天使は降ってわいてくる


第三章 天使は降ってわいてくる

俺は、高校二年生になった。彼女が突然いなくなってから、俺はふとあの時の公園に足を向けるときがあった。一番最初に待ち合わせたときの、あの焼きたてのパン屋さんはもう店じまいしていた。何ともやりきれない気持ちで、公園のあの場所に座っていた。

「生きていたら、きっと逢えるよね。」
俺は心の中でこう言い聞かせては、涙を流していた。ああ、なんて俺は哀れな星の下に生まれてきたんだろう。俺はこう悔やんだこともあった。

そして、ようやく笑えるようになった頃、俺は高校二年生になった。

一年間通い続けた通学路。これを抜けて電車に乗ろうと、ホームでぼんやりと待っていた。そこを、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。

「小西君っ!」
振り返ると、見慣れない制服の女の子が立っていた。どこかで見たような気もするし、聞き覚えのある声のような気もした。しかし、この子が一体誰なのか、俺には見当がつかなかった。

「忘れたの。つかさだよっ!」
なんと、このちっちゃくてかわいい女の子が、正確には女の子じゃないのだが、とにかくこの子が、あのつかさだったのだ。

「高市、久しぶりだな!」
俺も、正直言ってびっくりした。

「一発でわかったよぉ! だって、小西君全然変わんないんだもん。」
つかさは、俺の顔を見るなりこう言った。やがて電車が来て、俺とつかさが乗り込んだ。

「小西君、確か二年生だったよね?」
つかさは、不思議なことを聞いた。

「うん。・・・て、高市は二年生じゃないの?」
「一年生だよ。」
つかさは、こう言った。

「なんで?」
「去年ね、しょっぱなから病気で入院してたの。一年休学してね。だから、今年から一年生だよ。」
つかさは、ちょっと考えてからこう言った。

「ふうん・・・。」
俺は、空返事をした。

この後、高校ってどんなところって言う話に始まって、うちの高校の話とか、つかさが通う高校ってどこにあるのとか、一年間たまった話をいっぱいした。

「ねぇ、たまにはうちに遊びに来ない?」
という話になった。

「そうだな。たまにはつかさの家で遊ぶのもいいかな。」
俺は、こう答えた。

「中学生の頃、うちに行くの、あれだけ嫌がってたのに・・・。」
つかさがこんな事を言った。全く、遊びに行って欲しいのか欲しくないのかよくわからなかった。

学校からの帰り道。今日は午前中しか授業がなかった。いつもの駅の近所に中学校があって、ここが俺とつかさが昔通っていた中学校だ。ここから、商店街を抜けて、坂道を登っていくと、あの時の文房具屋さんがまだ健在だ。ちょっと寄ってみようかと、中に入るとなつかしい駄菓子のたぐいがいっぱい。俺は五十円玉を出し、カステラと二十円ガムを買った。そして、俺が一回目のファーストキスをしたあの時の公園も、あの時のまま変わってなかった。

そして、つかさの家に着いた。

「まあまあ小西君、大きくなったわねぇ・・・。」
つかさのお母さんは、こう言いながら蒸しパンを持ってきた。この蒸したてのぷんとした甘い香りも、またなつかしかった。

「すっかり女の子になっちゃったでしょ、つかさ?」
つかさはまだ、学校から帰ってきていないみたいだ。

「ええ、びっくりしましたよ。」
俺は茶の間でテレビを見ながら、こう答えた。

「ま、何にもないけど、ゆっくりしてってよ。」
つかさのお母さんはこう言って、台所に戻った。

「ただいまぁ!」
やがて、つかさが学校から帰ってきた。

「小西君、待った?」
つかさはこう言って、俺を手招きした。そして、階段を上ってつかさの部屋があった辺りに入っていった。

「あれ、ファミコンは?」
俺は、つかさの部屋に入るなりこう言った。そう。部屋の真ん中に置いてあったはずのファミコンが、なくなっていたのだ。その名残と言っては何だけど、昔ファミコンがつながっていたテレビだけは、申し訳程度に置いてあった。

