしながら出勤するのが日課だった。

「何が純粋なんですか、中田先生。大体、担任がこれだから、生徒もああなるんですよ。ねっ、紀子先生。」
「あ、こら待・・・。」
中田先生が反論する余地もなく、寺田先生は走り去っていった。

「そうそう。中田先生んとこの生徒って、うち(生徒指導部)の仕事散々増やしてくれましたからねぇ。」
「紀子先生までぇ。」
「あはは・・・。でも、もし中田先生が生徒部行きになったら笑えるわよね。生徒よりも先生の方が問題起こしたりして。」
「そこまで言わなくったっていいじゃない。大体紀子先生だって、生徒部よりも図書部の方が・・・」
中田先生がそういった瞬間、二人の背後からけたたましいクラクションが鳴った。振り向くが早いか、真っ黒な車が猛スピードで駆け抜けていった。走り抜けた後、二人の間にしばしの沈黙が流れた。

「・・・あぶねぇ。何考えてんだあの野郎!」
中田先生は、かんかんに怒ってこう言った。そして、紀子先生もかんかんに怒っていた。

「中田先生・・・、今どさくさに紛れて私のおっぱい触ったでしょ!」
「え・・・、いや、あれはですねぇ、とんでもない奴がすっ飛んできて、で、紀子先生危ないなって思って・・・だから、あれははずみなんですよ。大体、紀子先生ともあろうお方がおっぱいだなんてそんな・・・」
照れ笑いを浮かべなから何とかその場を取り繕うとした中田先生の肩をたたく人がいた。

「おっぱいじゃなかったら何なんですか、中田先生。」
「きょ・・・教頭先生・・。」
宮崎雅也教頭。年齢四十八歳。この教頭というのがやけに色が白くて、しかもまるで女のようなしゃべり方をする。しかも、ねちねちと。もちろん、他の先生からも嫌われている。

「まぁ相変わらず、ハレンチなことですね、朝っぱらから。」
教頭は、やけに嫌みったらしい言い方で、こう言った。

「いや、あれはですね。わざとやったわけじゃなかったんですよ。つまりそのぉ・・・不可抗力ですよ。不可抗力。だから、・・・」
「触ったことは認めるんですよね?」
必死で言い訳をする中田先生を、教頭はこうブロックした。中田先生は、何も言わずに首を三回縦に振った。更に、教頭のねちねちとした嫌みは続いた。

「中田先生、これは何度も言ったと思いますが、今ここでもう一度言わせていただきます。あんたは上風学園のガンです。史上最悪の教師です。ま、この分だと嵐山君の方が幾分ましでしょうね。」
「嵐山君?」
中田先生と紀子先生は、きょとんとした顔でこう聞いた。

「そ。嵐山大三郎君。今日から我が上風学園に赴任してくる先生。」
「は?」
中田先生と紀子先生は、ともにきょとんとした顔をした。というのは、確かに今年新しい先生が赴任してくると、教職員の間で噂になっていた。しかしこの新任教師、校長が万全の自信を持っていた。曰わく、

「あの先生こそが、我が上風学園復活の切り札、つまり最終教師だよ。」
校長があれだけの自信を持っている先生が赴任してくる。この先生がどんな先生なのか、教職員の間ではすでにおよその見当がついていた。つまり、相当のエリートである・・・と。そこで、この先生は男か女か、担当科目は何か、どのクラスを受け持つのか、そしてどのクラブの顧問になるのか、・・・等々。とにかく、教職員の間であらゆる憶測が流れた。この最終教師が問題児とは、およそ思ってもみなかったのだ。

「教頭先生、その嵐山先生って、まさかあの校長先生が太鼓判を押してた、あの先生ですか?」
紀子先生は、不思議そうな顔をして教頭にこう聞いた。

「よくぞ聞いてくれました斉木先生。そうなんですよ、これが。もう私朝から頭が痛くてしょうがないんですよ。一人でも十分な問題児が、今年から更にもう一人増えるんですからね。こういう感じのね。」
教頭は、中田先生を指さしてこう言った。

「聞き捨てならないですね、教頭。大体その嵐山って奴はどんな奴なんですか、嵐山って奴は。」
中田先生は、ムキになってこう言った。

「まあまあまあ、そうあわてないで。今日の朝礼までのお楽しみとさせてくださいな。さ、斉木先生、参りましょ? こんなのと一緒に歩いたら、後天性問題児症候群が移りますよ。」
教頭は、こう捨てぜりふを残して、紀子先生を連れてすたすたと歩いていった。面白くないのは、中田先生だった。

「ちぇっ、あんなところで教頭に会うなんて。こりゃ新学期早々先が思いやられるわ、こりゃ。ま、偶然とは言え紀子先生のおっぱい触れたもんな。あの野郎に腹立てていいのか感謝していいのかわかりゃしないよ。」
・・・と、複雑な心境の中田先生。学校へ向かってすたすたと歩いていると、渋滞の列。この先には交差点があり、このあたりでは渋滞の名所となっていた。渋滞の列を抜け、ある種の優越感を味わっていた中田先生は、この名物ともいえる渋滞の中に、見覚えのある車を見つけた。黒くてでかい外車。しかも、ガラスは黒のフィルムでびっしりと覆われていた。中田先生は、フロントガラスから運転席をじっとにらみつけた。やけに倒してある背もたれ。そこに座っていたのは、いらいらした風でたばこを吸っているサングラス姿の大男だった。運転席側のパワーウィンドウが開くと、普段たばこを吸っている中田先生ですらむっとするようなたばこの臭いと、運転席にどかんと座って、高そうなたばこを口に加えた大男だった。

「なんやお前、文句あんのか。」
この大男の言葉。関西地方の人間が聞けば、特になんてことはなかった。しかし、関東方面の人間から見れば、十分威圧感のある言葉だった。

「げ、やくざ弁・・・。」
中田先生は、心の中でこう言った。これは何とかして逃れなければならない。彼はそう思った。

「え、お前って・・・もしかして僕。」
中田先生は、とぼけたふりをして、自分の顔を指さしてこう言った。

「当たり前やないか。他に誰がおんねん。」
この大男は、腹を立ててこう言った。中田先生は、辺りをきょろきょろと見回した。確かに、誰もいなかった。

「そ、そうですね。僕しかいないみたいですね。ははははは・・・。」
中田先生は、苦しげに笑い始めた。

「はははとちゃうやろが。お前なぁ、わしをおちょくっとんのか。」
「え? おちょくってる? そう見えますかねぇ、お兄さん。ままま、ここで喧嘩はよしましょう。この顔に傷ついたら、全国の女子高生たちに申し訳ないでしょ? ねっ。」
大男の肩をたたく中田先生のネクタイを、大男は鷲掴みにした。

「お前な、何寝ぼけたことゆうとるんじゃ!」
そこへ、後ろからクラクションが鳴った。ふと見上げると、信号が青になっていた。中田先生は、大男の手をほどくと、こう言った。

「お兄さん、信号。」
大男は、しょうがないなと言う顔をした。

「今度ばかりは許したる。そやけどな。次おうたらただじゃ済まさんで。ええな。」
大男はこう捨てぜりふを残して走り去っていった。

「ありゃ出来過ぎてるな・・・」
中田先生は、こうつぶやいた。つまり、この大男はどう見てもやくざ。それも関西方面の。もしこれでやくざでなければ、あまりにもディテールが凝り過ぎている。中田先生はそう思った。

この交差点を抜けると、学校まではすぐ。あっと言う間に校門を抜けると、校舎の前のガレージにあの黒い車が止まっていた。

「げっ・・・。」
この車を見た途端こうつぶやいた中田先生の肩をたたいたのは、真智子先生だった。

真智子先生こと、和田真智子先生。年齢二十四歳。社会科担当。教師歴二年。旧二年三組担任。この真智子先生と言うのが、紀子先生に次ぐ男子人気ナンバー二。そして、こともあろうに中田先生を密かに思っていた。

「中田先生、おはようございます。」
「真智子先生・・・」
「先生、ちょっと・・・」
真智子先生は、中田先生を手招きした。そして、ガレージから校舎の片隅に呼び寄せた。

「これは内緒なんですけどね・・・」
真智子先生は、声を殺してこう言った。

「いきなりこの車が止まったかと思うと、中からやくざが出てきたんですよ。」
「やくざ?」
中田先生は、こう聞き返した。真智子先生の話は続いた。

「で、たばこ加えたまんま堂々と正面玄関に入っていったんですよ。そしたら、あの校長が、やけに他人行儀な感じで校長室へ通したんですよ。あれはあれですね。借りてきた猫ですね。」
「あの狸が?」
中田先生は、こう言った。この校長。丸々と太っていて、しかも堂々たる風格。本人の前では絶対に口にしないものの、教職員の間では、狸とは校長の代名詞だった。

「そうそう。もしかしてうちの学校、やくざの手に落ちたんじゃないですか?」
真智子先生は、こう言った。

「それとも身売りでもしたとか?」
中田先生は、こう言って腕を組んだ。

「さあ・・・」
中田先生と真智子先生は、こう言って首を傾げていた。そこへ、ベルが鳴った。

「あ、ベル鳴った。朝礼だ。」
中田先生と真智子先生は、職員室へと急いだ。職員室ではすでに朝礼が始まっていて、職員は全員起立。中田先生と真智子先生が駆け込んだ瞬間、扉の横で訓示を垂れていた校長は、ごほんと咳をした。

「遅くなりました。」
中田先生は一礼をして、職員の列の中に混ざった。ふうと息をして校長の隣を見ると、なんとあの大男が立っていた。

「あっ!」
中田先生とその大男は、同時にこう奇声を上げた。

「遅刻してきた中田先生と和田先生にも紹介しよう。嵐山大三郎先生。担当科目は数学だ。」
校長がこう紹介するが早いか、嵐山先生はこうすごんだ。

「こらおっさん!」
サングラスを取り、すたすたとしっかりとした足取りでゆっくり歩いていった。方角は、中田先生の方だった。周りの先生方は、さも恐ろしそうに嵐山先生を見届けていた。そして、真智子先生は小声でこう言った。

「中田先生、知ってたの?」
そうこう言っている内に、中田先生の真ん前に立った。そして、中田先生ににらみを利かせた後、右肩をたたいてこう言った。

「気に入った。」
この一言を聞いた職員一同、大いにずっこけた。

「いやぁ、中田君を気に入ってくれたか。それは結構!」
校長は、高笑いをしながらこう言った。

「ちょっと待ってくださいよ、校長。結構結構って、何が結構なんですか。」
中田先生は、嵐山先生の手を振り払い、こう言って校長に詰め寄った。

「あはは、こりゃ失礼。まま、そうあせりなさんな。まだ朝礼は済んでないから、とりあえず席に戻ってくれ。」
この後、校長からの訓辞が延々と続いた。その後、教頭から担当部署の説明があった。

「今年度の担当ですが・・・、基本的には昨年から持ち上がりとなります。昨年度三学年を受け持った先生方は、一学年の同じクラスを受け持っていただきます。ただし・・・昨年度の二年一組については、引き続き中田先生に受け持っていただきますが、副担任として嵐山先生に受け持っていただきます。」
この瞬間、職員室の中に拍手喝采が起こった。

「え? 俺担任とちゃうのん?」
嵐山先生は、不機嫌な顔でこう言った。中田先生も不機嫌な顔をした。

「ばかか。お前は!」
「なんでやねん。わしてっきり担任か思うてたわ。」
嵐山先生は、大声を上げた。

「黙らっしゃい!」
教頭も、ついに大声を上げた。

「いくらなんでも、今年先生になったばかりなのにクラス担任なんて持たせるわけないでしょうが! 常識で考えなさい、常識で!」
「ですよねぇ、教頭。」
中田先生は、ここぞとばかりに嵐山先生を攻撃にかかった。嵐山先生は、しゅんとした。

「で、それはわかるんですけどね、教頭。何なんですか、副担任って。そんなのいつからできたんですか。」
中田先生は、また大きな声で怒鳴り始めた。

「実はですね、今年度からできたんですよ。本来なら、嵐山君には進路部とか、生徒部とかに配属しようかという声もあったんですよ。しかし、やはり人間味のある先生に育って頂くためには、クラス担任を受け持つべきなのです。しかし、嵐山君は教師になったばっかりであまりにも未熟。そこで、今年度に限り、あくまでも職員の教育という目的で、副担任制度を作ったのです。すなわち、担任を補佐していく内に教師として成長して下さい、ということですね。」
教頭は、淡々とこう答えた。

「ま、問題児ばっかりそろったクラスですから、担任も一人じゃ大変ですもんね、中田先生。」
この声の主は、内海義彦先生。年齢四十八歳。理科担当。先生歴二十六年。新三年二組担当で学年主任。この先生の特長は、その頭。てっぺんが見事にはげて、わずかに毛が残っていた。そこへ眼鏡をかけたあの姿は、いかにも科学者という感じだった。

「嵐山先生、これはあくまでもいつかは知らないといけないことなんですよ。ただ、それをあえて今私が申し上げているだけのことなんですけどね。まあ、あのクラスは問題児の集まりですね。確かに、うち(上風学園)は問題のある生徒を一組に集めるんですけど、去年の二年一組はとりわけひどかった。ま、何があったか言い出したらきりがないからやめときますけどね。でもいいんじゃないですか。もしちゃんと教えられなくても、言い訳はできますよ。何せ、担任があれですからね、あれ。」
内海先生は、この「あれ」をやけに強調し、中田先生を指さしてこう言った。

「ということは・・・つまり、私ゃこいつのケツ拭き役も兼ねていただきたい・・・ってことですかね。」
嵐山先生は、中田先生の肩をたたいてこう言った。そして、わっはっは・・・と大笑いした。

「納得行きませんね。一時的とはいえですね、他に適任者がいるでしょうが。なんで私がこんな奴のお守りなぞやらにゃならんのですか。」
中田先生は、かんかんに怒ってこう言った。

「お前なぁ、わしと組むのがそんなにイヤか!」
嵐山先生も、大声を出した。

「黙らっしゃい!」
教頭も、ついに大声を出した。嵐山先生と中田先生は、急にしゅんとした顔になった。

「そりゃあ確かに、納得行かないでしょうよ。言わせていただいたら何ですけどね。あたしだって納得行かないんですよ。あんた達をくっつけたら、そりゃあどんな恐ろしいことが起こるか。大体合うなり口げんかだなんて。私ゃ先が思いやられますよ。ああ、頭が痛い。」
「ままま、教頭。きっとこの二人のことですから、いいコンビになりますよ。目には目を。問題児には問題児をって言うじゃないですか。ささ、あきらめて戻った戻った。」
内海先生は、よくわからないことわざを持ち出して、こう言った。そして、嵐山先生と中田先生の背中をぽんとたたいた。

「ええ・・・、ではこのほかに異動になった先生方を発表します。寺田先生が生徒部に、斉木先生は図書部に移っていただきます。以上です。この後、各教科ごとに分かれて編成会議を行っていただきます。会場は、プリントでお配りした通りです。それでは、移動してください。」
編成会議とは、各教科の先生方が、誰がどの時間にどのクラスを教えるかを決める会議のことだった。もちろん、各クラスの名簿と、時間割はすでにできあがっていた。ここへ、先生方を割り当てるのだった。科目によって、しゃんしゃんで終わる場合もあれば、散々もめまくる場合もあった。この会議が終わると、その日の先生方の勤務が終わるのだった。

「ねぇねぇねぇ、中田センセ・・・」
真智子先生は、中田先生にくっついてこう言った。

「こういう時ってぇ、例えば家庭科とかぁ、音楽とかぁ、美術とかぁ、工芸とか見てる先生って有利だと思いません?」
「なんで?」
中田先生は、わざとらしくこう聞いた。

「だってぇ、先生一人しかいないんでしょ? だったら会議する必要ないじゃない。」
「真智子先生ねぇ、それって確か去年も言ってなかったっけ?」
「そりゃあぼやきたくなりますよぉ! だってぇ、社会科って毎年もめるんですもん。地理はやだとかぁ、現社(現代社会)やりたいとかぁ。」
「その点、英語は有利だよな。学年変わっても教える内容そんなに変わんないもんね。その代わり、先生の数も多いけど。」
こんなことを喋っている中田先生と真智子先生の背後から、こんな声が聞こえた。寺田先生だった。

「体育なんて、全然変わんないもんね。今年もやっぱり中田先生んとこ志願しますよ。だってあのクラス、教えてて面白いんですもん。あの体育での熱意、他の科目に向けて欲しいもんですね。」
寺田先生は、ややいやみ混じりにこう言って走り去っていった。

