言い出せないまま...


「ねえ、陽子。今日はちょっと話があって...」
「いいのよ。私、隆男くんのことで知らない事ってないもん。」

 ああ、今日も言い出せなかった。

 陽子は俺の婚約者。短大を出てごく普通のOLだ。たまたま飲み屋で知り合って、そのまんま意気投合して、付き合い始めてからもう2年。今度の9月には結婚しようかと話していた。

 でも、俺は陽子と付き合って来た時からずっと隠し続けて来たことがある。それは、俺がネットワーカーであると言う事。

 初めは、陽子の事が好きで、離したくない一心で隠しつづけた。ネットのMEETがある時も、「連れとちょっとコンパに」とごまかした。通信端末に使っているノートパソコンは、「仕事で使うワープロだよ」と欺いた。ネットにアクセスした後陽子から電話が掛かって来て、ずっと話中だったけどどうしたの、と聞かれたら、「いや、久しぶりに東京へ行ってる俺の同僚から電話があって」とうそをついた。

 ところが、これがうまく行きすぎた。いざ結婚となると、話さなければならない。いや、話さなくても陽子が四六時中俺のそばにいたら、いつかは気付くであろう。話さなかったが故に陽子を離したら、俺はもう終わってしまう。だから、せめて結婚式の前に陽子の耳に入れておきたかったのだ。

 ああ、もう言い出せないまま2ヶ月。

 でも、こんなことボードに書けないよね。大体ネットワーカー同士が結婚したと言う話はどこのボードにも書いてあるよ。ネットワーカーがネットワーカー以外の女と結婚したと言う話は、聞いたことがない。

 ああ、いっそ陽子がネットワーカーだったら...

 ネットなんて、全国の誰とでも話ができるだの、人とのコミュニケーションが取れるだの、そんな綺麗ごとなんて聞きたくはない。何も知らない連中から見たら、ただ毎日キーボードに向かって電話を使って文字を送って、それで喜んでるただのオタッキーだ。だから、俺もきっと結婚するんだったらネットワーカーだと決めつけていた。

 あ、玄関のベルがピンポン鳴った。きっと陽子だ。それじゃあ、俺はそろそろ落ちるね。色々愚痴を聞いてくれてありがとう。こんなことを何回チャットで言っただろう。

「隆男くん、あたし今さっき変な人を見掛けたの。」

 駅で待ち合わせて顔を合わせた瞬間、あいさつ代わりに陽子はこんなことを切り出した。

「なんか、公衆電話のとこでごそごそやってたのね。何をしてるのかなぁと思って見てたの。そしたらいきなりワープロみたいなのを取り出して、なんか線みたいなのを公衆電話につないでるの。そっからなんかキーボードを叩き始めてなんかにやにや笑ってるのね。もう気持ち悪くてぇ。」

 そいつは、ノートパソコンを持ち歩いて町中からアクセスしていてネットワーカーだと言う事は、容易に想像がついた。

「隆男くんって、ワープロであんな気持ち悪い事してる訳じゃないでしょぉ?」

 俺は「うん」と答えてしまった。と同時に、もう2度とネットワーカーだと白状できなくなってしまったのかもしれない。

 だが、それが陽子にばれてしまったのだ。

 あれは、MEETの帰りがけ。ついMEETに参加したメンバーにありがとうが言いたくて、感想とかをボードに書きたくて公衆電話に駆け込んだ。言いたい事を公衆電話が吸い上げて「やったー!」と思った瞬間後ろを向くと、陽子が茫然としていた。なぜここに陽子が立っていたのか、俺にはわからない。俺が陽子と名前を呼ぶと、陽子は駆け出して行ってしまった。俺は追いかけたかった。でも、公衆電話につながったままのノートワープロが、その邪魔をした。

 ああ、もう終わってしまったのか...

 家に帰った俺は、寂しいやら悲しいやらでボトルを空けた。最初からMEETで散々飲んでいたのに、そこからまた酒をあおった俺は、いつしか深い眠りについていた。

 ふと目を覚ますと、俺の横には陽子が座ってた。

「あたし...悲しい。」
「どうして? 俺がネットワーカーだからか? 公衆電話で気持ち悪いことしてたからか?」

 俺は、大声をあげざるを得なかった。

「ちがうの...」
「違うもんか! いいよ、何も聞きたくないよ。どうせ誰もわかってくれないよ。ネットワーカーなんて、所詮無気味な存在だろうよ。」
「そうじゃないの...」

 陽子の目には、涙が浮かんでいた。俺は急にだまり込んだ。

「あたし、悲しいの。あたし、隆男くんのことは何でも知ってたつもりよ。でも、あたし、隆男くんのことで知らないことがあった。だから、だから悲しいの...」

 陽子はすでに涙声になっていた。

「じゃあ最初から話てたらわかったのかよ! パソコンを電話につないで、こうやったらアクセスできるって、俺がこういう趣味があったってわかったのかよ!」
「わからないわよ!」

 泣きじゃくりながら訴える陽子。高飛車だった俺は黙り込んでしまった。

「わからないわよ...わかるわけないわよ! だから...教えて欲しいのよ。これからも...ずっと...。」
「一生かかるかもしれないよ。」
「私がおばあさんになる頃、あんたは『おじいちゃん、パソコンなんて古いなぁ』って笑われてるかもしれないわよ。」
「電話代で破産するかもしれないよ。」
「その時は...あたしが尻に敷いたげる。『あんたっ!』って。」
「それでもわからなかったらどうする?」
「いいのよ。私、隆男くんのことで知らない事ってないもん。」

 俺は、思わず「やった~~~!」と叫んだ。陽子を強く抱きしめた。もう俺は陽子を離さない。俺は心にそう誓った。

 その陽子とは、いまでもキーボードの入力スピードを競い合っている。