「いとこにあげちゃった。」
つかさは、こう答えた。

そして部屋全体を眺めてみると、相変わらず綺麗な部屋とは言えなかった。

「お母さんが、綺麗にしなさいって言うんだけどね。面倒臭いの。」
つかさは、こんな言い訳をした。

「確かに、こんな女の子の部屋に通されたら、男としてはがっかりするな。」
俺がこう言った。

「そうかなぁ・・・。あたしも友達の家に遊びに行ったことあるけど、似たようなもんだよ。女の子だけどね。」
この友達が特別なんだよと、俺は信じたかった。次に、あれだけたくさんあったマンガ本のたぐいもなくなっていた。

「ああ、あれ。とっくの昔にちり紙交換に出しちゃったよ。」
「えーっ、教えてくれたら引き取ったのに。」
俺は、惜しそうにこう言った。何せ、今となっては古本屋さんを丹念に探さないと見つからないようなマンガもあったのだ。これも、すっかり影も形もなくなっていた。その代わりと言っては何だけど、少女マンガの単行本がいっぱいあった。

「これ? 読んでないと話が合わないのよ、クラスの女の子と。でも、慣れたら結構面白いよ。」
俺は一冊手にとって、ぱらりぱらりとめくり始めた。ないよりはましと言うノリで読み始めたけど、これが結構面白いのだ。

「小西君がこんな本買ってるところ、ちょっと想像したくないな。」
つかさがこんなことを言うぐらいだった。

他にも、ファミコンのカセットがごっそりとなくなって、代わりに小物のたぐいがいっぱい置いてあった。確か、高橋の部屋も、小物のたぐいがずらりと置いてあった。

「俺、不思議でしょうがないんだけどさぁ・・・。」
俺は、こう言った。

「なんで女の子って、こんな凝った小物をいっぱい集めたがるんだろう?」
実はこれ、高橋に聞けなかった質問なのだ。

「なぜなんだろうねぇ・・・。」
つかさは、首を傾げた。

「でも、これ眺めてたら結構楽しいよ。男の子がプラモデル飾ってるのと、似たようなもんなんじゃない?」
ちょっと違うような気もするけど。

ただ、いわゆる男の子が想像するような女の子の部屋とは、およそ程遠いことは確かだった。これをつかさに言ったら、

「マンガの見過ぎだって!」
と、高橋と同じ事を言われてしまった。

「だから、あそこまでしようとは思わないけど、こうやってかわいいの色々と集めてるんだってば。」
これがまた、男の子にはよくわからないところだ。

「でも、女の子は最初から女の子だから、こういうの集めてても『そうかな』で片づくんだけどね。でも、なんで高市が集めるんだよ。」
これが、不思議でしょうがなかった。

「なぜって言われても、よくわかんないだけどね。」
つかさが、こう言った。

「友達と一緒にハンズとかLoftとか言ってぇ、『あ、これかわいいな』みたいな感じで買っちゃうの。」
だそうだ。理由を聞いても、やっぱりよくわかんなかった。

「ね、行ってみない?」
そ、それだけは勘弁して。俺は心の中でこう言った。何しろ、渋谷に行ったのは一年ほど前、あの高橋と一緒に巨大な迷子になった、あの一回だけだった。それ以来、行ってないし、行きたいとも思わなかったし、行く用事もなかった。

「大丈夫だって、あたし行ったことあるから。」
つかさがこう言うから、次の日曜日に渋谷まで行くことになった。あの苦い経験のある。

つかさといつもの駅で待ち合わせて、あの高橋と通った同じ電車に乗り変えた。

「小西君、渋谷って行ったことある?」
つかさが電車の中でこう聞いた。

「一応・・・ね。思いっきり迷子になったけど。」
俺は、こう答えた。

「まさか、一人で行ったの?」
「行くわけないじゃない。」
「じゃ、彼女と二人で?」
俺は、じっと黙っていた。

「今は、別れたけどね。」
「ふうん・・・。」
つかさは、電車のドア越しに外の景色を眺めていた。

「小西君、こっちこっち・・・。」
電車が終点に着くなり、つかさは俺の手を引っ張った。端から見れば、だらしのない男の子が、しっかり者の女の子に引っ張って連れて行かれてるようにしか見えなかったに違いない。俺は、それが恥ずかしかった。