英語の編成会議が終わり、来た道を一人で歩いていく中田先生。背後からクラクションが鳴った。振り返ると、あの黒い車だった。助手席のパワーウィンドウが開き、嵐山先生はこう言った。

「乗れや。」
中田先生は、ふうっと息をして、車に乗り込んだ。

「げっ、たばこの臭い・・・」
中田先生は、車に乗るなり思わず鼻を覆った。

「臭うんやったら、上開けようかぁ?」
嵐山先生は、こう言ってサンルーフを開けた。それでも、相変わらずたばこを吸い続けるから、臭いと煙でむせかえりそうだった。

「嵐山先生、もしかしてこの車に女乗せてねえんじゃないのか。」
中田先生は、ふとこう口にした。

「そらどういう意味やねん。」
嵐山先生は、不機嫌そうな声でこう言った。

「いや・・・それはね。・・・できすぎなんだよ。だって朝のあの時さぁ、てっきりやくざのどら息子でも出てきたのかと思っちゃったよ。それが先生って言うんだからさぁ。」
「やくざのどら息子かぁ。」
嵐山先生は、意味ありげな笑いを浮かべた。

「なんだよ。この姿形がやくざじゃなかったら、何だってんだよ。」
「誰もやくざやないってゆうてへんやないか。」
「じゃあ、まさか・・・」
嵐山先生は、にやりと笑った。

「実はな。わしの親父がお前んとこの学校にな、寄付金出したんや。その代わりとゆうたら何やけどな。わしの就職先を何とかせえと。それもかたぎの世界でな。ま、それで先生になったっちゅうわけや。」
確かに、もしこの嵐山先生の話が本当だったとすると、確かにこの嵐山先生は学園復活の切り札だ。中田先生はそう思った。

「まさかぁ・・・」
中田先生は、疑っていた。と言うよりは、頼むから嘘であって欲しい。そういう気持ちの方が強かった。

「わしが嘘ゆうてるとでも言いたいんか?」
嵐山先生は、むしろ静々とこう言った。

「いや、別にそういう訳じゃないんだけどね。ただね。その寄付金、一体どこに使うのかなぁなんて。」
中田先生は、笑いながらこう言った。

「温水プールを作りたいんだと。」
嵐山先生は、あきれたような口振りでこう言った。

「温水プール?!」
「そ。でもええでぇ、温水プールあったら。年がら年中水泳の授業できるしなぁ。」
「そそ、でもって年がら年中女子高生の水着姿を眺め放題! いいじゃないの。あたしゃ先生になってよかったって感じだよね。もう毎晩のおかずには事欠かないみたいな・・・。」
中田先生は、満面に笑顔を浮かべた。

「そやろ。もしこれがほんまやってみい。もう学園天国やで。」
「そうだよね。大体この学校ってさぁ、プールがないんだよね。そりゃあブルマ姿もいいけどさぁ、やっぱ水着姿にはかなわねぇよなぁ。『あの子思ったよりおっぱい大きいなぁ』なんてね。ははははは・・・おい。」
中田先生は、マジで怖い顔をした。

「いやぁ、ええのりしてるやんか。」
「嵐山先生!」
「ちょっと待て。わし嵐山先生って呼ばれるのん、どうもイヤやなぁ。嵐って呼んでくれや。」
「アラシ、まあな。確かに嵐山大三郎って長い名前だもんな。大体『嵐山』って名字も長ったらしいよ。で、大三郎と言うよりは、大五郎って言った方が正しいみたいだけどな。」
中田先生がこう言うと、嵐山先生がむっとした。

「自分、名前は?」
「中田拓也。」
「そうか。そやったら、頭取って中かな?」
「なんじゃそりゃ。」
こんな感じで、嵐山先生と中田先生は、ああだこうだとしゃべっていた。あれから何分過ぎたか。車は、普段中田先生が乗り降りしている駅を通り越して、とある繁華街で急ブレーキがかかった。

「ぎゃ! なんなんだよ、危ねぇなぁ。」
「ナカ、あれ見てみい。」
嵐山先生が指さした先を見ると、酔っぱらいらしきグループがいざこざを起こしていた。もちろん理由はわからないが、一人が大声を上げると、また一人がまた大声を上げ、別の一人が大声を上げると、また別の一人が大声を上げた。そして、ついに一方が、

「お前、ふざけんじゃねえそ!」
と大声を上げて、相手のネクタイを鷲掴みにした。どうやら、酒を飲んだ上での些細ないざこざが、グループ同士の喧嘩へと発展したらしかった。

「こらおもろいことになるんとちゃうか?」
嵐山先生は、さも楽しそうな顔をした。そして、扉を開け、今にも現場へ飛び出しそうな嵐山先生を、中田先生が止めた。

「アラシ、待て。この場合、お前が参加してもメリットはないぞ。どうしてもって言うんだったら、せめてこっから見てるぐらいに・・・あら。」
中田先生がこう言って、運転席をふと見ると、嵐山先生の姿はなかった。ふと現場の方を見ると、

「うお~~~っ、喧嘩じゃ喧嘩じゃ!」
と嬉しそうに喧嘩に参加する嵐山先生の姿があった。

「あちゃ~~~っ。」
中田先生がこうつぶやくが早いか、嵐山先生は男をところかまわず殴り始めた。殴られては殴り返し、蹴られては蹴り返していた。これが最初の内、数人VS数人だったのが、いつの間にか嵐山先生VS多数に変わっていた。訳の分かっていない嵐山先生が訳の分からない参加の仕方をしたから、完全に喧嘩という火に油を注いだ格好になっていた。こりゃいかんと、ついに中田先生も重い腰を上げた。最初の内、中田先生はこの喧嘩を止めようと中に割って入った。ところが、中田先生も多数の人間から散々殴られた。ここから、嵐山先生と中田先生は二人で殴りにかかった。この時点で、もうこの喧嘩の最初の目的など誰もわからなくなっていた。そして誰が呼んだか警官が駆けつけて、ようやく事態は収まった。

「嵐山先生、中田先生、一体あんた達は何考えてんですか、全く。そりゃあ例えばうちの生徒が危険にさらされたとか、女の子がよってたかって暴行されてたとか、そういう理由で喧嘩に割って入ったんだったらまだいいですよ。何なんですか、ただ面白そうだったからって。」
翌日、嵐山先生と中田先生は、教頭からこってりと油を絞られた。

「罰として、グラウンド十周。寺田先生、立ち会ってあげなさい。」
かくして、嵐山先生と中田先生は、罰ゲームを受ける羽目になった。

「アラシ、おめ~はいいよ。勝手に喧嘩に参加したんだからな。なんで俺がとばっちり食わなきゃなんねえんだよ。」
「何ゆうてんねん、ナカかてえらい楽しそうやったやんか。」
「あのねぇ、喧嘩楽しんでんのは、日本中探したってあんただけ。俺はただ単に止めようとしたの。」
「ほんまやな?」
最初の一周こそ、こうやって口げんかしながら走っていた。そして、口げんかが過ぎると、寺田先生のホイッスルが鳴った。

「どうでもいいけどねぇ、本当にとばっちり食ったのは私ですよ、私。この一件とは何ら関係ないんですからね。ほら、走った走った!」
そう言いながら、嵐山先生と中田先生を、竹刀片手に追い回した。最初の二周こそ、こんな感じで元気いっぱいだった。七周目、八周目ともなると、嵐山先生、中田先生ともばて始めた。

「ナカ、あと何周だ?」
嵐山先生は、息絶え絶えにこう聞いた。

「話しかけるな。いらん体力を使うだろ?」
中田先生も、息絶え絶えにこう言った。

「こらーーーっ! なに喋ってる! 罰としてあと五周!」
竹刀の音とともに、寺田先生はこう叫んだ。しかし、嵐山先生と中田先生は、十周を走りきったところでとうとうグラウンドに座り込んでしまった。

「根性が足らん!」
寺田先生は、竹刀の音とともにこう叫んだ。

「そりゃああんたは体育の先生だからいっつも走ってるかしらんけど、わしゃ数学の先生やで。」
嵐山先生は、ぜいぜい息をしながらこう言った。

「そそ、俺英語の先生。かけっこなんて、およそ畑違いって奴でしょ?」
中田先生も、ぜいぜい息をしながらこう言った。

「お前ら泣き言言ってんじゃねぇよ。いいか。お前らは端っくれとは言っても教育者だ。教育は、体力だ! 根性だ! お前らにはそう言う根性が足らん!」
嵐山先生と中田先生は、疲れたような拍手を送った。そして、寺田先生を冷やかすかのようにこう言った。

「立派立派。そこまで言えたら、ほんと立派だよ。な、アラシ。」
中田先生がふと横を見ると、隣でばてているはずの嵐山先生がいなかった。何気なく渡り廊下を眺めると、嵐山先生が、紀子先生に声をかけていた。

「先生、今晩お暇ですか?」
中田先生と寺田先生は、見事にずっこけた。紀子先生は、きょとんとした顔をしていた。寺田先生はポケットから赤いカードを差し出し、ホイッスルを鳴らした。

「お兄さん、ラッキーだね。退場だってよ。退場。まだ罰ゲーム終わってないもんね。それより紀子先生、今晩カラオケでも行きません?」
中田先生は、紀子先生の肩を抱いてこう言った。紀子先生は、その手を振り払い、中田先生の両肩に手を置いた。そして、ちょうど回れ右をする格好で、中田先生を百八十度反対に向けた。中田先生の目の前には寺田先生が立っていて、紀子先生は、中田先生を寺田先生に差し出す格好でこう言った。

「寺田先生、かまいませんからこの二人の根性を鍛え直してください。それじゃ、お先です。」
紀子先生は、この言いぐさと満面の笑顔を残して、すたすたと歩いていってしまった。

「の、紀子先生!」
嵐山先生と中田先生は、紀子先生を追いかけようとした。しかし、寺田先生が二人の襟首を後ろからつかんでいた。そして、そのままグラウンドへと連れ戻された。

かくして、波瀾万丈の状態で始業式を迎えることになった。

四月八日の始業式。この日は朝から体育館で始業式があり、続いて新任教師の紹介と続き、各教室でのホームルームで締めくくりとなっていた。

「全校生徒のみなさんにお知らせします。八時五十分より、始業式を行います。全員体育館に集合し、名簿順に二列に並んでください。」
全校放送でこう告げられ、先生方が体育館に集まる頃には、一年生を除く全校生徒が体育館にきれいな列を作っていた。先生方は、舞台に向かって右側に一列で並ぶことになっていた。舞台の脇にマイクが立っていて、その前に教頭が、教頭の隣に校長が立っていた。教頭の隣には嵐山先生、その隣に一年生担任の先生方、続いて二年生担任の先生方、その隣に中田先生が立っていた。中田先生の隣が、内海先生。その隣が、新三年三組担当の真智子先生。真智子先生の隣が、新三年四組担当の竹本真理男先生。紀子先生と同じく国語担当の三十歳。先生歴八年。その隣が、新三年五組担当の稲垣 清先生。真智子先生と同じく社会科担当の三十五歳。先生歴十三年。以下、生徒部の先生方、図書部の先生方、進路部の先生方がずらりとならんだ。

「それでは、ただいまから一学期の始業式を始めます。まずは、校歌斉唱。」
教頭の声が体育館に響き、続いて校歌を録音したテープが流れた。昨年までは、実際に舞台の上にグランドピアノが置かれ、音楽担当の先生が伴奏し、本当に生徒全員が歌ってていた。それが、準備に手間がかかる、校歌を覚えている生徒がほとんどいない等の理由で、今年から廃止になった。代わりに、コーラス部の歌声とピアノの伴奏を録音したテープを流すようになった。

「続いて、校長先生からのご挨拶です。」
教頭の声が体育館に響くと、校長が舞台の上に上がり、壇上に立った。

「おはようございます。今日から新学期が始まります。我が校も、今年で二十歳になりました。人間に例えれば、大人になったわけです。この学校と一緒におぎゃあと言って産まれた子が、今年成人式を迎えます。いわば、節目に当たる年です。そこで、我が校も改革が必要なのではないか。私はこう考えています。」
校長の挨拶と言う名のワンマンショーは、この後延々十分も続いた。この挨拶の中には、「改革」であるとか、「新しい時代」であるとか言うフレーズが、かなり耳についた。教職員の間からも、ひそひそ声が流れた。

「この挨拶の長さも、確かに改革だよな。」
であるとか、

「改革、改革って、今年から校舎の建て増しでもするのかな。」
であるとか言う言葉が流れた。

「続いて、今年からみなさんを受け持っていただく先生をご紹介します。」
嵐山先生が舞台にあがった。濃い茶色の背広の上下で、相変わらずサングラスをかけたままだった。生徒の間で、一瞬どよめきが起こった。

「今年から、新三年一組を受け持っていただきます、嵐山大三郎先生です。」
嵐山先生は、軽く礼をした。

「先生は、高校を卒業した後、社会人として経験を積み、その後大学を卒業して今年から先生になられました。それでは、嵐山先生からのお話です。」
嵐山先生はまじめな顔をして壇上に立った。そして、一言こう言った。

「今度赴任してきた、嵐山です。どうぞよろしく。」
嵐山先生は、さっさと舞台から降りた。体育館の中は一瞬しんとして、その後どよめき声が起こった。なおもどっしりと立っている校長。マイクの前でおろおろする教頭。

「静かにっ!」
校長が壇上に立ち、マイクに受かってこう怒鳴った。体育館内は、また静けさを取り戻した。

「では、この後各教室に戻って、ホームルームを行います。解散。」
気を取り戻した教頭は、マイクに向かってこう言った。

体育館から職員室へと戻る廊下で、中田先生は嵐山先生を呼び止めた。

「アラシ、お前なぁ、せめて新任の挨拶ぐらいはちゃんとしろよ。」
中田先生はあきれたような口振りでこう言った。

「なんでやねん。じゃま臭いやないか。」
嵐山先生は、不機嫌そうにこう言い返した。

「あのねぇ、こう言うのはじゃま臭いとかそういう問題じゃないの。」
「誰が決めたんじゃ!」
「誰がって、常識で考えろよ常識で!」
「常識常識って言えた義理ですかねぇ、中田先生。」
後ろから歩いてきた内海先生が、嫌みたっぷりにこう言った。

「内海先生、お願いですから俺をこの役から降ろしてくださいよ。いきなりこんなんじゃ先が思いやられますよ。」
中田先生は、訴えかけるようにこう言った。

「中田先生、その言葉、そっくりそのまんまあんたに返しますよ。あたし、何が悲しくてあんた達の上司なんですか。」
「まあまあまあ、とりあえず職員室で一息いれましょ!」
三人の後ろから、真智子先生がノリの良さそうな声でこう言った。

職員室で先生方は、ベルが鳴るまでの間しばしの休憩を取った。嵐山先生は、椅子にどかんと座ったまんま、たばこをぷかぷかと吸っていた。それを、中田先生以下先生方は、気に入らない風で嵐山先生を眺めていた。やがてベルが鳴り、各学級担任が教室へと向かおうとする中、嵐山先生だけが相変わらずたばこをぷかぷかと吸っていた。

「いつまで吸ってんだよ!」
中田先生は、ついにしびれを切らしてこう言った。

「いつまでって、次ホームルームやろ。お前行ってこいや。」
嵐山先生は、何もなかったかのように平然とこう言った。

「あのねぇ、副担任として、担任の指示は聞きなさい。」
中田先生は、あきれた口調でこう言った。

「なんでやねん。ホームルームって担任が行くんとちゃうんか。」
嵐山先生は、なおも平然とした口調でこう言った。

「だからぁ、俺はどういうクラスで誰がいるか、もう知ってるの。お前は知らないだろ。お前が行って生徒全員の自己紹介やってこい。そしたら時間つぶせるだろ。俺が行ったって一時間喋ることねえんだからな。わかったらお前行って来いよ。」
嵐山先生はすっくと立ち、真面目な顔をして中田先生の肩をたたいた。そしてしばらくの間沈黙が流れ、一言こう言った。

「断る。」
「断るって、お前なぁ!」
中田先生は、大声を出した。

「はいはい、わかったから二人とも行ってらっしゃい。これでおあいこでしょ?」
内海先生は、嵐山先生と中田先生をつまみ出した。嵐山先生と中田先生は、渋々廊下を歩いていった。

