パンプス
そして、いつかまた...
- 武人は、その晩陽子の夢を見ていた。夢の中で、陽子は泣いていた。それが一体なぜどういう時に泣いていたのか、武人の記憶にはなかった。ただ、とめどなく涙を流す陽子をじっと眺めているしかできなかったことだけは覚えていた。
- 武人は目を覚ました。でも、何か落ち着かなかった。落ち着かないのだが、何もしない訳には行かないので、武人は新聞受けに溜った分厚い新聞を受け取って、ぱらはらとめくり始めた。それが済むと、今度は去年のカレンダーを壁から取り外して新年のカレンダーに取り替えた。
「結局、去年は陽子ちゃんの思い出だけが残ってしもうたなあ。」
- 昨日の出来事は、武人に取ってもただならぬショックを残した。亡くなったのは、まだ見ぬ陽子の父親であった。でも、武人からすれば、陽子が死んだのも同然であった。それを武人が平気で受け止められようはずはなかった。
- 新年の朝は忙しかった。この時期というのはレンタルビデオが散々混む時期であるから、武人もバイトに入らねばならなかった。武人は正月気分もそこそこに、バイトへと向かった。そこには、いつも通り落ち着いた表情の坂田氏と、昨日のまんまの武人が居た。
「新年、あけましておめでとうございます。」
- 武人は坂田氏にあいさつをすると、カウンターで何とか切り盛りをしていた。切り盛りをするのが精一杯であった。無論、いつもよりも客が多いからではなかった。だが、武人にとってはこの方が好都合であった。何もしない時間、当時の武人にとってこれほど辛いものはなかったのだ。
- 結局、陽子の話は武人の口からも坂田氏の口からも出なかった。本当は、坂田氏が武人を気遣って陽子のことはわざと話さなかったことを、武人は後から知った。
- バイトが終わり、武人はくたくたになっていた。ふと郵便受けを見ると、年賀状が届いていた。そして、その中に陽子からの年賀状があった。武人は、まず表の差出人の住所を見た。それは、陽子の部屋の住所であって、実家の住所ではなかった。武人は、肩を落とした。
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- 新年 あけましておめでとうございます
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- 去年は本当にありがとう。今年も、元気一杯武人に恋したい私です。
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- 今年もよろしくね。
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- 平成四年 元旦
村井陽子
- 後、かわいい猿の絵などが書いてあった。しかし、こんな虚しい年賀状を受け取ったことなど、武人自身なかった。
- 虚しい気持ちを押さえ切れず、武人は初詣に行った。もう時計は午前一時を差していた。下鴨神社に顔を出した武人は、さい銭箱の前に立って百円玉を投げ込んだ。次に、太い紐を一生懸命ゆらして大きな鈴を鳴らした。柏手を二回打った武人は、じっと目をつぶり、
「陽子ちゃんが京都に帰って来ますように。」
- と何度も何度もお願いごとをしていた。
- やがて、正月も三日がすぎて、悟も戻って来た。しかし、このあまりにも悲しい出来事を悟に話したいとは、武人自身思わなかった。人に笑って話せる勇気など、この時点の武人は持っていなかったのであった。悟が武人のところに電話を掛けて来た時でも、
「いや、いつも通りの正月やったで。」
- と作り笑顔で武人は答えるのみであった。また、悟もあまり武人に深くつっこまなかった。
- こうして、武人の周りでは、全て元通りに戻っていた。そして、何事もなかったかのように時だけがすぎて行った。だから、取り立てて陽子のことを口にする者は、誰もいなくなっていた。陽子は、すでに過去の人となっていたのであった。武人は、そのことに気付かない、いや気付かないふりをしていた。かくして、時の流れに取り残されたのは、武人のみであった。
- 武人だけが心の中で陽子のことを気にしていたまま過ごしていたある日、武人の元へ一通のぶ厚い封筒が届いた。真っ白なその封筒の表には、百七十五円切手の上に「京都中央局一月七日」の消印が押してあって、武人の部屋の住所が書いてあった。裏側に、差出人の名前が「村井陽子」とだけ書いてあった。
- 武人は、揺れる心を必死で押さえていた。陽子が手紙で言いたかったことは、武人にもおおよその見当がついていた。だから、封筒を開けて真実を読む勇気が持てなかったのである。また、武人自身それを恐れた。
- その手紙は、しばらくの間は武人の机の中に封を切らずに投げ入れられたままであった。しかし、武人は意を決してその手紙を読んでみることにした。封を切ってみると、結構な枚数の便箋と、武人が去年のクリスマスイブに送ったフォトスタンドの中にあの時撮った陽子と武人がじゃれあっている写真が入っていた。
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- 前略
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- 本当にごめんなさい。私の父が亡くなってから、私の心の中の整理がつかな
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- かったのです。でも、年が改まって、やっと武人君に打ち明けるほど落ち着き
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- ました。
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- こちらでは、雪が降っています。毎日の雪かきが大変です。こんなことをし
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- ていると、雪のない京都が懐かしく思えたりもします。でも、そんな京都とも
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- もうお別れです。
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- 実家には、母と妹だけになってしまいました。以前なら、父が仕送りをして
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- くれたし、私も安心して京都で大学に通っていました。
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- そんな父が倒れたのは、去年の十月でした。そんな時でも、「お前は心配し
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- ないで大学に行きなさい。」と父は言ってくれました。でも、仕送りを貰う訳
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- にも行きませんから、バイトを始めたのです。それが、武人君との出会いでし
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- た。
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- でも、そんな日々ともお別れすることになってしまいました。父がもういな
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- い以上、この家の稼ぎ手が私しか居なくなってしまったのです。
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- 京都で就職しようかとも考えました。でも、母と妹を置いて私だけ京都で働
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- くなんてことはできません。第一、そんな経済的余裕がなかったのです。
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- 残された道は一つしかありませんでした。私は実家で就職口を見つけること