つかさは、慣れた足取りでLoftまで連れてってくれた。

「よくこんな道覚えられるね。」
俺は、つかさに感心した。

「うん。うちの高校ね。結構遠くから通ってる子もいるのよ。で、渋谷を通る子もいるから、その子に教えてもらうの。」
だそうだ。

「ふうん。うちの高校は、遠いって言っても限られてるもんな。」
「そりゃあ公立だもん。」
と、こんな事を言いながら、歩いていた。

「わぁ、これかわいいっ!」
つかさは、ちっちゃな小箱を手にした。その他、鉛筆を見ては喜び、綺麗なグラスを手に取っては欲しそうな顔をし、変わったカードゲームを見つけては嬉しそうな顔をした。およそ、行動パターンは高橋と一緒だ。つかさがいつからこうなったのか、俺は不思議でしょうがなかった。ただし、高橋と決定的に違うところ。それは、やけに慣れているのだ。

「小西君、こっちこっち。」
と、引っ張られること数知れず。しかも、あの迷路のような店内で、ちゃんと元来た出口に戻ってるのだ。この方向感覚が、すごいと思った。

「さ、次行こう。」
と、今度は東急ハンズに連れて行かれた。思うに、これはLoft以上に迷路のような作り。でも、つかさはすいすいと歩いていくのだ。

「わぁ、このはんこかわいいっ!」
と、つかさの名前が入っているはんこを見ては楽しそうな顔をし、かわいい便せんの並んでいる売り場に行っては無邪気にはしゃぎ、パーティー系の小道具を眺めては面白そうな顔をした。これにつられて段々楽しくなってくるから、不思議だ。これは、もしかしてつかさが俺にかけた魔法か?

「ねっ、結構面白いでしょお!」
つかさは、忍者屋敷とも迷宮とも言えない店内の中で、嬉しそうにはしゃいでいた。

ちょっと休憩でもしようかと、近くのハンバーガーショップに入った。

「小西君もさぁ、こう言うところに女の子連れてってあげなきゃだめよ。」
つかさが、非常に痛いところを付いた。

「だって、わかんないんだもん。高市と一緒だから・・・。」
俺がこう言った瞬間、つかさが人差し指でしいっと言う合図を送った。そして、小さく俺を手招きした。

「お願いだからさぁ、こう言う時ぐらい下の名前で呼んでよ。彼氏連れてきてるように見えないじゃない。」
つかさが、小声でこう言った。ちょっと待て。お前いつからこんな女の子みたいな見栄を張るようになったんだ。俺は、こう言いたかったのを必死で堪えた。

「嫌ならいいよ。小西君置いて帰っちゃうから。」
つかさが、また小声でこう言った。

「わ、わかったよ。・・・つかさと一緒だから、こうやって渋谷へ行く気になったんだよ。」
俺は心の中で、なんと呼びにくい名前だと言っていた。なぜって、つかさとは多少のブランクがあった物の、およそ十年来の男友達なのだ。今更下の名前で呼べったって、頭の中で「高市」と言う名字で呼ぶ癖が完全にこびりついてるんだから。

「でもね、あたし彼氏ができたら一緒に渋谷行きたかったんだぁ!」
つかさは、すごく嬉しそうな顔をした。そして、俺の頭の中では、要らない詮索が始まった。

彼氏ができたらって、つかさには彼氏がいなかったのか。いや、つかさの場合は、一緒に遊んでる男の子を彼氏と呼ぶべきなのか、それとも一緒に遊んでる女の子を彼女と呼ぶべきなのか、微妙な線だよな。まあ、一応女の子として人生の再スタートを切ったわけだから、やっぱり彼氏って事になるのかな。いや、そんなことはどうでもいいけど、この話だと、俺が彼氏の代わりって事か。と言うことは、俺が恋愛の対象になってるって事か?

「他にも、まだあるよ。遊園地も行きたいの。で、一緒にジェットコースターに乗ってさぁ・・・。」
待て。俺がジェットコースターに乗れないの知ってるだろ。小学校低学年の頃、つかさにだまされて一緒にジェットコースターに乗って、俺がわんわん泣いていたのを忘れたとは言わせないぞ。俺は、そう言いたいのを我慢した。

「そんなに遊園地って行ってみたい?」
俺は、こう聞いた。

「行きたいよぉ! だって、友達と喋ってたらさぁ、『あたし、彼氏に遊園地連れてってもらったの』みたいな話になってぇ、『ああ、あたしも行きたいな』なんて思ってぇ。」
つかさは、こんな愚痴をこぼした。