「アラシ、念のために言っとくけど、教室ではサングラス取れよ。」
教室までの廊下で、中田先生はこう言った。

「なんでやねん。」
嵐山先生は、こう聞き返した。

「なんでって、常識でしょうが。大体サングラスかけて授業やってる先生なんて、俺見たことねえぞ。」
中田先生がこう言うが早いか、嵐山先生が三年一組のドアを開け、教室へと入っていった。

「起立、礼、着席。」
学級委員長の号令に従って、三年一組の生徒全員が一斉に立ち上がり、礼をし、一斉に着席した。

「え~~~、今年一年間、クラス担任を受け持っていただく嵐山大三郎先生です。」
中田先生はそう言って、黒板に大きく「嵐山大三郎」と書いた。

「で、今年から先生は、副担任としてみなさんを見守ることになりました。では、嵐山先生の自己紹介を・・・」
嵐山先生は、中田先生をじろりとにらんだ。

「・・・省略します。」
教室内で、生徒全員ずっこけた。そして、またざわつき始めた。

「それじゃあ、みんなの自己紹介から行こう。名前と得意な科目、不得意な科目、それから自分の性格を一言で、いいかな?」
中田先生は、明るい声でこう言った。教室からどよめきが起こった。

「え~~~、それから。」
嵐山先生は、中田先生にこう付け加えた。

「もし今つきあってる奴がいたら、今ここで白状せい。」
中田先生は、嵐山先生の額を平手でパンとたたいた。教室内は爆笑の渦となった。

「それじゃあ名簿順で、安部から。」
と言う感じで、一回目のホームルームは自己紹介だけで時間がつぶれた。やがてベルが鳴り、嵐山先生と中田先生は、職員室へと戻っていった。その帰りの廊下で、嵐山先生はこう言った。

「ナカ、なんやねんこれ。」
「なんやねんってなんやねん。」
「わしえらい問題児ばっかりって聞いとったから、どんな悪ガキおるかって期待しとったんや。」
嵐山先生は、むしろ残念そうにこう言った。

「ふんふん。」
中田先生は、ただ相づちを打った。

「そしたら、なんやねん、あれ。あんな真面目腐った奴らのどこが問題児やねん。」
中田先生は、少し間をおいた。

「まあな。一応うち(上風学園)は進学校だからな。高校生全体から考えたら、あれでも賢い部類に入るもんな。」
中田先生は、腕組みをしてこう言った。

「そやなぁ、でも結構かわいい子おるやんか。」
嵐山先生は、少し冷やかすかのように中田先生の背中をはたいた。

「そうだな。ここだけの話、こういう楽しみでもないと先生なんてやってられねぇもんな。で、誰気に入った?」
「そやなぁ~~~、小島も捨てがたいけど、やっぱし山口かな?」
「・・・そうか。ああ言う顔立ちがはっきりしたタイプが好きなんか。」
中田先生は、また腕組みをしてこう言った。

「そうそう、わしまたああゆう濃い顔が好きなんよ。」
嵐山先生は満面に笑顔を浮かべ、さも嬉しそうにこう言った。

「アラシ、おふざけはここまで。言っとくけど、職員室ではこんなこと言うなよ。」
中田先生は、嵐山先生を諭した後、職員室のドアを開けた。

職員室に戻ると、教頭と内海先生を除く先生方が一カ所に固まっていた。そして、口々にこんなことを喋っていた。

「そうだなぁ・・・二枠は堅いな。」
「でも、今年は二番人気不在ですからねぇ。」
「まあ、二ー三か、二ー五かな?」
「でも、それじゃ配当ほとんど出ねぇだろう。」
「ああ、単勝式だったらなぁ。」
異様な雰囲気の中の職員室。中田先生は、この先生方の集まりを見て、嬉しそうにこう言った。

「お、来ましたねぇ。明日のGⅢのオッズ確定ですか?」
「GⅢ? なんでやねん。明日競馬なんかあらへんで。」
嵐山先生は、不思議そうにこう言った。

「これこれ。」
真智子先生は、嬉しそうな顔をして嵐山先生に一枚の紙切れを見せた。

「三学年小テスト(GⅢ)オッズ表?」
嵐山先生は、紙切れの一番上にワープロ打ちしてある文字を読み上げ、こう聞き返した。

「そそ。だから、年七回あるんですよ。で、春休みと夏休みの後の小テストが英・国・数の三教科。これがGⅢなんですね。で、一学期・二学期の中間テストが五教科あって、これがGⅡなんですよ。それから、各学期の期末テストが体育以外の全教科で、これがGⅠレースなんですよ。ルールは、各クラスの全教科平均点が高いもん順に当てて下さいと。連勝複式ですけどね。一人二つ掛けて、掛け金は千円。だから、全クラス同じ問題を出して下さい。一クラスだけ簡単な問題を出すのはなしですよ。」
競馬実行委員長の竹本先生が、こう説明した。

「で、今年の春のGⅢが、三学年なんですよ。これが、今度のオッズね。」
真智子先生はこう言って、嵐山先生にオッズ表を渡した。

「おもろそうやんか。わしも一口乗ったで。」
嵐山先生は、嬉しそうな顔をしてこう言った。

「そうでしょそうでしょ? これだったら、教える方も熱意が入りますもんね。」
稲垣先生も、嬉しそうにこう言った。

「わかってると思うけど、校長・教頭・各学年主任には内緒だぞ。」
中田先生は、嵐山先生にこう言った。

「しかし、なんじゃこのオッズ。一枠からんでんのん全部二十倍以上やんか。」
嵐山先生は、不思議そうな顔をした。

「だって考えなくったってわかりそうなもんじゃない。馬主が馬主ですよ。こんなもん一着に入るわけないじゃない。二十倍はおろか、百倍でもいいぐらいですもん。ねっ、中田先生!」
竹本先生は、こう言って中田先生の肩をたたいた。中田先生は、しゅんとした。

「そうか。うちのクラスは外そう。ま、二ー四と三ー四かな?」
嵐山先生は、こう言いながら投票用紙に記入し、千円を竹本先生に渡した。

「ありがとうございます。では、結果をお楽しみに。」
竹本先生は、投票用紙を受け取った後、こう言った。

そして、翌日の小テスト。嵐山先生は、一時間目の数学のテストの試験監督となった。もちろん、三年一組。

「教科書筆箱を直せ。これから、数学の小テストをやる。もうわかっとると思うけど、問題用紙と解答用紙を裏向けに配れ。ええな。」
嵐山先生は、テスト問題を最前列の生徒に渡した。やがて、問題用紙と解答用紙が全部生徒に行き渡った。

「これもわかっとると思うけど、ベルと同時に表を向けて問題を解け。それから、なんか質問のあるもん、消しゴムとか鉛筆とか落としたもんは、静かに手を挙げろ。」
やがてベルが鳴り、テストが始まった。始まってからしばらくの間、嵐山先生は教室の中を丹念に見て回った。その後、教壇に戻り、成績帳を開いた。

「まずは伊藤。こいつ結構かわいいなぁ。よし、顔八十点。でも胸ちっちゃいよなぁ。胸五十五点。スタイル、まあ七十五点かな。次は、岡本か。うわー、こりゃあかんわ。顔四十点。その代わり、胸おっきいから胸七十五点かな? スタイルは五十点やな。そやけど、最近の高校生って、なんであんな短いスカートはかなあかんかぁ。」
と、心の中でつぶやきながら、成績帳に三つの欄を作り、女の子の点数をつけていった。採点が終わる頃、テスト終了のベルが鳴った。さっさと問題を集めた嵐山先生は、そそくさと職員室へ戻っていった。

「アラシ、真面目に試験監督してきたか?」
中田先生は、職員室に戻ってきた嵐山先生にこう聞いた。

「おう、なんで?」
嵐山先生は、不思議そうにこう聞き返した。

「いや、何でもない。」
中田先生は、言った。

「そやけど、次の英語はナカが試験監督やろ?」
「実はな。もっぺん頼みたいんだ。と言うのが、あちこちの教室回って、『質問ないか?』って聞いて回る役なんだな、これが。だから悪いけどさあ、英語も頼むよ。その代わり、国語は俺がやるからさぁ。」
「あ、ずるい奴。うまいこと逃げおった!」
嵐山先生は椅子にどかんと腰をかけ、たばこをぷかぷかと吸い始めた。

「と言うことだ。俺が国語の試験監督やってる間に、数学の採点できるだろ?」
中田先生がこう言った途端、ベルが鳴った。はい、それじゃ行って来いと言わんばかりに、中田先生は嵐山先生を追い出した。嵐山先生が廊下を歩いていると、目の前に真智子先生が歩いていた。

「真・・・、いや和田先生。」
嵐山先生は、真智子先生を呼んだ。

「真智子先生でいいですよ、嵐山先生。英語も試験監督なんですか?」
「ええまあ。でも先生んとこ大変ですねぇ。三教科ずっと試験監督なんでしょ?」
「そうですねぇ。ただし、私社会科だから、後の添削がないんですよ。三教科担当の先生の方が大変なんじゃないですか?」
「それで英語はマークシートになってんのか。ナカの奴、手ぇ抜きおったな。」
「そうですね。中田先生が問題作ったら、たいていマークシートですね。たまに記述式も作るみたいですけど。」
嵐山先生と真智子先生は、こんな感じでああだこうだと喋りながら、それぞれの教室へと向かった。一方、中田先生は、職員室でゆったりとたばこを吸っていた。そして、嵐山先生の机の上を眺めると、成績帳がでんと置いてあった。

「アラシの奴、成績帳忘れて行きやがったな。ま、いいか。どうせ一組回ったついでに持っていこう。それにしても、あいつちゃんと出欠つけてんのかなぁ。」
中田先生は成績帳を開いた。すると、備考欄に線が三本引いてあり、女子の欄だけに数字が埋めてあった。

「なんだこりゃ。伊藤が八十・五十五・七十五って・・・、さてはあいつ、スリーサイズをこっそりチェックしてやがったな。許せん。」
中田先生は、腹を立てた。三年一組の教室でとっちめてやろうと思ったけど、それはやめにして、とりあえず見回りに行った。そうこうしている内にベルが鳴り、嵐山先生が戻ってきた。

「嵐山先生、ちょっと・・・」
中田先生は、片手に成績帳を片手に、嵐山先生を手招きした。嵐山先生は、何が起こったかわからない顔をした。職員室の隅に嵐山先生を呼び寄せた中田先生は成績帳を開き、問題のページを見せてこう言った。

「アラシ、お前なぁ、何考えてんだよ。」
「何って、そやからぁ、わしまだ顔と名前が一致せえへんから・・・」
「そう言う言い訳するか、お前。」
中田先生がこう言うと、目の前に教頭が立っていた。

「何かあったんですか、中田先生。」
「こいつ信じらんないんですよ。見て下さいよ、これ。」
中田先生は、成績帳を教頭に差し出した。そして、大きな声でこう言った。

「こいつ女子のスリーサイズをこっそり聞き出して、こんなとこにチェックしてやがるんですよ。」
嵐山先生も、大きな声を出した。

「あほーっ、スリーサイズとちゃうわっ!」
「でもね教頭見て下さいよ、ほら。女子しかついてないわけですよね。バスト、ウエスト、ヒップ、ほらあ、スリーサイズでしょお!」
中田先生は、成績帳を指さしてこう言った。

「だからちゃう言うとるやないか。」
嵐山先生は、更に大声を出した。

「じゃあこれは何なんですか、嵐山先生。」
教頭は、真顔で静々とこう言った。

「だからこれはぁ、顔、胸、スタイル、じゃなっからお前三十なんてつくわけないやろ、ナカ。」
嵐山先生は、ムキになってこう言った。

「そうだなぁ、最強のブスの大沢が十五・二十・十だもんなぁ。」
教頭と嵐山先生と中田先生は、大きな声でわっはっはと笑った。

「嵐山先生、あんた一体何考えてるんですか。」
教頭は、真顔に戻してこう言った。

「いや、それは・・・その・・・だから・・・。」
嵐山先生が言葉を詰まらせた。中田先生が、すかさずこう答えた。

「そりゃあ教頭、決まってるじゃないですか。声かける奴をこうやってチェックしてぇ、後はもうやりたい放題ずっこんばっこんでございますよ。」
教頭と嵐山先生と中田先生は、また大きな声でわっはっはと笑った。

「嵐山先生、あなた教育者でしょ。教育者がそう言う、不純異性行為を助長するようなことをやっていいとでも思っているんですか?」
嵐山先生と中田先生は、しゅんとした。

「ま、ちょっと頭を冷やしてもらわないといけませんな。」
教頭がこう言った瞬間、嵐山先生と中田先生は、

「うわっ、それだけは勘弁して」
と言わんばかりの顔をした。

「嵐山先生、今日中に校舎裏の草抜きをしなさい。明日私がチェックして、雑草一本でも残ってたら、やり直してもらいますからね。あ、中田先生はもういいですよ。」
教頭からこう言われた後、中田先生はほっとした顔をした。

「そう言うことなんで、がんばってね嵐山先生。」
中田先生は、嵐山先生の肩をぽんとたたいた後、さっさと職員室を後にした。

かくして、嵐山先生一人で、校舎裏の草抜きをすることになった。およそ一年ぐらいは誰も草抜きをしていなかったから、雑草は伸び放題だった。それを、ばっちりと決めた茶色いスーツ姿に黒のサングラスの男が長靴履いて、軍手をはめた片手にはビニール袋。もう一方の手には小さなスコップ。しかも、うんこ座りで草抜きしているから、誰の目から見ても哀れとしか言いようがなかった。そこへ、稲垣先生と真智子先生が様子を見に行った。いや、正確には、冷やかしに言ったと言った方が正しいかもしれない。

「がんばってますねぇ、嵐山先生。」
稲垣先生は、成績帳を片手にこう言った。

「同情するなら手伝って下さいよぉ!」
嵐山先生は、半分泣き言のような声を上げた。

「誰も同情してませんよ。だって、自業自得でしょ?」
稲垣先生は、こう言った。

「そう言いますけどね、こんなんおよそ今日中に終わらんかも知れませんよ。」
嵐山先生は、また泣き言のように言った。

「まあ、確かにここは生徒達が掃除しませんからねぇ。」
真智子先生は、こう言った。

「それより、中田先生は?」
嵐山先生は、稲垣先生にこう聞いた。

「中田先生ですか? 帰りましたよ、さっさと。」
稲垣先生は、こう答えた。

「ちぇっ、てっきり手伝ってくれるんか思うたら。」
嵐山先生は、不機嫌そうにこう言った。

「私も、言ったんですよぉ。そしたら、『俺関係ないもん』って。さっさと帰っちゃいましたよ。」
真智子先生は、こう言った。

「真智子先生、我々も帰るとしますか。こんなの待ってたら、夜になっちゃいますよ。」
稲垣先生は、こう言った。

「ちょっと待って下さいよ。こんなんわし一人やったら朝までかかりますって。」
嵐山先生は、片手に持ったスコップを振りかざしてこう言った。

「そうですね。じゃ帰るとしますか。」
真智子先生がこう答えたので、稲垣先生と真智子先生は、その場を立ち去った。嵐山先生は、あーあと言う顔をして、がっくりと腰を下ろした。そして、また黙々と草抜きを始めた。結局、嵐山先生が草抜きを終える頃、日はとっぷりと暮れて、完全に暗くなっていた。

一方、嵐山先生が草抜きをしている間、三年一組がらみの新たなる事件が起こっていた。三年一組には、徳本さんと言う女子バレー部の子がいた。この徳本さん、小柄でおよそ体育系のクラブにいるようには見えないほど、風が吹けば吹っ飛びそうで、しかもかわいらしかった。徳本さんがこの日の授業を終え、クラブへ行こうと女子更衣室でジャージに着替えた。元着ていた制服は、鞄とともに棚の上に置いた。そして、日もまもなく暮れようかという頃、つまり嵐山先生がラストスパートをかけている頃、クラブ活動を終えて元の制服に着替えようと、女子更衣室に戻った。すると、確かにロッカーと言うか、板でできた棚の上に置いてあったはずの制服が、上下セットでなくなっていた。その横には徳本さんの鞄が置いてあったが、この鞄には手も着けられていなかった。徳本さんは、一瞬あれっと言う顔をした。そして、あせりながら辺りを探した。ますは、自分の鞄の中、そして隣のロッカー、そしてその下のロッカーへと。しかし、見つからなかった。徳本さんは、おろおろし始めた。

