メールの向こうに...


 髪は切りたくないから、ブローはしない。後でもめるのは嫌だから、曲がったことはしない。事故を起こしたくないから、車には乗らない。そんな私は、抜け殻になるのは嫌だから、いつもずっと一人きり。

 別に男を知らない訳じゃない。私だって世間並に男はいたし、キスだってうまくできる...と思う。セックスも何度か体験したし、修羅場も何度か経験したしたし、そして別れも経験した。恋なんて、所詮傷つくだけ。世間はどう思ってるか知らないけど、少なくとも私はそう思っている。

 私、よくチャットなんかをやっている。「じゃあ今から会おうよ」て、よく誘われる。別に会うだけだったらかまわないから、「じゃあそうしよう」なんて乗りで駅の改札前で待ち合わせして、「飲みに行こうか」って話が出て来て、機嫌良くおごってもらって、鼻の下伸ばした男が「それじゃあ」って誘うけど、後は逃げるだけ。「次はいつ会えるかな」なんて話には乗らない。だって、私深入りしたくないもん。

 とにかく、こんな感じだから、わざわざ恋なんてしなくても男には不自由しないし、不自由しないぐらいだったら傷つくだけの恋なんてしない方が賢いんじゃないかしら。それに、私なんてもう恋に走るほど若くはないし、下手に恋に走ったら結婚なんて話が出てしまう。私ぐらいの年齢の子だったら、たいてい付き合ってから3カ月もしたら結婚なんて話が出てくるんじゃないかしら。大体相手も28か9のいい年だから、結婚相手を求めてうろうろしてる訳でしょ?

 でも、今度だけは逃げ切れなかったみたい。その日は会社で大事なファックスを送り間違えて、「うちの会社の機密が外部に漏れた」とか何とかで上司にこってりと油を搾られていたのね。で、むしゃくしゃするから半分やけのチャットしてたら、「会おうか」って話になったのね。駅の改札で待ち合わせて、「飲みに行こうか」って言ういつものバターン。で、よせばいいのに私はこともあろうにバナナダイキリをぐいぐい空けて、相手も「どうしたの」と心配する声から先の記憶がないのね。気が付いたらそこは、どこぞのホテルのベッドの上。もう逃げられないと観念して、私は目を閉じたの。彼は私のFカップをいやらしく揉みほぐして、いつの間にかブラとパンティを外してたの。そこから私は悦楽の世界。こんなこと久しくやってないから、もうだめ。彼の固い肉棒が入って来て、私は深い吐息をこぼした...

 ああ、彼よりも優しい男なんていくらでもいるのに。彼よりもルックスのいい男もいくらだっているのに。彼よりもセックスのうまい男だってきっといくらでもいる、と思う。なのに、私は彼に首ったけ。もう絶対に離せないの。「じゃあ、またメール送るから」と言って、私は図らずも「うん」と答えてしまった。

 それから、彼とはちょくちょく会っていた。最初は土曜の夜に飲みに行ったりから始まって、今度は日曜日の昼に会ったりしていた。彼は大津に住んでいたから、デートコースは専ら滋賀県。琵琶湖を車で一周してみたり、比叡山から大津の夜景を眺めたり。車の中で口づけをかわしたり。

 今日も、彼はお得意の琵琶湖一周コース。近江大橋のたもとを出発して、湖岸道路をひた走り。夜の湖岸道路も好きだけど、昼間も景色がきれい。そのうち車は161号線に入って、半分眠りそうな私にキスをくれたの。

 私、なんかどんどん彼にのめり込んでいるような気がする。

 こんな感じで彼と付き合ってから、もう3ヶ月。でも、彼のそばにしても気が休まらない。なぜって、きっといつか彼とは別れるじゃない。それがいつになるかはわからない。でも、その「いつか」はきっとやって来る。私は、それがすごく怖いの。

 彼から別れを告げられて、私が抜け殻になるぐらいだったら、最初から私が彼の傍を離れたほうがましかもしれない。私は、そんなことを考える女になっていた。でも、彼も私に夢中。「君だけは何があっても絶対に離さないから」彼は昨日もそんなことを言っていた。

 彼と別れるには、私が去るしかないのかもしれない。そう思った私は、旅に出ることにした。旅券事務所でパスポートを取ったり、海外留学の案内を毎日読んでいたり。会社の辞表になんて書こうか頭を抱えたこともあった。取り敢えず、ワープロで原文を考えて、この前会社には出して来た。うちの上司からは、「もったいないねぇ、結婚する訳でもないのに何で辞めるの」なんて聞かれたけど。

 彼が良く遊びに来ていた、私のワンルームマンションは、今日引き払うことになっている。旅に要らない荷物は、取り敢えず私の実家に置き去りのまま。

 旅立つ私は、ある事を忘れていた。それは彼にメールを送っておくこと。別に無理して送っておくことはないかも知れないけど、一応念のために私がいなくなると告げておくことにした。でも、肝心な本文が思い浮かばない。1時間ほど悩んだあげく、「ごめんなさい」と一言だけ彼にメールで送って、ワンルームマンションの鍵を郵便ポストの中にいれた。

 ああ、飛行機は高く高く飛んで行く。私の思い出の町も、宝石箱のようになっていって、やがて雲にかすんで見えなくなった。きっと彼は不幸な男かもしれない。きっと今頃は辛い日々を送っているかもしれない。私みたいな女に夢中になりさえしなければ、こんな思いをしなくて済んだのに。

 大きなカバンを引きずって、見知らぬ空港へとついた私は、ふとつぶやいた。

「お願い、私のこと探さないでね。」