「でも、つかさってかわいいから、男から誘われるって事はないの?」
これは、俺の正直な疑問だった。

「えーっ、ないよお!」
つかさは、大笑いした。つかさの通ってる高校の男連中は、なんと見る目がないんだろう。俺はそう思った。

「もしあったとしても、クラスの男の子と一緒に行く気しないし・・・。」
むしろこっちの方が、つかさの正直なところなのかも知れない。

「わかった。じゃ来週はつかさと遊園地かな?」
「もうちょっと嬉しそうに言ってよぉ!」
「はいはい。来週もつかさちゃんと楽しい楽しいデートだな。」
「何それぇ!」
つかさも俺も、大笑いした。こうして、来週の日曜日もまた、つかさと付き合うことになった。

そして、次の日曜日。つかさは、大きなリュックサックを背負ってきた。

「小学校の遠足に行くんじゃないんだぞ。」
って俺が言ったら、

「いいの。いっぺんやってみたかったんだから。」
と言うお決まりの答えが返ってきた。

「でも、何か本当に遠足みたい。前の晩、全然眠れなかったもん。」
そう言えば、つかさの目が赤かった。実は俺も、前の晩は眠れなかった。と言うのは、また余計なことを考えていたからだった。

もしつかさと一緒に歩いていたら、十分女の子とデートしてるようにしか見えないよな。と言うことは、もし誰かにばったり会っても、俺の彼女だって言い切れるよな。つかさって、女の子として見たらすっごくかわいいし。それにしても、ジェットコースターに乗りたいって。きゃーっなんて言って、ぎゅっと抱きついてきたりして。いや、抱きついていくのはきっと俺の方だろうな。だとすると、これってすっごく格好悪いよな。

こんな事を考えていたら、全然眠れなかった。

遊園地に着いてから、真っ先にジェットコースターかと思いきや、一番最初に乗ったのは観覧車だった。

「わぁ、高い高い!」
つかさは、早速はしゃぎ始めた。俺は、無口なままだった。なぜかと言えば、また変な想像が駆けめぐっていたのだ。

観覧車って、なぜこんなに狭いのかな。だって、この女の子の甘い香り。今更ながらに思うけど、つかさってどう見ても女の子だよな。と言うことは、今女の子と二人っきりって事か。だったら、ここでキスしても誰にも気づかれないよな。いや、それはまずい。つかさはやっぱり女の子じゃないんだから。

「小西君って、高所恐怖症だったっけ?」
つかさは、急にこんな事を聞いた。

「どうして?」
「だって、さっきから何にも喋らないから。」
「いや、別に高所恐怖症って訳じゃないけど・・・。」
俺は、言葉を詰まらせた。

「だったら、何か喋ろうよぉ! 何もここでキスしてってお願いしてる訳じゃないんだからさぁ。」
つかさはこうやって、しっかりと俺の痛いところを付いた。

この後、色々なところを回って、そろそろお腹がすいたなって頃、つかさはリュックサックを広げた。

「はい、これお弁当。」
つかさはこう言って、小さい包みを手渡した。ちょうど小さい箱が二つ重ねてあって、片一方におにぎりがいっぱい入っていた。で、もう一方に、エビフライやらハンバーグやら肉じゃがやら厚焼き卵やら、いっぱい入っていた。しかも、おにぎりの中にはご丁寧に鮭が入っていた。つかさが一人で作った割には、やけに豪華なのだ。もしつかさが家庭科のカレー事件以来、これだけ料理の腕を上げたのなら、大したもんだ。

「もしかしてこれ、自分で作ったの?」
俺は、こう言った。

「ちょっとだけお母さんに手伝ってもらったの。」
「ちょっとか?」
「うーん・・・、だいぶ。」
どうやら家庭科が苦手なのは、中学生時代と変わってないらしい。

「言わなきゃばれないよって、お母さんに言われてたんだけどね。」
それをようやく白状するのが、つかさらしいなって思った。

「でも小西君、こうやって女の子にお弁当作ってもらったことある?」
つかさが、こう聞いた。俺は、答えるのを拒否した。

「あーっ、これ絶対あるんだぁ!」
つかさは、弱みを握ったよと言わんばかりに嬉しそうな顔をした。

「えーっ、俺何にも言ってないじゃない。」
「だって、顔にそう書いてあるもん。」
と、つかさは楽しそうにしていた。恐らく、これも彼氏ができたらやってみたかったことだったんだそう。俺はそう思った。