「徳本、どうしたの?」
様子がおかしいと察知した、同じクラスで同じクラブの中村さんが、徳本さんにこう聞いた。

「あたしの制服がないのよぉ!」
徳本さんは、今にも泣き出しそうな声でそう言った。

「えーっ、でも確か徳本ってそこで着替えてたよねぇ。」
同じく女子バレー部で、同級生の村松さんが、こう言った。徳本さんは何も言わず、泣き出しそうな顔を縦に一回振った。

「ねぇ、着替えが終わったら探そうよぉ! なきゃおかしいじゃない。」
中村さんは、こう言った。

全員の着替えが終わった後、中村・村松・徳本の三人が、手分けして制服を探した。クラブ活動の時間はとっくに終わって、女子更衣室の中は電気をつけないと何も見えなくなるまで探した。でも、結局見つからなかった。

「徳本、とりあえずその格好で帰ろうよ。」
村松がこう声を掛ける頃、徳本さんはしくしくと泣いていた。そこを、中村さんが背中をぽんぽんと軽くたたいて、三人は生徒通用門へと歩いていった。その歩いていく途中で、ちょうど草抜きを終えた嵐山先生と鉢合わせになった。

「徳本、どないしたんや、その格好。」
この三人に何か起こったことは、嵐山先生以外でも明らかにわかった。徳本さんは、しゅんとしたまま、何も喋らなかった。

「先生、徳本の制服、盗まれたみたいなのよぉ。」
中村さんは、私機転を利かせましたよ、と言わんばかりの顔をしてこう言った。嵐山先生は表情を変えずに、しばし黙っていた。

「そうか。・・・、とりあえず、徳本は職員室まで来いや。後のもんは、もう遅いから帰れ。ええな。」
嵐山先生は、真剣な声でこう言った。中村さんと村松さんは、しょうがないなと言う顔をして、と言うより半ば嫌そうな顔をして帰っていった。徳本さんは、うつむいたまま嵐山先生の後をついていった。

辺りは完全に真っ暗で、職員室と言えども、誰もいなかった。嵐山先生は手探りで職員室の電気をつけ、中田先生が座っている席、つまり嵐山先生の隣の席に徳本さんを座らせた。嵐山先生はいそいそと、灰皿を机の上に置いた。そして、たばこの火をつけた。徳本さんは、何かしゅんとしたような、落ち着かないような、緊張しているような、そんな感じで椅子にちょこんと腰掛けていた。

「で、とりあえず、制服を盗まれたんやな。」
徳本さんは、こっくりとうなずいた。このあと、しばし沈黙が流れた。

「徳本、黙ってたらわからへんで。なんかゆうてくれへんと。とりあえず、何があったかゆえ。」
嵐山先生は、むしろ落ち着いて声でそう言って、たばこをぷかりと吸った。

「先生・・・、あたし確かに女子更衣室のあそこに置いたんですよ・・・。」
徳本さんはうつむいたまま、ぽつり、またぽつりと、言いにくそうに、その日あった出来事を嵐山先生に話した。

「で、名前は書いてあるんか?」
嵐山先生がそう言った。徳本さんは黙ったまま、首を横に二回振った。嵐山先生は、またたばこを口にした。

「そしたら、徳本さんのスリーサイズは?」
徳本さんは、きょとんとした。

「いや、誤解したらあかんでぇ。制服のサイズが知りたいんや。でないと、見つかってもわからんからな。」
嵐山先生は、右手を縦に振ってこう言った。徳本さんは、いや先生絶対下心があると、目で語っていた。

「ま、とりあえず、明日からしばらくの間は夏服で来いや。ちょっと寒いかも知れへんけどな。他の先生からなんか言われたら、『暑かったんです』とでもゆうたらええやろ。ほな、もう遅いから帰れ。あとはわしが何とかするわ。」
徳本さんは、力が抜けたかのように席を立ち、職員室のドアを開け、ぺこりとお辞儀をして帰った。嵐山先生も、職員室の電気を消して帰った。

翌朝、嵐山先生は何食わぬ顔で出勤した。昨日の制服時間のことに関しては、中田先生を含めどの先生にも一切口にしなかった。この日、三年一組の一時間目がちょうど英語ⅡBで、担当が中田先生だった。中田先生は、何事もなかったかのように、いや正確には何も知らなかったので、平穏に三年一組の教室へと向かった。

号令の後教室を何気なく眺めると、徳本さんだけが夏服で、いかにも寒そうに両腕を組んでいた。中田先生は、徳本さんの前まで歩いて、こう尋ねた。

「徳本、どうしたんだ、夏服で。」
徳本さんは何も言わなかった。教室内に、しばし沈黙が流れた。

「まあいいや。じゃ昨日の続き。確かレッスン一の三ページ目を訳してくるように言ったよな。」
こうして、一時間目の授業は何事もなかったかのように続けられた。

授業が終わって、中田先生は教室を後にした。廊下に出た中田先生は、三年一組の後ろの扉を通過して、隣のクラスの前の扉辺りで、三年一組の後ろの扉ががらりと開いた。ここで、中田先生が振り向いた。

「センセ、センセ、先生・・・。」
中村さんが、半開きした扉越しに中田先生を手招きした。

「中村、どうしたんだ?」
中田先生は、きょとんとした顔で振り返った。

「先生、ちょっとちょっと・・・。」
中村さんは、中田先生を手招きして、職員室とは反対側で、三年一組の隣の階段へと誘った。一階と二階の間の踊り場で、ちょうど角っこの辺りで立ち止まった。ここは、どちらかというと職員室を含め他の教室に行くには不便な階段で、比較的人通りが少なかった。

「中村、何なんだよ。」
中田先生は、むしろ不機嫌そうな声色でこう言った。

「先生、昨日ね。徳本さんの制服盗まれちゃったのよぉ。」
中村さんは、声のトーンを少し落としてこう言った。

「えーっ!」
中田先生は、びっくしてこう言った。辺りを見ると、歩いていく生徒達がみんな足を止めた。

「しーっ、先生声が大きい。」
中村さんは、人差し指を口に当てた。そして、中村さんはこう続けた。

「いや、なんか。あたし達が更衣室に戻ったら、徳本さんの制服がなかったのよ。探したんだけどね。で・・・。」
中村さんは、更に声のトーンを落とした。

「まずいことに、帰りにやくざにばったり会っちゃったんだよ。」
「やくざにか? それで?」
中田先生も、声のトーンを落とした。

「連れてかれちゃったの。」
中村さんは、こう言った。中田先生は、一瞬声を失った。

「で、どうなったんだ?」
中田先生は、更に声を小さくして、こう言った。

「わかんないよ。あの後すぐ帰ったもん。第一あたしだってどうすることもできないじゃない。」
中村さんは、低い声のトーンで、でも訴えかけるようにこう言った。

「そりゃ、確かに何もできんだろうなぁ。」
中田先生は腕組みして、落ち着いた、と言うより強引に落ち着いた風の声を出した。 「他の先生には内緒だよ!」

中村さんは、こう言って念を押した。

「わかった。俺の胸に止めとくよ。でも、何とかしないとな。それは俺が考えるよ。」
こう言って、中田先生はこの階段をそのまま降りた。中村さんは、この階段を引き返した。中田先生は、中村さんが見える間、何とか平静さを保って職員室へと向かった。しかし、中村さんの姿が見えなくなったところで、顔色を変えた。

「徳本がやくざに襲われたってかぁ!」
中田先生は、こうつぶやいて職員室へと戻った。そして、自分の席でどかんと座っている嵐山先生の背中を一発たたいた。

「アラシ、ちょっと耳を貸せ。」
中田先生の心の中は、恐らく目には目を、やくざにはやくざを、と言うことだったのだろう。中田先生は、何やら嵐山先生に耳打ちした。

「なにーーーっ! 徳本が!」
中田先生は、強引に嵐山先生の口を塞いだ。しかし、時すでに遅しというか、話の続きを耳打ちするときには、後ろで竹本先生が聞き耳を立てていた。それに気づかなかった中田先生は、話の続きを嵐山先生に耳打ちした。

「そうか・・・。」
嵐山先生は、そう言ってため息混じりにたばこをぷかりと吸った。

「嵐山先生、なんか大事のようですな。徳本さんがどうしたんですって。」
内海先生は、平穏な顔で嵐山先生の前に歩いてきた。嵐山先生と中田先生も、立ち上がって手を横に振った。

「いや、何にもない、なんにもなかったんですって。」
嵐山先生と中田先生は、必死でその場を取り繕おうとした。しかし、さっき聞き耳をしていた竹本先生が、嵐山先生と中田先生に見えないよう、後ろから内海先生にジェスチャーを送った。顔に人差し指で一本線を引くジェスチャーと、両手で引っ張るジャスチャーと、腰を縦に振るジェスチャーだった。曰わく、やくざに、連れて行かれて、そのまま強姦された、と言いたかったのだろう。そのジェスチャーを見た内海先生は、血相を変えた。

「なにーっ、それは大変だ! 校長! 教頭!」
内海先生は、あわてて校長室へと駆け込んだ。ここで、次の授業の開始を知らせるベルが鳴った。

「なんでばれたんだろう?」
嵐山先生と中田先生は、腕組みして首を傾げた。その後ろで、竹本先生がアッカンベーと言わんばかりに舌を出した。

この日、六時間目終了後に臨時の職員会議が開かれた。

「お呼び出しいたします。本日四時より、臨時の職員会議を行います。先生方は、至急会議室にお集まり下さい。」
全校放送が流れた。ざわざわとした異様な空気の中、一番最後に校長と教頭が一番前の席に着いた。

「ただいまから、臨時の職員会議を行います。お忙しい中集まっていただいたのは、他でもありません。もう一部の先生方はご存じかも知れませんが、うちの女子生徒が下校途中にやくざに襲われるという事件が、昨日発生しました。そこで、下校時の生徒の安全を確保すべく、みなさんにお集まりいただいたわけです。」
校長は、こう言った。

「だったら、当分の間クラブ活動は中止すべきでしょう。」
と言う声が、一部の先生から挙がった。会議室内は、ざわざわとし始めた。

「しかし、それでは根本的な解決策ではないでしょう。クラブ活動を再開した途端に、また同じことが繰り返される可能性もあるわけじゃないですか。」
中田先生は、こう発言した。嵐山先生は、終始落ち着いた雰囲気でたばこをぷかりと吸っていた。

「そこで、クラブ活動終了後の下校時に、男性の先生方が主要なポストに立って、安全を確保すべく警戒に当たっていただきたい、と言うことなのです。で、申し訳ないんですが、嵐山先生と中田先生は、この役から外れていただきたいのです。」
校長が、こう言った。嵐山先生は、すっくと席を立った。

「ちょっと待って下さいよ、校長。わしらがやらんかったら、誰がやるんですか。」
嵐山先生は、大声を上げた。

「当たり前でしょ! あんた達が入ったら、余計ややこしくなるのは目に見えてるんですよ。お座りなさい!」
教頭は、大声を上げた。会議室内には、どこからともなく

「異議なし」
の声が一斉に挙がった。中田先生は、嵐山先生に座るようジェスチャーを送った。嵐山先生は、納得のいかない顔つきで席に着いた。

「では、その具体的な方法等につきましては、この後教頭先生と男性の先生方が相談して決めて下さい。で、女性の先生方と、嵐山先生、中田先生はお引き取りいただいて結構です。」
校長はこう言って、会議室を後にした。続いて、女性の先生方、一番最後に嵐山先生と中田先生が渋々会議室を出ていった。

「納得いかんな。」
会議室の扉を閉めるなり、必死で怒りを堪えていた中田先生はこうつぶやいた。

「当たり前やないか。あんなやつらに何ができるっちゅうねん!」
嵐山先生はそう言って、不機嫌そうに職員室の扉を開けた。嵐山先生と中田先生がどかんと椅子に座ると、真智子先生が歩いてきた。

「中田先生、嵐山先生、すぐ校長室に来いって。」
真智子先生は、嵐山先生と中田先生の顔を見るなりこう言った。

「ったく、今度は何なんだよ!」
中田先生も憤慨して、嵐山先生と一緒に渋々校長室へと向かった。校長室の扉を開けると、校長は黙ったまま、自分の机の前を指さした。嵐山先生と中田先生は、校長席の前に立った。

「嵐山先生、中田先生、なぜ君達にあの役を降りていただいたか、わかるよな。」
校長も席を立って、こう言った。

「わかりませんね。」
嵐山先生は、不満をぶつけるかのようにこう言った。

「そうか・・・、君達だったらわかってくれると思っていたがな。」
校長は、ため息にも似た、残念そうな口振りでこう言った。

「どういうことなんですか?」
中田先生は、わけがわからずにこう聞いた。

「いいか。確かに、犯人探しは非常に大事だ。その具体的な方法として、見張りと言うことで落ち着いたわけだ。君達だって、正直なところ犯人をこの手で捕まえてやりたいだろうとは思う。しかし、君達にはもっと大事な仕事があるだろう。」
校長は、机の周りをうろうろしながらこう言った。

「大事な仕事?」
嵐山先生と中田先生は、きょとんとした。

「そう。大事な仕事だ。」
校長は、話を続けた。

「その大事な仕事は、君達なりに考えてくれ。徳本さんの今の心持ちを考えたら、おのずと答えは出るはずだ。」
嵐山先生と中田先生は、わかったようなわからないような顔をした。

「要は、そう言うことだ。君達には、期待してるぞ。」
校長は、自分の話をこう締めくくった。嵐山先生と中田先生は、気の抜けたようなお辞儀をして、校長室を出た。

学校からの帰り道、嵐山先生は何を考える風でなく、ぼんやりとハンドルのてっぺんを右手で握る格好で運転していた。大方、このまま帰りたい気分にもなれず、かと言って行く宛があるわけでもなく、ただ車を運転しているだけだった。中田先生は、助手席でぼんやりとしていた。ただ、車のボンネットに夕焼けが写り込んで、夕方の赤い風景だけが車窓から流れていた。そのボンネットに写り込んだ風景を、中田先生はぼんやりと眺めていただけだった。

「ナカ、実はな。お前にゆうておきたいことがあるねん。」
嵐山先生は、いつ言おうかと我慢していた言葉を、丹念に喋った。中田先生は、返事をするでもなく、黙ったまま運転席の方を向いた。

「徳本の件やけどな。実はわし、あの日帰りがけに徳本におうたんよ。そしたら、なんかジャージ来たまんま下校しとったし、様子がおかしかったんや。」
嵐山先生は、いつになく淡々と喋り始めた。

「一人だったか?」
中田先生は、何気なくこう聞いた。

「いや、徳本と、中村と、あと誰やったかな。ま、三人やったわ。女の子ばっかりで。でな。その後、職員室で事情を聞いたんよ。」
「・・・つまり、制服を盗まれたらしい、と。」
中田先生は、こう言った。

「そうそう。で、あん時わし送ってったろうかなって思うたんよ。もう真っ暗やったからな。そやけど、この辺わしもようわからへんし、徳本がどこ住んでるかわからんかったから、もうええわって思って、一人で帰したんよ。」
嵐山先生は、申し訳なさそうな口振りでこう言った。

「それで?」
中田先生は、また前を向いて、相づちを打つようにこう言った。

「そしたら、その帰りがけにやくざに襲われたって言うやないか。」
「うん。」
中田先生は、こっくりとうなずいた。

「ま、だからこれは、はっきりゆうて、半分わしの責任みたいなもんや。あん時送って帰っとったら、こうはなってへんかったんよ。そやから、わし何が何でも犯人を見つけたかったんよ。」
「そうだな・・・。」
中田先生は、腕組みをして前の車窓をぼんやりと見始めた。そして、小声で何かつぶやきながら、しきりに考えていた。中田先生が降りるはずの駅もいつの間にか通過して、女子高生の乗った自転車が一台、また一台とすれ違っていった。

「読めたぞ!」
中田先生は、車が赤信号で停車した瞬間、急に思い出したかのように、こう言った。嵐山先生は、ちょっとびっくりした顔をして、中田先生の方を向いた。

「結論から先に言おう。アラシに責任はない。」
中田先生は、むしろ淡々とした口調でこう言った。

「どういうことやねん?」
嵐山先生は、運転席から身を乗り出した。中田先生は、相変わらず淡々とした口調で、話を続けた。

「実は、俺が聞いた話というのがな。徳本が制服を盗まれて、帰りがけにやくざに会って、そこから先は知らんと、そういうことなんだ。」
「ふん。」
嵐山先生は、こう空返事をした。