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- にしました。それに、母と妹も、それを望みました。
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- その日以来、私も悩みました。もう大学にも行けなくなってしまうなんて。
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- 本当は、卒業するまで京都にいたかったのです。そして、武人君とずっと勉強
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- いて行けたら・・・。こんな当り前のことすらできなくなって、私自身、夜も
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- 眠れませんでした。
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- 「決して京都に行ってはいけない」私は心に決めていました。そして、店長
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- に電話を掛けました。すると、「一応残った給料を渡したいから、一度来て欲
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- しい。」と言われました。ふと考えてみると、あの部屋も明け渡さないといけ
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- なかったのです。
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- 「武人君に逢って行かんでええんか。」とも聞かれました。でも、ここで武
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- 人君に逢ったら、もう戻れないような気がしたのです。だから、私が戻るのは
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- 武人君には内緒にして欲しいと頼んでおいたのです。
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- 武人君の顔を見ないで私は京都を後にしたいと思います。本当は、もう一度
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- 逢いたかった。でも、そんなことをしたらきっと私も武人君もぼろぼろになっ
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- てしまうことでしょう。だから、この手紙を書いてもう終わりにしたいと思い
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- ます。
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- 去年のクリスマスイブに貰ったあのフォトスタンドは、お返しします。私が
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- 持っていたところで、目の毒になってしまいそうなのです。でも、どうにも捨
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- てることができません。だから、お返しします。
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- もうきっと京都に来ることはないでしょう。もしあったとしても、多分その
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- 頃にはすれ違ってもわからないほど私も武人君も変わっていることでしょう。
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- あの思い出の部屋も、すでに大家さんに引き渡しました。だから、私のことは
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- もう忘れて下さい。
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- それでは、さようなら。そして、ありがとう。
かしこ
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- 平成三年一月七日
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- 私の第二の故郷、京都にて夕陽を見ながら
村井陽子
- この手紙を読んだ時、武人は内心「やっぱりなあ」と思った。と同時に、時の流れに逆らえないことを実感として知った。しかし、陽子にとって目の毒であるフォトスタンドは、武人にとってもやはり目の毒であった。であるが故に、武人もやはりそれを捨てることができなかった。
- 武人は、陽子の部屋に電話を掛けてみた。
「この電話番号は、現在使われていません。番号をお確かめになって、もう一度お掛け直し下さい。」
- 受話器からのこんな声が、武人にとってはあまりにも悲しかった。
- 次に、武人は陽子の元居た部屋に行ってみた。扉の横には違う表札がかかっていて、中から男性と女性の楽しそうな声がした。その表札にどんな名前が書いてあったか、武人の記憶にはなかった。
- こうして、あまりにも突然始まった武人の恋は、あまりにも突然終わりを告げた。その日以来、武人の後ろ姿は淋しそうであった。
- そして、武人の大学でも後期試験が始まった。武人は安心してそれを受ける気にはなれなかった。ただでさえ逃げ出したくなる時期ではあるが、武人は本当に消えたくなるような辛い気持ちで試験に臨んだ。それとて、やはり武人に課せられた定めであった。
- 試験前ということで、悟は武人の部屋に入り浸っていた。これも、やはり別段今年から始まった物ではなかった。悟は、暇になる度、
「ああ、試験やから女に逢えへん。」
- と歎いていた。武人が昔、散々口にした言葉であった。悟に彼女ができて、今度は武人がおのろけ話しを聞く立場に立たされたのであった。武人は、あの時の話を、悟は今の自分と同じ心持ちで聞いていたのかと始めて気がついた。しかし、これもやはり武人に課せられた定めではあった。
- 武人の試験結果は、思わしくなかった。それでも、一応進級はできた。悟も、進級した。来年度からは、二人揃って四回生であった。しかし、二人揃って今年も本多教授の英文学史の話を聞く羽目になってしまった。つまり、再履修である。
- 進級気分もそこそこに、武人の周りでは慌ただしくなった。就職活動であった。毎日のように来るおびただしい数のダイレクトメールを、武人はいちいち目を通していた。悟は、
「そんなん俺は読まんと捨ててるで。そんなん、あんだけようさん来たら、読める訳ないやん。」
- といつも武人に言っていた。しかし、武人は読まないとやりきれない思いになってしまうのであった。何もしない時間、これが武人にしてみれば一番辛いのであった。
- 四月になって、武人は更に慌ただしくなった。四回生にもなって散々ためた大学の単位の消化。これが、武人がまず解決しなければならない課題であった。だから、悟は週に一度か二度ぐらいしか大学に顔を出さなかったが、武人は週に三度も四度も大学に顔を出していた。
- 次に、就職活動。これも四月になって急に周りがうるさくなって来た。大学の教室では、やれどこの会社のセミナーであるとか、やれどこの会社の説明会であるとか、やれ合同就職博であるとかいう話で持ちきりになっていた。無論、悟もこんな話をいつも口にしていた。大学の教室の中だけでは足りないから、悟はわざわざ武人の部屋に電話をしてまでその話をしていた。武人とて、そんな話を聞いているだけではやりきれないので、周りのするがままに会社回りをしていた。ただし、しょっちゅう大学を休む訳にもいかないので、あくまでも大学の合間を縫っての会社回りであった。