そして、ついに運命の時が迫ってきた。つかさがジェットコースターへと歩いていったのだ。しかも、ご丁寧に二回宙返りする絶叫もののやつだった。

「身長制限に引っかからないかな?」
乗物券売場で、俺はこう言った。

「引っかかるわけないじゃない。」
「例えば、これより身長が低くないと乗れないとか。」
俺は、乗物券売場横の、男の子の人形を指差した。

「往生際が悪いんだからぁ、行くわよ!」
つかさはすでに乗物券を二枚持っていて、俺を入り口まで引っ張っていった。ジェットコースターに並んでいる人の列。流れては止まり、流れては止まりした。それでいて、この先には怖い怖い物が待っている。およそ、小学生時代に予防注射の列に並んでいる時の心境だったと言えば、大抵の人は理解してくれるだろう。

「はい、シートベルト。」
つかさは、言われなくてもわかってることを言った。やがて、上から狭苦しい物に挟まれて、ジェットコースターが動き始めた。

「かたんかたんかたんかたんかたん・・・・・・。」
さあこれから恐ろしいことが起こるぞと言わんばかりの、この音。どうせ上に上がるんだったら、さっさと上がってよと言いたくなった。そして、段々頂上が見えてきた時の、あの緊張感と言うか・・・

「きゃーーーっ!」
つかさのこの大きな悲鳴。ジェットコースターは一気に加速して、てっぺんからふもとへと降りていった。俺は、大きな声で叫びたいのを必死で我慢していた。やがて、一気に急旋回して、いよいよ目玉の二回宙返りへ。

「うわーーーっ!」
ひょっとしたら、つかさよりも大きな悲鳴を上げてたかも知れない。この二回宙返りを抜けたところで急ブレーキがかかり、ようやく解放された。俺は完全に腰ががくがく。およそ立って歩くのが精一杯だった。

「最悪の場合、小西君を抱えていく覚悟してたんだけどな・・・。」
つかさは、残念そうにこう言った。やっぱりこいつは、俺がジェットコースターに乗れないことを知ってたんだ。俺は、いっぺん殴ってやりたい気持ちを必死で堪えていた。

しかし、俺のピンチはまだまだ続いた。五十メートル自由落下ものあり、フライングカーペットあり、その他諸々の絶叫マシーンのオンパレードに連れていってくれた。

「怖いよぉ!」
これらの絶叫マシーンの列に並ぶ度、つかさはこう言って抱きついてきた。怖いぐらいだったら、最初から乗るなと言いたくなった。だって俺は、つかさ以上に怖いんだから。ここで怖いと言えないところが、男の子の辛いところだと思った。

それでも、つかさはすっかり満足したらしく、帰りの電車で幸せそうな顔で眠っていた。しかも、俺の肩にもたれかかった格好で。きっとこれも、彼氏ができたら一度やってみたかったことに違いない。それにしても、眠ってる女の子特有の甘くてつんとした香りと、電車が揺れる度に俺の顔に当たるさらさらとした髪が、俺にとっては毒だった。

こんな感じで、つかさとはよく一緒に遊びに行った。

例えば、映画館に行ったとき。あの時は前の日ぐらいに、つかさから電話がかかってきた。

「ねぇねぇ、小西君。友達から映画のチケットをもらったんだけどね。」
つかさの話によると、この映画と言うのがラブストーリー。田舎から都会に引っ越した女の子が、都会の人混みの中にもまれるうちに恋に目覚めていくというストーリーだった。しかも、これが有名タレントがいっぱい出てくると言うことで、映画館は連日満員だそうだ。

この映画のチケットを、つかさの友達が彼氏と見に行くつもりで買ったのはいいけど、急に彼氏の都合が悪くなって、つかさの方にチケットが回ってきたのだ。

「ねぇ小西君、行こうよぉ! あたし彼氏ができたら、一度でいいから一緒に映画を見たかったんだぁ。」
と言う、いつもの理由で映画を見に行くことになった。

この日は、映画館の近くの駅で待ち合わせしていた。ところが、待ち合わせ場所に現れたつかさは、真っ青な顔をしていた。

「小西君、あの映画の話なんだけどね。」
つかさは、俺の顔を見るなり言い訳を始めた。

「友達が間違えてチケットを買ったらしいのよ。で、ラブストーリーが戦争映画になっちゃったんだけど、いいかなぁ?」
つかさは、青ざめていた理由を、こう説明した。俺の頭の中では、映画の一番盛り上がるシーンで、俺がつかさの肩を抱いて、甘い雰囲気に包まれているところを描いていた演出家が、突然のシナリオ変更に、描きかけの絵コンテを前にして、頭を抱え始めた。