「・・・しかし、先生も生徒も考えることが一緒だったとはな。」
中田先生は、さも思い出したようにこう言った。

「そらどういう意味やねん。」
嵐山先生は、訳が分からずにこう言った。

「そのやくざって言うのはな。・・・はっきり言おう。お前だ。」
中田先生は、嵐山先生を指差して、こう言った。

「お前ちょっと待て。なんでわしがやくざやねん?」
嵐山先生は、大声を上げた。

「だから、そう言うあだ名で呼ばれてるんじゃない。あいつら先生をあだ名で呼ぶの好きだから。お前も高校行ってた時もやってただろ。」
中田先生がこう言うと、嵐山先生は不機嫌な顔をした。

「じゃあ、襲われたって言うんは、お前の嘘やったんか?」
嵐山先生は、大声を上げた。

「嘘と言うよりは、思い過ごしと言った方が正しいかな。」
中田先生は、こう言った。

「なあんや。心配して損したわ。」
嵐山先生は、力が抜けた声を出した。

「ま、でも、犯人探しはやろうぜ。校長と教頭には内緒でな。その代わり、目標がやくざから制服泥棒に変わったけどな。」
中田先生は、こう言った。

「ほな、あの先生連中はどうすんねん? お前のせいであいつらあっちこっちに立たされる羽目になってんぞ!」
嵐山先生は、あきれたような口調でこう言った。

「いいんじゃない。あいつらあれでしばらくの間残業手当が稼げるんだから。」
中田先生は、無神経なばかりにこう言った。嵐山先生は、しばし黙った。

「まあな。泥棒探しも悪くはないしな。」
嵐山先生も、納得したような、でもあきれたような口調でこう言った。車は、いつの間にか、とある駅前に着いていた。中田先生は軽く手を挙げて、車から降り立った。

次の日の夕方も、嵐山先生と中田先生は一緒だった。ただし、車の中ではなく、学校から距離を置いたところにある喫茶店の中だった。ここのサンドイッチがおいしいと評判で、嵐山先生はローストビーフサンドイッチを食べていた。中田先生は、ハンバーグサンドイッチを食べていた。つまり、晩ご飯兼作戦会議という訳だ。

「アラシ、制服なんて誰が盗むと思う?」
中田先生は、片手にハンバーグサンドイッチを持ったまま、嵐山先生にこう聞いた。

「さあな。でも昼間に盗られとるから、たぶん関係者とちゃうか?」
嵐山先生は、ブレンドコーヒーを飲みながら、こう答えた。

「関係者か・・・」
中田先生は、こうつぶやいた。そして、嵐山先生を指さし、

「おめーじゃねーだろうな!」
と叫んだ。と同時に、嵐山先生も中田先生を指さして、

「お前とちゃうやろな!」
と叫んだ。お互いばつが悪かったのか、しばし沈黙が流れた。そして、二人そろってサンドイッチをかじった。

「ま、誰がやったかよりもやな、なんで盗ったかやな。」
嵐山先生は、サンドイッチをかじる手を止めて、こう言った。

「そうだな。ありがちな理由としては、他の女の子が同じように制服を盗まれて、代わりに徳本のやつを持ってったとか。」
中田先生は、サンドイッチをかじりながらこう答えた。

「でもそれやったら、その盗んだ奴の制服を盗んだ奴がまだおるってことやで。」
嵐山先生は、首を傾げながらこう言った。

「例えば、そういう趣味とか。」
中田先生はこう言って、サンドイッチを口にした。

「そんな趣味あるかぁ!?」
嵐山先生は、サンドイッチをすでに腹の中に入れて、通りがかりのウエイトレスにミートスパゲッティーを注文した。そして、たばこを一服吸い始めた。

「わからんぞ。ブルセラショップって言うのが、はやってるぐらいだからな。」
中田先生は、アイスコーヒーを口にした。

「わしゃどうもあの、ブルセラショップって奴に行く奴の気が知れんなぁ。売る方もやけど、買う方の気持ちはも一つようわからんわ」
嵐山先生がこう言った。ちょうどミートスパゲッティーが嵐山先生の前に置かれ、嵐山先生はフォークだけで平らげ始めた。

「なんか使い方は色々あるらしいよ。ダッチワイフに着せたり、たまに自分で着るバカがいるみたいだけどな、男で。」
中田先生がこう言った。嵐山先生は平らげるのを止め、お前もやってるだろうと言わんばかりの視線を、中田先生に送った。

「俺じゃねえぞ。」
中田先生は、手を横に振った。

「どうかなぁ、きっとこいつの押入開けたら、『紀子ちゃん一号』とか何とか言う奴が隠したあるんとちゃうかぁ!?」
嵐山先生は腕組みして、中田先生を冷やかすかのようにこう言った。中田先生はただ無言で、それはお前だろうと言わんばかりの視線を、嵐山先生に送った。嵐山先生も急に黙りこくって、目の前のミートスパゲッティーをまた食べ始めた。中田先生もサンドイッチを食べ終わって、たばこに火をつけた。

「とりあえず、どうしよう。ブルセラショップを当たってみよか?」
嵐山先生は、こう言った。

「当たるって? どうやって。」
中田先生は、あきれたような口調でこう言った。

「任しとけやい。わしに考えがあんねん。」
嵐山先生は、こう言ってミートスパゲッティーをさっさとたいらげた。

喫茶店を後にした嵐山先生と中田先生は、車をとあるブルセラショップの前に横付けした。作戦は、まず中田先生が客のふりをして中の様子を見に行き、もし上風学園の制服があれば、嵐山先生登場と言うことだった。この作戦に従って中の様子を見に行った中田先生が、車に戻ってきた。

「どやった?」
助手席のパワーウィンドウを開けた嵐山先生は、運転席越しに中田先生にこう聞いた。

「だめ。」
中田先生は、残念そうな顔をした。嵐山先生は、渋い顔をした。

「しゃあないな。ほな、次いこか。」
中田先生は、車に乗り込んだ。この後、一軒、また一軒とこの状態が続いた。そして四軒目、中の様子を見に行った中田先生が、車に戻ってきた。

「どや?」
嵐山先生が助手席の窓を開ける前に、中田先生が車に乗り込んできた。中田先生は、右手を二回大きく振った。

「例えばさあ、寺越学園とか、フェッチ女子とかだったら結構あるんだけどさあ、うち(上風学園)のはないねぇ。」
中田先生は、ぼやくようにこう言った。

「ほな、次いこか。」
嵐山先生は、こう言った。

「ああ。」
中田先生は、こう言った。

次のブルセラショップに着いた。中田先生は、何も言わずにブルセラショップへと入っていった。数分後、明るい顔をした中田先生が帰ってきた。

「あった、ありましたよ、お兄さん。」
中田先生は、窓が開くのを待ちきれずに、満面の顔でこう言った。

「そうかそうか。」
嵐山先生も、これは面白そうだという顔をした。

「ほな、行くで。」
嵐山先生は、たばこに火をつけた。そして、中田先生とともに車を後にした。店内に入った嵐山先生と中田先生は、無言で上風学園の制服を確認した。嵐山先生は、小さくレジの方を指差した。中田先生は、小さくうなずいた。二人そろってレジへと歩いていった。レジに立っていたのはどうもアルバイトらしく、随分頼りなさそうな男だった。嵐山先生は、このアルバイト君に店長を呼ばせた。このアルバイト君は、店の奥の方にある事務所らしい部屋へと入っていった。

数分後、さっきのアルバイト君よりはまし、でもやっぱり頼りなさそうな男が出てきた。聞けば、この男が店長だと言う。嵐山先生と中田先生は、この店長だという男を、店の裏の空き地へと連れ込んだ。空き地へ着いた一瞬をついて、中田先生が男を羽交い締めにした。男はひいと言う悲鳴を上げて、うろたえた。かなりおびえていた。嵐山先生は、殴るまでもないと判断したのか、吸っていたたばこの煙を、男に吹き付けた。

「さあ、ゆえ。あの制服はどないしたんや!」
嵐山先生は、ドスの利いた声でこう言った。男は、更におびえた。嵐山先生は、吸っていたたばこを、火がついたまま男の顔に近づけた。

「言わんかったら、これ押しつけたるで!」
嵐山先生は、更に脅しを掛けた。男は、目を閉じて嫌々と言わんばかりに首を振った。

「あ・・・、あの制服は女の子が持ってきたんですよぉ!」
男は、悲鳴にも似たような声を上げた。

「誰が持って来たんや、言わんかい!」
嵐山先生は、たばこの火を更に近づけた。男は、また嫌々と言わんばかりに首を振った。

「わ、わかんないですよぉ!」
男は、鳴き声とも悲鳴とも付かないような声をあげた。

「言わんかったら、どないなるかわかっとるやろうなぁ!」
嵐山先生は、こう言って脅しを掛けた。男は、堪えきれずに悲鳴のような声を上げた。

「だからぁ、女の子ったって、たくさん来るんですよ!」
中田先生は手を離した。その瞬間、男はひいと言う悲鳴を上げて、一目散に店に戻った。中田先生と嵐山先生は、しばし黙っていた。中田先生は、腕組みをして顔をしかめた。

「名前が聞き出せなかったのがなぁ・・・。」
中田先生は、こうつぶやいた。

「そやけど、こらきっとただ単に、自分の制服を売りに来たんやろうなぁ。」
嵐山先生は、ぼやくようにこう言った。

「たぶんね。」
中田先生は、つぶやくようにこう言った。

この後、嵐山先生と中田先生は、数日の間こんな感じでブルセラショップ巡りをした。めぼしいところはすべて回ったところ、後にも先にも上風学園の制服が置いてあったのは、この一軒だけだった。賑々しげな繁華街の中に停まっていた、黒い車。その中には、がっかりとした嵐山先生と中田先生が乗っていた。

「残念賞だよなぁ。」
中田先生はこうつぶやいた。

「ああ。」
嵐山先生も、こうつぶやいた。

「どうする? これでめぼしいところ全部回ったぞ。」
中田先生は、ため息にも似たような声を上げた。嵐山先生はたばこに火をつけ、しばし黙っていた。

「手を変えてみるか。」
嵐山先生はため息混じりにたばこを吸いながら、こう言った。

「そうするか。」
中田先生も、ワイシャツのポケットからたばこを取り出して、一本吸い始めた。

その後、上風学園では何事もなかったの様に平静さを取り戻した。本当に授業ができるかと当初心配された嵐山先生も、何とか授業をしていた。四月の時点で徳本さんだけだった夏服姿も、段々新緑の季節に近づくに連れて、数が増えていった。次第にほとんどの生徒が夏服姿となった。

「例の見張り、今日で終わりですよね。」
中田先生と一緒に教室へと向かう真智子先生は、こう言った。

「でも、犯人は見つかったのかなぁ?」
中田先生は、首を傾げた。

「さあ・・・。でも、なんか保護者の間では評判いいみたいですよ。なんでやめるんだって。」
真智子先生は、両手で成績帳を抱えてこう言った。

「犯人を捕まえると言うよりも、予防と言った方が正しいかもな。」
中田先生は、こう言った。そして軽く手を挙げ、受け持ちの教室へと向かった。中田先生がいなくなった後、真智子先生はしばし呆然と立ちつくした。ちょっとだけ自己嫌悪に陥っていたのだ。そこを、後ろから紀子先生が歩いてきた。

「言えた?」
紀子先生は、真智子先生に言った。真智子先生は黙ったまま、首を横に振った。

「本人の前では明るいんだけどね。」
紀子先生は、真智子先生に言った。真智子先生は、ゆっくりと首を縦に振った。そして、ふとため息をついた。

「肝心なことが言えないんですよぉ!」
真智子先生は、こう言った。

「どっちかって言うと、三枚目だもんねぇ。真智子ちゃんの場合。一見すると、明るく告白してもおかしくないように見えるんだけどなぁ・・・。」
紀子先生は、笑いながらこう言った。

「うん・・・。」
真智子先生は、ちょっとため息をついた。

そして今日も、例によって嵐山先生と中田先生が同じ車に乗り込んだ。走り始めてからしばらくの間、嵐山先生と中田先生は黙ったままだった。

「ナカ、そろそろかもな。」
嵐山先生は、思い出したようにこう言った。

「そろそろって、何が?」
中田先生は、不思議そうに言った。

「犯人がしっぽ出すとしたら、もうそろそろとちゃうか?」
嵐山先生は、こう言った。

「犯人って、ああ制服泥棒か?」
「そうそう。まあ見ててみい。あの立たされんぼ終わった途端に、また始まるで。」
嵐山先生は、悟ったかのようにこう言った。

「なんでわかるんだよ。」
中田先生は、不思議そうにこう言った。

「ま、お前が犯人やったとせえよ。こんな学園内で限界体制敷いてるようなときに、事件起こすと思うかぁ?」
「確かに、捕まえて下さいって言ってるのと一緒だよな。」
中田先生は、腕組みをした。

「ええか。お遊びはこれまでや。明日からはほんまに捕まえるで。」
嵐山先生は、大声を上げた。

「じゃあ、もう誰が犯人か見当がついてるのか?」
中田先生は、不思議そうに言った。

「まだ・・・。」
嵐山先生は、笑いながらこう言った。

「なんじゃそりゃ。」
車は、もう中田先生が乗り降りする駅前に着いていて、信号待ちで止まっていた。

「んじゃあ、俺はこれで。」
中田先生は右手を軽く挙げて、車を降りた。

それから、嵐山先生の予想通り、女子更衣室内での紛失・盗難事件がまた思い出したかのように発生し始めた。と言っても、いきなりどかんと発生したというわけではなかった。定期的にと言うか、一回ちょこっとブルマがなくなったと思ったら、しばらくの間何事も起こらなかった。そして、また一回ちょこっと体操服がなくなって、これの繰り返しだった。

「もういいかげんにうち(生徒指導部)の仕事増やすのやめて欲しいですよ。」
寺田先生が、こうぼやくぐらいだった。

「そりゃまあ、こう言うときに何とかする仕事回ってくんのって、生徒部、それも体育の先生やからなぁ。」
嵐山先生は、こう言って寺田先生をなだめていた。

「でも、先生方の間でなんか具体的な解決策を考えるってのは、なしなんですか?」
中田先生は、不思議そうにこう言った。

「さあ・・・。今回は、校長も教頭も生徒部任せみたいですよ。ほら、こないだのやくざのあれだったら、動くでしょうけどね。今回みたいに体操服がないとかだったら、盗まれた方も大抵あきらめますもん。」
寺田先生は、ため息混じりにこう言った。

「まあ、名前も書いてなかったし、自分の管理も悪かったってね。」
稲垣先生も、こう言った。

「先生とこでもありますか?」
中田先生は、稲垣先生にこう聞いた。

「ありますよ、やっぱり。最近ちょっと多いかなって思いますけどね。」
稲垣先生も、こう言った。

「うちも。」
真智子先生と竹本先生も、自分を指差してこう言った。

「ま、どっちにしても、この件に関して特に何もしないみたいですよ、校長と教頭は。こんなのでいちいちかまってらんないじゃないって言うのが、正直なところじゃないですかね。それより、そろそろ進路のことを考えないと、我々三学年の担任はね。」
内海先生は、こう言った。そして、ベルが鳴り、嵐山先生と中田先生は、各教室へと向かった。方向が一緒だったので、二人仲良く(?)教室へと向かった。しばらくの間、お互いに黙りを決め込んでいた。

「アラシも、捕まえるんじゃなかったのか?」
中田先生は、思い出したようにこう言った。

「わしは別に忘れたんとちゃうで。」
嵐山先生は、立ち止まってこう言った。

「じゃあ、どうしたんだ?」
中田先生も、立ち止まった。

「チャンスって言うんかなあ、そう言うのがな。現行犯を押さえるぐらいしか、思いつかへんのよ。」
嵐山先生は、こう言った後、また歩き始めた。中田先生は、ふうとため息をついた。そして、また教室へ向かって歩き始めた。

その日の午後、嵐山先生は不可解な行為を見かけた。ちょうどこの時間は空き時間で、嵐山先生は特にすることがなかった。あんまりにも暇だったので、職員室を抜けて体育館の方へ歩いていた。すると、教頭が体育館の裏手の方へ歩いていた。嵐山先生は、あいさつぐらいはしようかと一瞬だけ思った。でも、やめた。どこか教頭の様子がおかしいのだ。やけにきょろきょろしていたのだ。嵐山先生は、教頭の視線からは届かない場所に隠れた。そして、様子をうかがった。教頭は、まだきょろきょろしていた。そして、ちょうど体育館の周りの茂みに隠れた。そして、どれだけ時間が経ったか、また茂みから出てきた。そして、何食わぬ顔でまた戻っていった。

