モデムを買うんだいっ!


 私こと白川朋子は、OL1年生。今年の4月に入社してから、やれ研修だ、やれ報告書だ、やっと仕事につけたと思ったら、電話の応対かコピー取り。あーあ、入社する前はクーラーの効いたオフィスで、静々とワープロを打っている姿に憧れてたんだけどなぁ。

 そんな私の楽しみは、待ちに待った初めてのボーナス。今日は支給日なんだけど、なんかイメージが狂うのよね。私、てっきり給料袋1つ配るだけかと思ったら、朝の朝礼でいきなりうちの会社の社長が長ったらしい訓示を垂れてねぇ。

「今日、ここに中元賞与を支給します。当社と致しましては、この平成の不景気と他社と競合の激化など、大変厳しい経営を強いられていますが、ここに中元賞与を支給できた事は、大変喜ばしいことであります。・・・・・」

 あーあ、何でもいいから早く頂戴よ。

「ですから、この賞与は大切に使ってください。我が業界では、賞与が一切出ないところもあるわけです。非常に厳しい訳です。明日は倒産するかと恐れおののいている会社だってあるわけなんです。ですから、皆さんは、非常に運がいいとしか言えない訳です。・・・・・」

 それって結局あれでしょう。「金をやるからありがたいと思え」って言いたい訳でしょう。だったら長々と話しないでさぁ、さっさとそう言えばいい訳じゃない。全く、どうして年寄りってこうも回りくどいんだろうねぇ。

「では、明細書をお渡しします。まずは、総務課から。秋本課長。」

 こうして、総ての課長が呼び出されて、各課の全員分の賞与明細書が配られたの。で、朝礼が終わって課長から明細書が渡されたんだけど、金額を見てびっくり。 えっ! たったの7万円!?

「当たり前でしょうが。あんた新人なんだから。」

 とは、先輩の話。

「だって、うちの会社の夏のボーナスの計算って、去年の11月から今年の5月でしょう? だから、あんたは4月と5月の2ケ月分しか計算されないのよ。でも、私だって去年はこんな金額だったのよ。まあ、1年目でボーナスなんて諦めなさいよ。」

 とは言ってもねぇ。7万円なんて、「あんたにはボーナスあげないよ」って言わんばかりでしょ? もう、なんか楽しみも何にもないんだからぁ。

「7万円? いいじゃない。モデム買ったら。」

 と、博幸君は言うけどね。あ、そうそう、私ってずっと博幸君と付き合ってて、もう半年になるんだけど、彼っていつも「お金がない」って言っておごってくれないの。どこにそんなお金使ってるのって聞いたら、電話代だって。何か、月々2万円ぐらい払ってるんだって。そんな電話代どこに使ってるのって聞いたら、いやパソコン通信やってたら、それぐらいかかるよって。じゃあ、パソコン通信って何って聞いたら、教えてくれないのね。

 で、明日はなんかオフラインとか言うのに連れてってくれるみたい。オフラインって何って聞いても、教えてくれないのね。「行ったらわかるよ」って言うだけなのよね。え~、何だろう???

 なんて考えてたら、もう朝になっちゃった。私は非常に危機感を感じていたりする。まさか博幸君のことだから乱交パーティーみたいなのに誘うことはないとは思うけど、・・・ねぇ。あーあ、やっぱり今日は用事が出来たとか言って断ろうかなぁ。

 まあ、そんな心配はなかったみたい。でも、なんか異様な雰囲気なのは確かだけどね。だって、待ち合わせ場所とか言う地下鉄の改札前でずっと待ってたら、なんか親しそうな話ぶりで「初めまして」なんて言ってるんだもん。で、見る見る内に改札前に黒い集団が出来て、なんかよくわかんない話してるしさぁ。博幸君に、これって一体何の集まりなのよ、って聞いたら・・・

「わかんない? だろうなぁ。これってみんなパソコン通信やってる仲間なんだよ。で、顔を合わせたことはなくても、パソコン通信で話はしているから『初めまして』になるの。」

 うーん、なんかよくわかんないけど、取り敢えずオフラインの会場とか言うところへ行ってみたのね。どこかと思ったら、ごく普通の居酒屋。それも2~30人は入れるぐらいの大広間。広いなぁと思ってたけど、この黒い集団でまたたく間に埋まったの。で、博幸君が乾杯の音頭を取って、何やらみんな思い思いに話始めたの。

 私、ずっと博幸君と話しようかと思ったら、彼はずっと他の人としゃべってるのね。で、なんか知らないけど盛り上がってる感じなんだけど、私だけ宴会場の隅のほうでしょんぼりしてたの。そしたら、誰か知らない人がやって来て、

「君、ハンドルネームは?」

 思わず、へ? って聞き返してしまったけど、ハンドルネームと言うのはパソコン通信で使っているあだ名のことなんだそうな。私、まだパソコン通信やってません、なんて言ったら

「じゃあ、どうやってここに来たの?」

 なんて話になって、博幸君に呼ばれましたって話をしたのね。じゃあ、博幸君って誰って聞かれて、あそこでなんか私ともう一人だけいた女の人と嬉しそうにしゃべっている赤い顔した人って言ったら・・・

「ああ、YOTの事か。あいつは気をつけろよ。俺たちの間じゃ『女のいるとこYOTあり』なんて言ってるんだからぁ。」

 で、その辺から、その人と話が盛り上がってぇ、色々と話してたの。なんか、この人ってパソコンにはやったら詳しくてぇ、私の知らないことまで何でも知ってるのね。うちにも一応ノートパソコンとか言うのをお父さんが使っててぇ、「なんかようわからん」なんて言ってるけど。

 その人にパソコン通信ってどうやってするのって聞いたら、なんかモデムとか言うのが要るんだそうな。で、これをパソコンと電話につなぐんだって。で、モデムは安いやつで2万円ぐらいなんだって。これでなんで博幸君が電話代にあれだけつぎ込むのか謎が解けたんだけどね。

 で、最後に・・・

「名前、何て言うの?」

 って聞いたら、

「Huck。」

 と、一言。なんか、訳がわかんなかった。けど、なんかすっごい楽しかったの。この一言しか言えないけど、何にも例えられないなぁ、これは。

 よしっ、私もボーナスでモデムを買うんだいっ!