「いいよ。つかさと一緒だったら、どんな映画でもいいよ。」
と俺が言ったら、

「無理してんじゃないのお!」
と、つかさは俺の背中を叩いた。

映画館の前に行くと、およそ聞いたこともないような映画のタイトルが書いてあった。こうなったら何でもいいやと、つかさと俺は場内に入った。すでに映画は始まっていて、結構観客が入っていた。つかさと俺は、観客の頭を気にしながら、後ろの方の座席についた。

何しろ、ストーリーはおろか、タイトルすら聞いたことのなかった映画を、途中から見ているから、何が何だかさっぱりわからなかった。しかも、戦争映画だから、およそつかさの肩を抱きながら見ると言うノリからは、程遠い物だった。つかさは、鞄の中からポテトチップスを出して、

「食べる?」
と聞いた。ま、映画の内容はともかく、つかさは彼氏と一緒に映画を見たかったんだろうと、自分に言い聞かせていた。

「あんまり面白くなかったね。」
つかさは、映画館を出るなりこう言った。しかし、これをつかさのせいにするわけにも行かず、俺が困っていたところに、ゲームセンターがあった。

「ねぇねぇ、あれやってみない?」
つかさは、カップルでやる占いマシーンを指差した。

「そうだなぁ、面白そうだから、やってみようか。」
しかし、問題は仮にこの占いマシーンに二人の恋愛運を出させたとして、二人の恋愛運はばっちりなんて答えが返ってきたとしても、果たして素直に喜んでいいかどうかだった。つかさは一応男の子だから、そもそも恋愛運を占うこと自体が間違ってるんだけど。ただし、悪い結果が出たとしたら、ぶつくさ言うに決まってるから、いい結果が出るのを楽しみにしていた。

「二人の運勢は、ばっちりです。ただし、どちらかというと女の子の方がリードする形になるかも知れません。男の子が意地を通さなければ、この恋愛は長続きします。」
つかさは、結果を印刷した紙をそのまま読み上げた。

「当たってるじゃない、この占い。」
つかさは、嬉しそうな顔をした。

「それにしても、このケースの場合は、どっちが男の子なんだ?」
俺は、こう聞いた。

「小西君に決まってるじゃない。」
つかさは、今更何を聞くのと言わんばかりにこう言った。

「ねぇねぇ、あれやろうよ、あれ。」
つかさは、写した写真がシールになると言うマシーンを指差した。このマシーンの前には、順番待ちの女の子がずらり。

「やるのはいいけどさぁ、撮ってどうするんだよ。」
俺は、こう言った。

「みんなに見せびらかすに決まってるじゃない。」
つかさは、こう言った。きっとこれも、彼氏ができたらやってみたかったことに違いない。

「何もそんな見栄っ張りなことをしなくたっていいじゃない。」
俺はぶつくさ言いながらも、列に並んだ。それにしても、この列に並ぶというのはなかなか恥ずかしいことだった。つかさが一緒だから並べるけど、もし俺一人だったら、並ぶ勇気はなかった。

「ねぇねぇ、できたよぉ!」
つかさはこう言って、マシーンから出てきたシールを取り出した。

「ちょっと見せてよ。」
俺は、こう言った。

「ダメ! これはあたしの。」
つかさは、できたばかりのシールを、鞄に入れた。こんな感じで、対戦型のゲームには目もくれず、でもゲームセンターでは楽しそうだった。

例えば、動物園に行ったとき。電車の駅で待ち合わせた時は、確かに青空が広がっていた。いつもの駅から地下鉄に乗り換え、出口を出ると本降りの雨。

「小西君、傘持ってきてるよね?」
つかさがこう言った。

「あ、持ってきてない。だって、晴れてたじゃない。」
俺は、困った顔をした。

「そっか、しょうがないな・・・。」
つかさはこう言って、リュックサックから折り畳み式の傘を出した。

「小西君、入れたげるから行こう。」
動物園はお預けかと思いきや、こんな事を言った。つかさと一緒に相合い傘。しかも、折り畳み式のちっちゃい傘だったから、つかさの肩を抱いたまま歩いても反対側の肩がしっかりと雨に濡れた。