夕方、例によって例のごとく、嵐山先生と中田先生は同じ車に乗っていた。

「ナカ、今日ちょっと不思議なものを見たんよ。」
嵐山先生は、昼間の不可解な出来事を中田先生に話した。

「うーん、ひょっとして、あれかもな。」
中田先生は、こう言った。

「昔、戸石先輩に教えてもらったんだけどな、あの辺りに穴が開いてるんだよ。」
実はこの穴。この体育館が建てられたときから、すでに開いていたものだった。と言うのが、この体育館が建った当時は校内暴力が問題になった時期で、上風学園は厳しい風紀戦略を敷いていた。屈指の進学校のメンツを保つため、校則の強化と、監視の徹底が断行されたのだ。この穴は、校則違反の下着を身につけているものがいないかどうか、また密室になりがちな女子更衣室にて暴力行為や、喫煙行為などがなされていないかどうかを監視するため、わざと開けられたものだった。しかも、この穴は低い位置に設けてあり、周りは茂みになっているから、古参の教職員以外この穴の存在は知らなかった。仮に覗いていたとしても、誰にも気づかれることがなかった。

「もっとも、戸石先輩はその後首になったけどね。あの穴を悪用し過ぎて。でも、確かあの穴、後で塞いだはずなんだけどなぁ。」
中田先生は、こう言った。

「そやけど、もっぺん開けたかもしれへんで。」
嵐山先生は、こう言った。

「とすると、どうも教頭が犯人臭いよなぁ。ま、どちらにしても、俺も明日空き時間に様子見てくるよ。」
中田先生は、こう言った。

翌日、中田先生は空き時間を見計らって、体育館の例の穴がある辺りの茂みに潜り込んだ。確かに、塞いだはずの穴が、また開けられていた。中田先生は、ちょっとだけ覗いてみた。授業時間中だったから誰もいなかったが、確かに女子更衣室の中が丸見えだった。

「この穴、誰が開けたんだろ?」
中田先生は、つぶやいた。そして、辺りを丹念に見渡した。誰もいなかった。中田先生は、この茂みがよく見える辺りに潜んで、様子をうかがった。

あれから十分、二十分と時間が過ぎた。この茂みには誰も近づかなかったし、教頭も来なかった。

「さすがに二日続けては来ないかな?」
中田先生は、そうつぶやいた。そんな中田先生の肩を、背後から叩く人がいた。振り返ると、紀子先生だった。中田先生は、

「ぎゃーっ!」
と、まるで居眠りしているところを思いっきり踏んづけられた猫のような大声を上げた。

「中田先生、どうせまた何か悪巧みでもしてるんでしょ?」
紀子先生は、こう言った。

「人聞きの悪いこと言わないで下さいよ。」
中田先生は、不機嫌そうな声をあげた。

「例えばぁ、何色のパンツ履いてる女の子が多いか賭けしてるとかぁ・・・。」
紀子先生は、中田先生を冷やかすように言った。

「竹本先生じゃあるまいし、そんなことするわけないじゃないですか。」
中田先生は、ムキになってこう言った。

「どうかなぁ、あの雑巾掛け事件をやらかすぐらいだから、ありえない話とは思えないんだけどなぁ。」
紀子先生は、そんなこと絶対にないと言わんばかりに、こう言った。

雑巾掛け事件。これは、中田先生が一年生を受け持っていた頃の話だった。普通、教室や廊下は水で濡らしたモップ掛けしていた。しかし、中田先生のクラスが掃除した後だけ綺麗になっていない。と、担任が勝手に理由を付けて、教室や廊下のモップ掛けを認めず、手で雑巾掛けするよう指導したのだ。実はこれ、ただ単に中田先生が、女の子のパンツ見たさにやったことだった。しかも、当時中田先生のクラスは、教室の隣の階段も掃除担当区域になっていた。この階段を女の子が雑巾掛けしているとき、中田先生がずっと下から眺めるように見ているところから足がついたのだ。結局、中田先生は罰ゲームとして、校舎一棟分の雑巾掛けをする羽目になった。

「それに、『下着の色は、白・ベージュ・ピンクのいずれかに限る』って、生徒手帳にも書いてあるじゃないですか。」
中田先生は、ムキになってこう言った。

「例えばぁ、履いてないとかぁ、スケスケのパンツとかがぁ、大穴になってるとか・・・。」
紀子先生は、また中田先生を冷やかすかのようにこう言った。

「じゃあ、もしかして紀子先生、今パンツ履いてないとか・・・?」
中田先生は、逆に紀子先生を冷やかした。

「そんなわけないでしょ!」
真っ赤な顔をして怒る紀子先生を、中田先生はふいを付いてすっと抱き寄せた。しばし間を置いて、右手をすっと紀子先生のスカートの中に忍ばせた。そして、お尻の方からいやらしく撫でた。

「うん、確かにパンツ履いてるよなぁ。」
中田先生は、こうつぶやいた。紀子先生は、中田先生の頬を平手打ちした。

「ああ、不潔不潔。こんなのに近づいたら、そのうち襲われかねないわ。」
紀子先生は、かんかんに怒ってこう言った。そして、ぷいとそっぽを向いて、その場を立ち去った。

「あ、ちょっと。紀子先生! 冗談ですってば。ねえ、待って下さいよ。紀子先生!」
中田先生は、紀子先生の後を追っかけた。結局、この茂みで教頭を見かけることはなかった。紀子先生に追いつけなかった中田先生は、がっくりとうなだれた。そんな中田先生のふいをついて、寺田先生が頭を殴りつけた。

「痛ってぇ・・・。」
中田先生は、頭を押さえて、その場にしゃがみ込んだ。

「ちょっとやりすぎたかな?」
寺田先生は、しまったと言う顔をした。中田先生は、じっと黙ってうずくまったままだった。

「中田先生ごめん。ちょっとやりすぎたよ。昨日も女子更衣室で盗難事件があってさぁ、俺ちょっとくさくさしてたんだよね。」
寺田先生は、中田先生の頭をさすりながら、こう言った。その瞬間、中田先生は急に正気に戻った。そして、寺田先生に詰め寄った。

「寺田先生、今なんて言ったんですか?」
中田先生は、すっくと立ち上がってこう言った。

「いやぁ、これ言うと愚痴になっちゃうんだけどね。昨日女子更衣室でジャージを取られたって、さっきの休み時間に来てたんだよ。でさぁ。大抵こう言うのってあきらめるじゃない。それがぁ、『戻ってこないかも知んない』って言った途端、その子が大泣きしちゃったんだよ。なだめるのに往生してさぁ。」
寺田先生は、吐き捨てるかのようにこう言った。

「で、それ昨日の何時間目だった?」
中田先生は、真顔でこう言った。

「そうだなぁ、確か五時間目って言ってたな。」
寺田先生は、思い出したようにこう言った。

「確か五時間目は、アラシの奴空きだったな。と言うことは、教頭を見かけた時間と一致するなぁ・・・。」
中田先生は、こうつぶやいた。

「貴重な情報、ありがとう!」
中田先生は、右手を軽く挙げてその場を立ち去った。

その晩、中田先生は、嵐山先生の家に遊びに行っていた。

「まあまあ、大三郎がお世話になってます。」
と、嵐山先生のお母さんがビールを持ってきた。

「まあ、飲めや。」
と言いながら、嵐山先生がビールを注いだ。

「で、話ってなんだ?」
中田先生は、嵐山先生のグラスにビールを注ぎながら言った。

「実はな、例の件なんやけどな。」
嵐山先生は、こう前置きした。中田先生は、ビールを口にしていた。

「何かおかしいと思わへんか、校長と教頭が。」
嵐山先生は、こう聞いた。

「おかしいって?」
中田先生は、こう聞いた。

「ほら、見回りの一件にしてもそうやんか。わしら外したやろ。」
嵐山先生は、こう言った。

「うん。でもあれは、俺達なりにすることを考えろってことじゃないのか?」
中田先生は、こう言った。

「そうや。でも、徳本の気持ちを考えいゆうても、行き着くとこは犯人つかまえることになるんとちゃうか?」
嵐山先生は、ビールを飲みながらこう言った。

「そうだな。確かに、徳本の気持ちを癒やすにしても、まず犯人だな。」
中田先生は、こう言った。

「ほしたら、なんでわしら外すねん。ほんまやったら、わしらが率先して探しに行かなあかんねんで。」
嵐山先生は、不満げにこう言った。

「そうだな。」
中田先生は、相づちを打った。

「ほんで、あんだけ色々盗られてるのに、全校的な対策はなしって言うやんか。」
嵐山先生は、こう言った。

「まあ、そりゃあやくざよりはインパクト弱いと言っても、全校的に盗られてるもんなぁ。普通だったら、少なくとも職員会議の議題にぐらいは上がっても良さそうなもんだな。」
中田先生は、こう言った。

「ほんで、あの体育館の一件やろ?」
嵐山先生は、こう言った。

「そうそう、体育館で思い出したんだけどな。」
中田先生は、例の穴がまた開いていた件と、寺田先生から聞いた話を、嵐山先生にも話した。

「残念ながら、現場は押さえられなかったけどね。」
中田先生は、こう言った。

「これほぼ間違いないんとちゃうか?」
嵐山先生は、こう言った。

「でも、教頭はまず間違いないとして、校長は?」
中田先生は、こう言った。

「さあ・・・、たぶん教頭から何か言われてるんとちゃうか?」
嵐山先生は、こう言った。

あれから何日か経った。この時間は、ちょうど嵐山先生が三年一組で微分積分を教える予定だった。いつもの通り、教室に現れた嵐山先生。

「ほしたら、昨日確か宿題出しとったな? 忘れた奴は、どないなるかわかっとるやろな!」
嵐山先生は、教壇に立つなりこう言った。教室内は、急激に静まり返った。

「後ろに座っとる六人、前出てこい。どの問題の答えを書くかは、任せる。早いもん勝ちや。」
後ろに座っている六人は、きょろきょろし始めた。

「はよ出てこい! すぐ解けるからやってへんのやろ!?」
嵐山先生は、右足でドンと音を立てて教壇を蹴った。

こんな感じで、授業は何となく過ぎていった。すると、何やら外が騒がしくなった。最初の内、三年一組のすぐ外の廊下がざわざわとし始めた。次いで、教室の後ろの扉がそっと開けられ、悪ガキ三人が廊下へと出ていった。嵐山先生は、

「お前ら、そこに座っとれや!」
と断って、廊下に出た。三年一組の教室は、職員室や校長室、事務室と同じ校舎の上の階にあった。だから、廊下側の窓からは正門と校舎前のガレージが丸見えだった。この窓には、どこの教室の生徒か、生徒達で人集りの山ができていた。

「お前ら、授業中とちゃうんか!」
嵐山先生は、大声で怒鳴った。

「先生、パトカーが・・・」
男子生徒が、嵐山先生の顔を見るなりこう言った。嵐山先生は、窓に群がる生徒の山をかき分け、窓からガレージを見ると、パトカーが二台、赤ランプをつけたままガレージに停まっていた。

「こら、お前ら教室に戻らんかい!」
嵐山先生は、大声で怒鳴った。しかし、生徒達の山は、相変わらず窓の外のパトカーを食い入るように見つめていた。

「はよ戻れ!」
嵐山先生は、何度も怒鳴った。生徒達は、渋々教室へと戻った。嵐山先生は、生徒が誰もいなくなったのを確認した。続いて、何もなかったかのように三年一組の教室に戻った。そして、何事もなかったかのように教壇の上に立った。

「じゃ、これから自習とする。」
嵐山先生はこう言って、黒板に大きく「自習」と書いて、いそいそと教室を出た。三年一組の教室からは、歓声にも似た声があがった。嵐山先生は、

「こらおもろいことが起こったんとちゃうかぁ?!」
と、うきうきしながら職員室へと戻った。しかし、嵐山先生が職員室に戻った頃には、すでにパトカーはいなかった。嵐山先生は、何を言うわけでもなく、残念そうな顔をした。ふと辺りを見ると、紀子先生が立っていた。

「紀子先生!」
嵐山先生は、嬉しそうな顔をした。

「紀子先生、今何あったか見てませんでした?」
嵐山先生は、大きな声を上げた。

「うーん、見てたんだけどね。」
紀子先生は、さもこれから面白そうなことが起こりそうだなと言わんばかりの顔をして、こう言った。

「教えて下さいよぉ。女王様と呼ばせてもらいますから。」
嵐山先生は、私お願いしますよと言わんばかりの顔をした。紀子先生は、嵐山先生の額を一発パンと平手打ちした。嵐山先生は、紀子先生に殴られた跡を、痛そうにさすった。

「それは、嵐山先生には言えないなぁ・・・。」
紀子先生は上を向いて、嵐山先生とは反対側を向いた。

「わかりましたよ。ナカ・・・いや、中田先生だったらいいでしょ?」
嵐山先生は、こう言った。

「でもここじゃ言えないなぁ・・・。」
紀子先生は、さっきと同じように、上を向いて嵐山先生とは反対側を向いた。

「わかりましたよ。今晩食事おごりますから、教えて下さいよぉ!」
嵐山先生は、頼むようにこう言った。

「真智子ちゃんも一緒じゃないとやだなぁ・・・。」
紀子先生は、完全に弱みを握った女王様のように、上を向いて嵐山先生と反対を向いて、こう言った。

「え! 真智子先生もですか? えーい、もう任して下さいよ。四人分私めが面倒見させていただきますから。」
嵐山先生がこう言った瞬間、紀子先生はにっこりと笑った。

「真智子先生! 中田先生! 嵐山先生が晩ご飯おごってくれるんですってぇ!」
紀子先生は、本当に嬉しそうな悲鳴にも似たような大声を上げて、同じ校舎の二階にある図書室へと向かっていった。紀子先生がいなくなった後、嵐山先生は、がっくりと床の上にうなだれた。

「あーあ、これ絶対紀子先生にやられたんとちゃうのん。」
嵐山先生は、ぼやくように言った。

その晩、嵐山先生と中田先生、紀子先生と真智子先生の四人が、とある料理屋にいた。枡席の奥に中田先生と真智子先生、手前に嵐山先生と紀子先生が、ちょうど男女向かい合う形で座っていた。四人のちょうど真ん中には、鍋が一つ置いてあった。そして、嵐山先生と中田先生の前には生ビールの中ジョッキが、真智子先生の前にはカルピス酎ハイが、紀子先生の前にはウーロン茶が並べられた。

「じゃ、かんぱーい!」
紀子先生の音頭で、四人が乾杯した。

「嵐山先生いいんですか、ビールなんか飲んで。」
真智子先生は、嵐山先生がおいしそうに飲むビールを見ながら、こう言った。嵐山先生は、真智子先生には目もくれずに、目の前の中ジョッキを一気に飲み干した。

「いやー、仕事が終わったらこれやな。」
嵐山先生は、インターホンで店員にビールを追加した。

「それにしても、ちゃんこ鍋って言うのがお前らしいな。」
中田先生は、嵐山先生の方を向いてこう言った。この店では、最初から中身を全部入れた状態の鍋を持って来て、お客の目の前で煮込む仕組みになっていた。だから、煮えるのに時間がかかった。そこで、四人の先生方は、雑談に花を咲かせていた。

「そやけど、あのパトカーは良かったよな。」
嵐山先生は、はやく話の確信を聞きたいと言わんばかりにこう言った。

「えー、パトカーなんて来てたっけ?」
中田先生は、不思議そうな顔をした。というのは、あの時間に中田先生が授業をしていた校舎は、ちょうど三年一組のある校舎の真裏にあった。当然、ガレージに停まったパトカーは見えなかった。だから、中田先生は何も知らずに、いつものように授業をしていたのだ。

「そうなんですよ。私もその話が聞きたかったんですけどね。」
真智子先生も、不思議そうな顔をした。真智子先生があのとき授業をしていたのは、中田先生が授業をしていたのと同じ校舎の違う階、つまりパトカーは見えなかったし、騒ぎになっていたのも知らなかった。