- 更に、それらの合間を縫って、バイトである。武人は下宿生である以上、バイトは生活の糧であった。あの日以来、武人はよっぽど他のバイトの口を探そうと思った。しかし、武人のこの忙しい身分でそんな余裕はなかった。だから、まだあのレンタルビデオ店でのバイトであった。坂田氏は、
「大学とか就職活動とかが忙しかったら、休んだらええで。」
- と武人に声は掛けていた。だが、武人にしてみれば、生活費が減ること自体が死活問題であった。だから、よほど忙しくない限り、バイトには入っていた。
- こうして、武人は睡眠時間を削る生活を繰り返していた。しかし、武人は別段忙しいと考えることはなかった。暇が欲しいと考えることもなかった。言わば、こんな生活が武人にとっては当り前であったのだ。
- ある日、武人は本多教授の授業で、こんな詩を聞いた。ロバートヘリック作の、「乙女たちよ、時間を大事にするように」という詩であった。
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- "To the Virgins, to Make Much of Time"
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- Gather ye rosebuds while ye may,
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- Old time is still a-flying;
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- And this same flower that smiles today,
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- Tomorrow will be dying.
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- The glorious lamp of heaven, the sun,
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- The higher he's a-getting,
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- The sooner will his race be run,
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- The nearer he's to setting.
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- That age is best which is the first,
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- When youth and blood are warmer;
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- But being spent, the worse, and worst
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- Times still succeed the former.
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- Then be not coy, but use your time,
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- And while ye may, go marry,
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- For having lost but once your prime,
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- You may forever tarry.
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- 乙女たちよ、時間を大事にするように
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- バラの花は、摘めるうちに摘んでおきなさい
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- 昔の時間は過ぎ去ったままであるから
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- そして、今日こうして微笑みかけているバラの花は
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- 明日には枯れてしまうであろう
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- 天空にランプのように輝く太陽も
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- 早く昇れば早く昇るほど
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- さっさと空をかけぬけて
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- 夕暮れへと近づいて行くことでしょう
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- 一番最初、あの年頃が一番素敵なのです
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- 若さと血気あふれるあの年頃が
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- でも、年老いてしまうと段々衰え、そして枯れてしまう
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- やはり若い頃が一番素敵なのです
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- はにかんでいないで、大事な時を過ごしなさい
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- そして、できるうちにお嫁に行きなさい
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- この人生の全盛期を失ってしまうと
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- きっと待つ身の女になってしまうことでしょう。
- この詩は、武人は確かに去年にも聞いた。しかし、今年聞くとやはり印象は違っていた。「恋というものは、若い内にしておきなさい」と言うことをこの詩が言いたかったと本多教授は説明していた。
- 武人は、この詩がふと自分に当てはまるのではないかとも思った。時期を逸してしまった武人は、すでに待つ身の自分となっていた。当り前のような生活も、自分から積極的に始めたことは何一つなかった。今までの生活というのは、全て受身であったのだ。このことに、初めて武人は気付いた。
- 七月に入ると、武人は就職先を決めた。一時は実家へのUターン就職も考えたが、結局大阪勤務にした。悟も、大阪勤務であった。二人別々の会社ではあった。
- そして、前期の試験も過ぎ、夏休みも過ぎた。武人に自分の時間が持てるようになりつつ、あの憂鬱な朝を迎えていた。