日曜日とは言え、雨が降ってるから動物園の中はがらがらだった。それでも、

「あ、象さんがいる。かわいい・・・。」
と、つかさはすっごく嬉しそうだった。

「ねぇねぇ、こっちはキリンさんがいるよ。やっぱり、首が長いねぇ。」
と、小学生みたいな事を言った。でも、折りの前に立っているつかさは、小学生の頃の面影は全然なかった。確か小学生の頃、つかさと一緒に動物園に行ったことはあった。もちろん、この当時のつかさは、頭のてっぺんから足先のふもとまで、完全に男の子だ。それが、まさかこんな形で、頭のてっぺんから足先のふもとまで、女の子になってしまったつかさと一緒に動物園に行くことになろうとは、あの当時は考えても見なかった。

「それにしても、お弁当どこで食べようかな?」
つかさは、またうろうろし始めた。何しろ雨が降っているから、芝生の上でビニールシートを広げてと言うわけには行かなかった。ようやく、雨がしのげそうなベンチを見つけた。

「はい、これ小西君の分。」
つかさは、小さい包みを俺に渡した。

「自分で作ったの?」
俺は、返ってくる答えはわかっていたけど、あえて聞いてみた。

「お母さんに作ってもらったの。」
嘘でもいいから、自分で作ったって言ってくれよと、言いたくなったのを堪えた。

「だって、小西君にこんな嘘ついたってばれるもん。」
つかさは、こう言った。

「でもね。このウィンナーと、卵焼きは自分で作ったんだよ。」
それぐらいだったら俺でも作れるぞと、言いたくなったのを必死で堪えた。

「でも、つかさの分はないの?」
俺は、カロリーメイトをかじっているつかさを気にした。

「それがね、今ダイエット中なの。」
つかさは、その理由をこう説明した。

「ダイエット?」
「うん。もうすぐ身体測定があるのよ。だから、ちょっとでも軽くしたいなって。」
これが、不思議なところだ。このダイエットという単語を、体重が軽く八十キロはある女の子が口にするんだったら話は分かるけど、今のままでも全然太く見えないつかさが口にしてるんだから。しかし、一体いつからこんな女の子のような見栄を張るようになったんだと言ったら、

「いいじゃない。この時期って、女の子は命がかかってるんだから。」
だそうだ。

それにしても、雨の日にずぶぬれに近い状態になってまで、例えば野球やサッカーを見に行くとか、それともどこかのバンドのコンサートに行ったのならともかく、動物園に行くなんてよっぽどだ。俺はそう思った。

次の日、つかさも俺も風邪を引いて、二人仲良く学校を休んだ。

例えば、ビルの展望台に行ったとき。この日は特に行く場所は決まってなかった。地下鉄の中で、つかさが突然、

「ねぇ、高いとこ行こうっ!」
と言い出したのだ。高いところと言っても、東京タワーはちょっとノーマル過ぎるなと思ったから、とあるビルの最上階にある展望台に行った。

「うわぁ、高い高いっ!」
窓から外を眺めては、つかさははしゃいでいた。

「あたしの家は、どっちにあるんだろう?」
つかさはこう言いながら、展望台の中を走り回った。

「さあ、たぶんあっちじゃない。」
俺は、窓の外を指差した。

「どうかなぁ、小西君って、割と方向音痴だからなぁ。」
つかさは、首を傾げた。

「うるさいっ!」
渋谷での実績がある以上、違うと言えなかったのが悔しかった。

「ねぇねぇ、小西君っ!」
つかさは俺を手招きした。

「ちょうどあの辺に、あたしが行ってる高校があるんだよぉ!」
つかさは、真っ正面を指差した。指差した先は、およそウルトラマンの特撮用に作ったセットよりもちっちゃくて、どこに高校があるのかよくわからなかった。

「双眼鏡から見てごらんよ。」
俺は、五十円玉を出した。双眼鏡を覗いたまま、

「あーっ、女の子が着替えてる!」
と冗談を言ったら、つかさはふくれっ面をした。結局、帰りの電車の中でも口を聞いてくれなかった。もっとも、このふくれっ面がまたかわいかったんだけど。

こんな感じであっちこっち遊んでいたら、とうとうつかさも俺も金穴状態になった。そこで、どちらからともなくアルバイトをしようという話になった。

「どこ行こうかな?」
つかさは、俺これ考えていた。

「まあ、無難な線としては、コンビニかレンタルビデオじゃない?」
俺が、こう言った。

「ねぇ、一緒にバイトしようか?」
つかさがこう言った。かくして、つかさと俺は、同じレンタルビデオショップに面接を受けることになった。しかも、面接日まで一緒だった。