「ああ、あれねぇ・・・。」
紀子先生は、うすら笑みを浮かべた。

「あれはね。教頭が連れて行かれたの。」
紀子先生は、こう言った。

「え!?」
嵐山先生と中田先生、真智子先生は、揃ってこう声を上げた。

「なんで教頭が連れてかれちゃったんだろう?」
中田先生は、更に不可解な顔をして、こう言った。

「いや、私もよくわかんないんだけどね。」
紀子先生は、こう前置きして話を続けた。

「どうもあの教頭が、学校のお金を使い込んでたらしいのよ。それも数年前から。前から事務の方(事務部)で、勘定が合わなかったのにいつの間にか合ってるって。どうもおかしいなってことで、以前から調べてたみたいよ。」
「へぇ・・・。」
中田先生は、こうつぶやいた。

「そら学校では言えんわな・・・こんな話。」
嵐山先生も、こうつぶやいた。真智子先生は、ただぽかんと口を開けていた。

「何にいくら使ったのかはよくわかんないけどね。あの教頭、結構色々と遊んでたみたいよ。ああ見えて。」
紀子先生は、こう言った。

「ま、あの教頭、独身だもんな。でも、あの教頭が豪快に遊んでる姿は、ちょっと想像したくないな。」
中田先生は、つぶやくようにこう言った。そうこう言っている内に、四人の目の前のちゃんこ鍋からは、いい匂いがしてきた。そろそろ煮えたらしい。

「ま、そろそろ煮えたみたいだから、食べましょ?」
真智子先生は、明るい声を上げてこう言った。嵐山先生がふたを開けると、真っ白な蒸気がむわっと上がった。鍋の中から、おいしそうに煮えたちゃんこ鍋が顔を覗かせた。嵐山先生は、すぐさま鍋のだしを自分の取り皿に取ったかと思うと、ちゃんこ鍋を平らげ始めた。ちゃんこ鍋の食べ方を知らなかった残りの三人は、嵐山先生の様子を見て、まずは紀子先生から、続いて真智子先生、最後に中田先生が、同じようにだしを取り皿に入れて、ちゃんこ鍋を食べ始めた。

「アラシ、お前俺達が食う分残しとけよ。」
中田先生は、こう言った。

「かまへん。どうせわしの金やろ?」
嵐山先生は、出した分の元を取ろうと、手元のビールには目もくれず、ちゃんこ鍋を平らげていた。

「正確には、GⅡレース(中間テスト)で取り戻すつもりなんだろ?」
中田先生は、負けじとちゃんこ鍋を平らげながら、あきれたようにこう言った。

「いいじゃないですか。追加したら。」
真智子先生は、鍋の中からつくねを取り出して、こう言った。

「えーっ、追加するんですか?」
嵐山先生は、豚肉を食べながらこう言った。

「だって、嵐山先生と中田先生ばっかり食べてたら、あたし達が食べる分なくなっちゃうじゃない。これじゃおごりになんないわよ。」
紀子先生は、鍋の中からエビを取り出して、こう言った。そうこう言っている内に、鍋の中は瞬く間に空っぽになった。紀子先生は、すぐ脇のインターホンから、ちゃんこ鍋を二人前と、濃いめのカルピス酎ハイを追加した。

「お、とうとう紀子先生も飲むんですか?」
中田先生は、嬉しそうな声でこう言った。

「違うよ。これは真智子ちゃんの。」
紀子先生は、むしろ何事もなかったかのようにこう言った。

「えー、私まだ全部飲んでないよぉ!」
真智子先生は、およそ半分ぐらいしか空いていないグラスを指差して、こう言った。

「何泣き言言ってんのよ。こういう誰かのおごりって時がチャンスなんだからさあ。普段の倍ぐらい飲んどかなきゃだめじゃない。」
紀子先生は、ウーロン茶を片手にこう言った。

「なんか、紀子先生の恐ろしい一面を見たような気がする・・・。」
この風景を見ていた嵐山先生と中田先生は、そうつぶやいた。

「ほらぁ、中田先生も飲んでないじゃない。」
紀子先生は、中田先生の中ジョッキを指差して、こう言った。

「飲むったって、こいつ散々食いまくるから、食う方が忙しかったんだよ。」
中田先生は、こう言い訳をした。

「言い訳なんかいいから、さっさと飲んじゃいなさいよ。もうちょっとしか残ってないんだからさあ。」
紀子先生は、中田先生の中ジョッキを指差してこう言った後、すぐ脇のインターホンから生ビールを中ジョッキで一杯頼んだ。

「わしら忘年会で紀子先生の隣に座ったら、いっぺんにつぶされるんとちゃうか?」
嵐山先生は、中田先生にそっと耳打ちした。

「そそ。でもって本人が全然飲んでねえんだよな。」
中田先生は、嵐山先生にそっと耳打ちした。こうして、四人の先生方は和気藹々と鍋をつつきながら、話に花を咲かせた。どっぷりと夜になった頃、鍋会は終わった。

鍋会が終わったとき、中田先生と真智子先生は真っ赤な顔をしていた。とりわけ真智子先生は、濃いめのカルピス酎ハイが効いたのか、半分つぶれかかっていた。

「ほな、送って行こか?」
嵐山先生は、ポケットから車のキーを取り出した。

「いいわよ。どうせここから歩いても帰れるから。」
紀子先生は、こう言った。

「いや、別にかまへんで。」
嵐山先生は、こう言った。

「だって、この車乗ったらホテルに連れてかれるのわかってるもん。」
紀子先生は、そう言って駅の方へと歩いていこうとした。

「あ、でも中田先生がお相手だったら、あたしその方がいいな!」
べろんべろんとまでは行かなくとも、相当酔っぱらってる真智子先生は、こう言って中田先生の左腕をぎゅっと抱きしめた。中田先生は、目が点になっていた。

「じゃ、中田君、後はがんばってね。明日報告、よろしく。」
嵐山先生はこう言って、車とともにその場を去った。

「お、おい。ちょっと待てよ。アラシ。」
中田先生は右腕をあげて車を止めようとしたが、反対の腕をしっかりと抱きかかえられていたため、ただ走り去っていくのを眺めるしかなかった。中田先生は、軽くため息をついた後、真智子先生の方を向いてこう言った。

「では、行きますか。」
「うれしいーっ!」
真智子先生は、さも嬉しそうに大きな声を上げた。

「でも、いきなりホテルは嫌よ。」
真智子先生は、ちょっとろれつが回らなくなりかけの声で、中田先生の左肩に頬ずりしながらこう言った。

「それから、優しくしてよ。」
真智子先生は、こう言いながら、中田先生にもたれかかった。

「わかった。わかったから。」
中田先生は、半ばあきれるようにこう言った。

「それじゃあ、行こうっ!」
真智子先生は、嬉しそうに行き先を指差して、中田先生を引っ張って連れていった。

その翌日、中田先生が出勤すると、すでに嵐山先生は学校に来ていて、嵐山先生以下三学年担任の先生方が、中田先生を手招きした。

「ままま、中田先生こちらに。」
竹本先生と稲垣先生が機嫌の良さそうな声を上げ、中田先生を席に座らせた。その席の前には、嵐山先生が座った。

「アラシ、これ一体何なんだよ!」
中田先生は、不機嫌な声を上げた。

「何なんだよって、事情聴取に決まってるやんか。」
嵐山先生は、机の上に置いてあった箱からたばこを取り出し、ぷかりと吸い始めた。

「事情聴取って、何の?」
中田先生は、更に不機嫌そうな声を上げた。

「何のって、うわー白々しいこと!」
稲垣先生が、こう言った。

「アラシ、これ一体何なの?」
中田先生は、本当に何があったのかわかっていない風に、こう言った。

「ええか。お前には、いくつかの容疑がかかっている。昨日っ! あの鍋会で、わしと紀子先生が帰った後、真智子先生と一緒に何してましたかっ!」
嵐山先生は、楽しそうな声でこう言った。

「何にもしてませーん!」
中田先生は、上を向いて大きな声で白々しくこう言った。周りにいた三学年担任の先生方は、白々しそうに

「へぇー!」
と声を上げた。

「中田君、もう容疑は固まっちゃったんだよ。」
嵐山先生は、らしくない標準語で、楽しそうにこう言った。

「容疑って? 何の?」
中田先生は、訳が分からない風でこう言った。

「僕ちゃん今日聞いちゃったもんね! 真智子先生から。」
嵐山先生は、相変わらず楽しそうな声を上げた。中田先生は、

「はあ!?」
と言わんばかりの顔をした。

「中田君、今ここで喋っちゃった方が楽だよ。」
竹本先生も、楽しそうな声を上げた。

「黙秘しまーす!」
中田先生は、上を向いて大きな声でこう言った。そして、どこからともなく、こんな声が聞こえた。

「判決。中田拓也被告に、三年三組学級担任一日の刑に処す。」
声の主は、内海先生だった。中田先生を含め、三学年担任の先生方が唖然とした。

「いや実はね。さっき和田先生から電話があったんだ。今日は頭が非常に痛いから欠席します、と。だから、中田先生代わりにホームルーム行ってよ。」
内海先生がこう言ったとき、中田先生は、

「やっぱりなぁ。」
とつぶやいた。

「ま、そう言うことだから、俺三年三組に行って来るよ。それじゃあ、今日も一日お元気で。」
中田先生はこう言って、張り切って三年三組の教室へと向かっていった。内海先生も、三年二組の教室に行った後、嵐山先生を含め残りの先生が、

「誘導尋問は失敗に終わったか・・・。」
とつぶやいた。

「あれ言うたらナカも白状する思うてんけど、まさか真智子先生が休むとはなぁ。」
嵐山先生は、がっくりしてこう言った。

その夕方、中田先生は一人で帰るつもりをしていた。正門から急な坂道を歩いて降りていったところ、後ろから車が停まった。

「乗れや。」
助手席のパワーウィンドウを開けて、嵐山先生が言った。中田先生は、しょうがないなと言う顔をして、車に乗り込んだ。

「そやけど、昨日のあれは決定的やったな。」
車の助手席の窓を閉め、発車させるなり嵐山先生はこう言った。

「ああ、昨日のあれ?」
中田先生は、必死に言い訳をした。

「いや、だからぁ、あれはあの後ぉ、もう一軒飲みに行ってぇ、ちょっとゆっくりしようかなってことになってぇ。」
「・・・で、ゆっくりとどこへ行ったんや?」
嵐山先生は、こいつ誘導尋問に引っかかったと言わんばかりにこう言った。

「どこだっていいじゃないかよ!」
中田先生は、ムキになってこう言った。

「あほ。わしが言いたかったんは、その話とちゃうわい。」
嵐山先生は、平常心の声でこう続けた。

「昨日の紀子先生の話や。教頭が使い込みやってたとしたら、これは決定的やで。」
「何が?」
中田先生は、訳が分からずにこう言った。

「お前もあほやなぁ・・・。教頭が使い込みやって、ばれそうになって、何とか穴埋めしようと。」
中田先生は、この嵐山先生の話を聞いて、ただ相づちを打った。嵐山先生は、こう続けた。

「そこで、制服を盗んで、ブルセラショップで換金しようと。ほれ見てみい、話はぴったりや。」
「なあんだ、その話か・・・。」
中田先生は、そう言って平常心に戻った。

「まあ確かに、動機としては十分だけど、ちょっと腑に落ちないんだよなぁ。」
中田先生は、こう話を続けた。

「まず、いくら金に困ってるったって、制服盗んで換金したぐらいじゃ、大した金にならんだろう。少なくとも、これだけじゃ穴埋めは無理だな。」
「まあな。でも、わしは思うけど、徳本の一件は氷山の一角やと思うで。実際には、もっと色んな奴が盗まれとるはずや。表沙汰にならんかっただけでな。それに、女の子脅してビデオにでも出してみい。これ結構ええ金になるで。そう思わへんか?」
嵐山先生は、こう反論した。

「でも、あれって所詮販売ルートはブルセラショップだけだろ。やっぱり大した金にならんよ。」
中田先生は、こう言った。

「年齢偽って本物のAV出したらええやんか。」
嵐山先生は、ムキになってこう反論した。中田先生は、しばし黙って腕組みした。

「それともう一つが、確かアラシと二人でブルセラショップ回ったよな。その時にうちの制服が出回ってなかったじゃない。」
中田先生は、こう言った。

「なんでやねん。ブルセラショップって全国に何件ある思うてんねん。第一、わしらが回った頃にはすでに売り切れやったかも知れへんねんぞ。」
嵐山先生は、こう反論した。中田先生は、何も言わずに吸い殻入れを開け、たばこを吸い始めた。

「じゃ、これで決まりかもな。」
中田先生は、ため息混じりにこう言った。

「おう、じゃ教頭の口を割らせよっか。」
嵐山先生は、こう言った。

「ああ。俺にいい考えがある。車こっちに走らせてくれ。」
中田先生は、左を指差してこう言った。車は、左へ曲がったかと思うと、繁華街の奥の奥にある、怪しげな公園の前に停まった。車から降り立った中田先生は、ビルの谷間を指差した。嵐山先生は、中田先生が歩くままについて行った。中田先生は、ビルの谷間の奥の奥にある、薄暗くて怪しげな方へと歩いていった。その先にはなぜか明かりがぼんやりついていて、たばこ特有のヤニ臭い臭いと、バーボンのつんとした臭いがした。中田先生は、そのヤニとバーボンの臭いのする元へと歩いていった。

そこには、昼間ではとても見られない姿の大沢さんがいた。この大沢さんと言うのが、昼間の姿はただのブスな女の子だった。それが、茶色と言うよりは思いっきり薄い金髪のような茶髪と、やたらに厚い化粧、これでもかと思うほど短いセーラー服とスカート姿で、スケ番の番長を張っていた。あの嵐山先生ですら、顔に見せない動揺をした。

「学校とここじゃ、随分変わるもんだな。」
中田先生は、こう言った。嵐山先生がサングラスを取ると、大沢さんの後ろには、スケ番の連中が五~六人ほど、うんこ座りでたばこを吹かしてたり、バーボンをボトルのまま空けてたりした。

「中田の言いつけ通り、学校じゃ普通のガキんちょしてるからさ。」
大沢は、右手のたばこを吹かした。

「わかってるとは思うが、学校じゃたばこを吸うなよ。」
中田先生は、こう言った。

「なんだ。今日は説教をしに来たのか。」
大沢は、不機嫌そうにこう言った。

「いや。今日は頼みがあってきた。大沢、お前もたまには正義の味方になれ。」
中田先生は、腕組みしてこう言った。大沢は、しばし考えた。

「中田の頼みじゃ、断れねえな。」
大沢は、たばこを吹かしながらこう言った。

「作戦は、後で指示する。頼んだぞ。」
中田先生は、そう言ってその場を去った。嵐山先生も、中田先生について行った。そしてまた、薄暗い公園に戻ったところで嵐山先生はサングラスをかけ直した。

「いやあ、ナカを見直したで。」
車に乗り込むなり、嵐山先生はそう言った。

「目には目を、裏のある奴には裏のある奴をって言うじゃない。あいつら、学校ではおとなしくしてろって言ってあるんだ。」
中田先生は、こう続けた。

「人は外見じゃないよな。」
「ああ。」
嵐山先生は、納得した。こうして、車は闇の中へと走り去っていった。

次の日、早速作戦は実行された。その日の六時間目が終わった後、体育館裏に嵐山先生と中田先生の姿があった。

「ここここ。」
中田先生は、体育館の日の当たらない場所に、嵐山先生を呼びつけた。

「何やねん、ここ教頭が潜んでたとこやんか。」
嵐山先生は、不思議そうな顔をしてこう言った。

「この穴。アラシ、ちょっと覗いて見ろよ。」
中田先生は、茂みの下にある、小さい穴を指差した。嵐山先生は茂みに潜り込み、この穴を覗いたままこう言った。

「なんやねん、これ。女子更衣室の中、丸見えやんか。」
嵐山先生は、むしろなんでこういう穴が開いているのか不思議そうな声で、そう言った。

しかし嵐山先生は、夢中で穴を覗いていた。
「いつまで覗いてるんだよ、このバカ!」
中田先生は、嵐山先生の後頭部を一発殴った。

「痛ったぁ!」
嵐山先生は、右目の辺りをさすった。

「どっちにしても、教頭がこうやって中の様子を探ってたとしか思えないんだよなぁ。」
中田先生は、こう言った。

「来ると思う?」
嵐山先生は、中田先生に聞いた。

「来る。だって、中で誰か着替えてたら、一巻の終わりだもん。」
中田先生は、自信たっぷりにこう言った。嵐山先生は、ただ相づちを打った。

「では、我々は張り込みと行きますか。」
中田先生はそう言って、穴の周りの茂みが見やすそうなところに隠れた。嵐山先生も、中田先生の隣に隠れた。作戦の第一段階は、こう言うことだった。まずこの場所で教頭が覗きに来るのを待つ。教頭は、中に誰もいないのを確認してから女子更衣室の方へ歩いていく。そうしたら中田先生が、体育館内で待機している大沢に合図を送る。ということであった。

待っても待っても、教頭の姿は現れなかった。作戦実行部隊には、次第に焦りの色が濃くなってきた。

「ナカ、マジで来るかぁ、教頭。」
嵐山先生は、小声でこうぼやいた。

「来る。お前の話が正しかったら、今教頭はかなり金に困ってるはずだ。」
中田先生は、小声でこう言った。

「しかし、大沢もこんな長い時間よく我慢してるなぁ。」
嵐山先生は、また小声でこう言った。

「うん。教頭を殴る役だって言ったら、喜んでた。」
中田先生は、小声でこう言った。そうこう言っている内に、嵐山先生と中田先生が隠れていた辺りは、段々たばこの吸い殻でいっぱいになった。

もう何時間待ったか、ついに教頭が現れた。教頭は、何食わぬ顔をして、一端きょろきょろして、周りの様子を確かめた。そして、ちょうど例の穴のある辺りの茂みに隠れた。中田先生は、体育館に向かって懐中電灯を二回照らし、大沢に合図を送った。穴の向こうでは、大沢の仕掛け人である女の子が着替えを終え、外へ出ていった。女子更衣室の中は、誰もいない。教頭は、茂みから出てきた。そして、体育館の入り口の方へ向かったところで、中田先生は、体育館に向かって懐中電灯を一回照らし、大沢に合図を送った。

「アラシ、行くぜ!」
中田先生は、嵐山先生を連れて体育館へと向かった。

何も知らない教頭は、体育館の正面を抜け、そのまま女子更衣室の中へと入っていった。教頭が扉を開け、何食わぬ顔で中に入って扉を閉めた。その途端に、女子更衣室からは、

「キャーーーッ!」
と言う大きな黄色い悲鳴と、

「ぎゃーーーっ!」
と言う教頭の悲鳴が聞こえた。実はこれが、作戦の第二段階だった。中田先生が合図を送った後、大沢以下女の子達が仕掛け人となって一斉に女子更衣室に入り、着替えを始めていた。それを知らない教頭は、何食わぬ顔で女子更衣室に入っていった。すると、中は着替え中の女の子でいっぱい。教頭は、まんまと痴漢の現行犯に仕立て上げられると言うわけだった。そして、ここで嵐山先生と中田先生が現れ、女子更衣室からたまらず飛び出してきた教頭をとっつかまえるはずだった。

「なんだ! どうした!」
体育館内にある講師控え室から、予定外の寺田先生が飛び出してきた。

「先生、痴漢よ! 痴漢!」
大沢は、もみくちゃにされながら逃げまどう教頭を指差して、大声で叫んだ。

「なにっ! 痴漢だと!」
寺田先生はそう言いながら、教頭を追いかけた。教頭は、

「知りましぇーん!」
と泣き言のような悲鳴を上げて逃げようとするが、体育講師の寺田先生の足にはかなわなかった。

「知らんわけねーだろ、現行犯じゃ!」
寺田先生はこう叫んで、ついに教頭をとっつかまえた。

ここで体育館に入った中田先生と嵐山先生は、様子がおかしいことに気づいた。見ると、寺田先生と着替えていた女の子多数(実は大沢の仕掛け人だが)が、すでに教頭をとっつかまえて、袋叩きにしていた。

「おい、なんか作戦がちゃうぞ。」
嵐山先生は、小声で中田先生に言った。中田先生は、機転を利かせて、

「寺田先生、どうしました!」
と叫んだ。

「中田先生、嵐山先生も来て下さい。痴漢ですよ、痴漢!」
寺田先生は、大声でこう叫んだ。

「ナカ、痴漢やて。行こう!」
嵐山先生は、こう言った。そして、嵐山先生と中田先生も、袋叩きの山の中に加わった。そして、教頭を散々蹴り通した。袋の下の教頭は、もうぼろぼろの状態だった。中田先生は、教頭の胸ぐらをつかみ、強引に立たせた。

「おめーみてーな奴に、ハレンチな教師だなんて言われたかねぇや!」
中田先生は、教頭を思いっきり殴った。続いて、嵐山先生が、教頭の胸ぐらをつかみ、強引に立たせた。

「お前みたいなもんに、最低な教師やなんて言われたないわ!」
嵐山先生は、教頭を思いっきり殴った。続いて、大沢が、教頭の胸ぐらをつかみ、強引に立たせた。

「人間のクズは、おめーの方だろ!」
大沢が、教頭を思いっきり殴った。

「みんな、かまわねえから、こいつ追い剥ぎにしちまおうぜ!」
どこからともなく、こんな叫び声が聞こえた。袋叩き軍団の間から、大きな歓声が上がった。まずは、上着から。続いてズボン、ネクタイ、ワイシャツと、順番に脱がされ、一枚、また一枚と脱がされる度に服が上へと舞い上がり、袋叩き軍団から歓声が上がった。教頭は、パンツ一丁の状態になったところで、ようやく解放された。教頭は、ひいと悲鳴を上げながら、走り去っていった。袋叩き軍団からは、歓声と拍手が巻き起こった。

その後、嵐山先生は両足を机の上に投げ出して、新聞を眺めながらたばこをぷかぷかと吸っていた。この新聞の社会欄には、

「ハレンチ教頭、逮捕される

女子更衣室を覗き見、使い込みも?」

という見出しで始まる、次の記事が掲載されていた。
二十日午後五時三十八分、上風学園高等学校の女子更衣室を覗き見していた同校の元教頭で、宮崎雅也容疑者(四十八)を、軽犯罪法違反(痴漢行為)の現行犯で逮捕した。調べによると、宮崎容疑者は二十日の夕方頃、同校の体育館内にある女子更衣室内を覗き見していたところを同校の教師が発見し、取り押さえられた。同校の内部調査によると、宮崎容疑者にはこの他にも同校の資金を個人的に極秘で流用していた疑いが持たれており、警視庁では宮崎容疑者に余罪がなかったどうか、また資金の使い道についても厳しく追及する方針を固めた。なお、宮崎容疑者は、同日付けで学校法人上風学園を懲戒解雇された。
嵐山先生は、新聞を机の上に置いた。中田先生は、今複雑な心境でいた。何やら落ち着かない雰囲気で、たばこをぷかりと吸っていた。そして、嵐山先生が机の上に置いた礼の記事を、食い入るように眺めていた。そこへ、職員室の扉がコンコンとノックされた。がらりと扉を開けて、入ってきたのが大沢だった。中田先生と嵐山先生は、何も言わずに大沢を手招きした。そして、三人は職員室の奥の方にある、取調室の中へと入っていった。三人が入っていった後、職員室に残った先生方が、何やらひそひそと話し始めた。
取調室の中で、大沢はただ黙ったまま、うつむいていた。しばし三人の前に沈黙が流れた。
「大沢、これまでお前を何回もここに呼んできたし、もう何回も同じことを言ってるから、俺の口からお前に言いたいことはない。」
中田先生は、こう言った。
「ただな、わしはお前をこんなしょうもない理由で退学にさせたなかった。それは、中田先生も同じ気持ちやと思う。」
嵐山先生は、いつになく真面目な口振りで、こう言った。
「もし、一言だけ、たった一言だけ言っておきたいことがあるとすれば、俺の力不足って言うのかな。今度ばかりは、お前をかばい切れなかった。それだけは、許して欲しい。」
中田先生は、腕組みをしてこう言った。そしてまた、三人の間に沈黙が流れた。
「よせよ。あたいだって、中田を恨んだりしないよ。この部屋、あたいが悪さする度、中田に呼ばれたよな。いっつも中田は、こう言って怒ってたよな。『もし俺が見つけたとしても、見逃してやる。でも、他の先生に見つかったら見逃してもらえないから、こんなことするな』って。今日最後に聞けるかと思ってたよ。」
大沢は、しみじみとこう言った。中田先生は、ただ顔をしかめた。
「でも先生、本当はね。卒業したかった。本当は・・・。」
大沢は、涙声でこう言った。そして、ついに泣き始めた。嵐山先生も中田先生も、なだめる言葉を失っていた。それからしばらくした後、取調室の扉がノックされた。嵐山先生は席を立ち、扉を開けた。扉の向こうには、寺田先生が立っていた。寺田先生は、扉を半開きにしたまま、嵐山先生に耳打ちした。
「処分が決まったそうや。停学十日。今度は寺田先生が助けてくれたわ。大沢の力で教頭を警察に突きつけることができた訳やし、今回だけは許してやろうと言うことらしいわ。」
嵐山先生は、むしろ真面目な声でこう言った。大沢の涙声が、うれし泣きに変わった。
「良かったな、大沢。処分は受けたけど、正義の味方にはなれたぞ。」
中田先生はそう言って、大沢の背中を二回さすった。
「そやけど、この部屋に呼ばんなんのは、これで最後にしてや。大沢ももう三年生やさかいな。」
嵐山先生は、顔をしかめてこう言った。
取調室を出た大沢は、同じく取調室を出た嵐山先生と中田先生、そして寺田先生の方を向いて、ぺこりとお辞儀をした。そして、静かに職員室の扉を開け、職員室から消えた。
大沢が職員室から消えた瞬間、嵐山先生は、
「ちぇっ!」
と残念そうな声を上げた。中田先生も、さっきの沈没しそうな顔つきとは打って変わって、
「ったく、残念賞だよなぁ・・・。」
と、ぼやくように言った。
「でも良かったじゃないですか、大沢さん退学だけは免れて。」
寺田先生は、残念そうな顔をしている嵐山先生と中田先生の肩をぽんとたたいて、こう言った。
「頼むから、危ういとこだったって言ってくんない?」
中田先生は、あきれた様な声でこう言った。
「ほんまやで。」
嵐山先生も、残念だったような、でもほっとしたような声でこう言った。
「だってさあ、例の徳本の制服事件の犯人が大沢だったって聞いた時さあ、どれだけがっくりしたことか。」
中田先生は、こうぼやいた。
「そうそう、教頭を袋にした後で生徒部に連れてかれてなぁ。わしゃこの時点やったらしゃあないなって思うたんよ。」
嵐山先生は、こうぼやいた。
「で、取調室入って、やけに長いなあって思ってたんだよ。」
中田先生は、思い出すように、でもがっかりしたようにこう言った。
「ほしたらなんか、何であんな保健室ばっか行くんやって話になったんよ。」
取調室で一緒だった嵐山先生が、こう言った。
「俺も、そう言えばあったかなって感じだったけど、あの後色んな先生に聞いたら多いこと多いこと。およそ週二~三回は保健室に行ってた計算なんだよな。で、本当に保健室に行った回数と全然合わないんだよ。」
この後、調査した中田先生が、こう言った。
「そやから、この写真持って、あのブルセラショップで聞いたら、『この子に間違いない』って言うやんか。」
嵐山先生は、机の上に置いてあった大沢の写真を指差した。
「あの店長、こいつの顔見て相当びびってたよな。で、こいつが先生だって聞いた途端のあの顔。もう笑っちゃうよな。」
中田先生は、嵐山先生を指差した。
「ほんで大沢をもっぺん呼びだして、問い詰めたら、徳本の制服を盗んで売ったって言うやんか。」
嵐山先生は、こうぼやいた。
「あれはがっくりだよな。俺、てっきり教頭が犯人だって思ってたよ。」
中田先生は、こう言った。
「あれ以降の色んなもん、例えばジャージとか体操服とか、こんなん盗んでたんも大沢やって言うやんか。」
嵐山先生は、こうぼやいた。
「結局あいつ、ああやってスケ番グループの資金集めてたんだよな。俺てっきり教頭が犯人だと思ってたんだけどなぁ。」
中田先生は、こう言った後、がっくりとうなだれた。やがて、紀子先生が帰ってきた。教頭の様子を見に、警察署へ行ってたのだ。
「教頭は、僕じゃないって言ってましたよ。なんか、抜き打ちで持ち物検査をするためだって。そう言い張ってましたよ。」
紀子先生は、帰ってくるなりこう言った。
「あのアラシが教頭を見かけた時間と、盗まれた時間が一致したってのがあったろ?」
中田先生は、嵐山先生にこう聞いた。
「おう・・・。」
嵐山先生は、こう答えた。
「寺田先生にもう一度聞いてみたら、五・六時間目続きの体育で、どっちの時間に盗られたかわかんないって話だったんだよ。」
中田先生は、吐き捨てるようにこう言った。
「なんや、それ。」
嵐山先生は、ぼやくようにこう言った。
「もっとも、教頭の無罪ですって話も、胡散臭いような気がするな。」
中田先生は、こう言った。
「んじゃあナカ、わしらも帰ろか。」
嵐山先生は、こう言った。
「そうだな。今日からしばらくの間、俺達自宅謹慎だもんな。」
中田先生は、ため息混じりにこう言った。そして、嵐山先生とともに、職員室を後にした。先生方は、むしろ心配そうな顔で、嵐山先生と中田先生を眺めていた。
車が動き出すなり、嵐山先生はこう言った。
「ナカ、お前これで自宅謹慎何回目やねん?」
「よせよ、人聞きの悪い。後にも先にもこれが初めてだって。」
中田先生は、不機嫌な声を上げた。
「でも、今回の一件で、俺もあきらめがついたかな。」
中田先生は、上を向いて思い出したようにこう言った。
「なんやねん、それは。」
嵐山先生は、訳が分からない風でこう言った。そして、しばし沈黙が流れた。
「辞めるか。学校を。」
中田先生は、思い切ったようにこう言った。嵐山先生は、しばし考え込んだ。
「なんで辞めんねん?」
嵐山先生は、こう聞いた。中田先生は、黙ったままだった。
「わしゃ思うけど、似合ってると思うで、ナカの場合は。」
嵐山先生は、こう言った。
「先生やってるのはやぶさかじゃないけど、でもな・・・。」
中田先生は、上を向いたままこう言った。
「そやけど、もし辞めるんやったら、わしやで。」
嵐山先生は、こう言った。中田先生は、車に付いている時計を眺めていた。
「やっぱしわしには、教師っちゅうのはどうも合わんわ。」
嵐山先生も、思い切った、と言うよりむしろ真面目な声でこう言った。
「辞めるか、やっぱり。」
中田先生は、こう言った。
「そやな。」
嵐山先生は、ちょっと重々しい返事をした。
その翌日、嵐山先生と中田先生は、校長室にいた。辞表を提出するためだ。校長室の真ん中には、大きな茶色い机に校長が座っていた。嵐山先生と中田先生は、黙ったまま白い封筒を二つ、そっと机の上に並べた。校長は何も言わずに、ちょっとだけしかめっ面をした。そして、嵐山先生と中田先生は何も言わずに、深々とお辞儀をした。そして、校長室から出ていった。
「大沢になんも言わんでええんか?」
嵐山先生は、校長室を出るなり中田先生にこう言った。中田先生は、ゆっくりと首を縦に一回振った。
「ま、大沢のことだから、もう大丈夫だろう。」
中田先生は、自分で自分にこう納得させて、廊下を歩いていった。嵐山先生は、きょとんとして、中田先生について行った。
「ナカ、お前学校を辞めてどうすんねん?」
嵐山先生は、歩きながらこう聞いた。
「さあな。まだ決めてないけどな。」
中田先生は、歩きながらこう答えた。
「ナカやったら、末はナンパ師か小説家とちゃうか?」
嵐山先生は、冷やかすようにこう言った。中田先生は、しばし黙ったまま歩いていた。
「そう言うアラシこそ、学校を辞めてどうするんだ?」
中田先生は、歩きながら不思議そうにこう言った。
「さあな。家業でも手伝うとするか。」
嵐山先生は、歩きながらこう答えた。
「家業って、やくざか?」
中田先生は、こう聞いた。
「お前なぁ!」
嵐山先生は、大声で叫んだ。その瞬間、中田先生はふと立ち止まった。嵐山先生は、何事かとふと前を向いた。目の前には、真智子先生が立っていた。およそ、今にも泣き出しそうだった。
「そうか。お前の別れを惜しむ人が、もう一人いたんやったな。」
嵐山先生はこう言って、中田先生の肩を叩いた。