「ねぇ、履歴書書いたことある?」
つかさは、突然こんな事を聞いた。

「ないよ。」
俺は、こう言った。

「どうやって書いたらいいのかなぁ・・・。」
つかさは、考え込んだ。

「あんなの適当に書いたらいいんだよ。」
俺は、こう言った。

「嘘書いたら、まずいじゃない。」
つかさは、心配そうな顔をした。

「それは当たり前だろ? 大体、どこに嘘書くところがあるんだよ。」
俺は、こう言った。それじゃあと言うことで、面接会場、と言っても店の事務所だけど、ここで待ってるぞと言うことになった。

そして、面接の日が来た。

「面接って、一体何を聞かれるんだろ?」
つかさは、不安そうな顔をした。そして、二人揃って事務所に通された。正直なところ、俺も何を聞かれるのか気になってしょうがなかった。でも、あまり対した内容は聞かれなかった。

「つかさ、お前嘘書いたろ?」
俺は、店を出るなりこう言った。

「なんで?」
つかさは、訳の分からない顔をした。

「お前、性別欄を女の方に丸しただろ?」
俺は、わかってないなと言いたいのを堪えた。

「だから、そこを悩んでたんだってば!」
つかさは、ムキになってこう言った。

「まあいいんじゃない。女の子って事にした方が。あたしが男の方に丸付けたら、絶対つっこまれるもん。」
つかさは、こう言った。俺も、確かにその通りだと思った。

実際のバイトはと言うと、ローテーションの関係で、つかさと俺が一緒にバイトするのは週に一回だけだった。

「小西君、早く! ぼやぼやしてたら、お客さんであふれちゃうよ。」
慣れない手つきでPOSレジを叩いていた俺に、つかさはこう言った。

「ほら、代わって。ここは、こうするのよ。」
つかさは、早くも慣れた手つきでPOSレジを叩き始めた。

「ほらあ。じっと見てないで。テープのチェックがお留守になってるよ。」
つかさは、こう言って俺にとどめを刺した。きっと周りの店員は、

「こいつ相当強い彼女を持ったな。」
と思いこんでいるに違いない。それが恥ずかしかった。こんな事を考えているうちにも、

「小西君、これ棚に返してきてよ。でないと、棚が空っぽになっちゃうよ。」
と、ビデオのラベルを貼った空箱を指差した。確かにつかさと一緒にいられるのは嬉しいけど、同じバイトはするもんじゃないなと思った。それでも、

「ありがとうございました。」
と、満面の笑顔で応対するつかさを見ていると、すっごく幸せな気分になるから不思議だ。

なんだかんだ言って、やけに強引だったりするのは昔のまんまだけど、すっごくかわいい女の子になっていた。ちょっと見栄っ張りな気もするけど。

ある放課後。俺は電車の中で、ドアの横に立ったまま、何をするわけでもなく窓の外の景色を眺めていた。窓の外は、流れるような住宅街。・・・と、突然こんな声がした。

「先輩、これ受け取って下さい。」
うちの高校の制服を着た女の子が、いきなりピンク色のかわいい封筒を差し出した。これが間違いなくラブレターであることは、誰でも一瞬でわかるだろう。俺は、読まずに返すのも悪いから、取りあえず受け取っておいた。すると、その女の子は逃げるように、でも嬉しそうに、隣の車両に走っていった。

車両と車両の間のドアが開いていたから、何があったのかと眺めてみた。すると、女の子の友達か、同じ制服を着た子があと二人ほどいて、俺に封筒を手渡した女の子が大きくガッツポーズをして見せていた。残りの二人はと言うと、何を喋っているのかわからないけど、すごく嬉しそうに喋っているのが見えた。そして、一番嬉しそうな子をよく見ると、どうも同じクラブの本間由香子に似てるような気がした。

本間は俺の後輩で、ちょうど一年前の俺と同様、この高校では全員がクラブに入らないといけないから、仕方なくESSに来た子だ。ただし、去年の俺みたく、誰かにつられて入った訳じゃなくて、英語が苦手だったからただで英語塾に行くような感覚で入部したのだ。もっとも、これは彼女が言ってた表向きの理由で、同じクラスの女の子が何人か同時に入部したところから想像して、もしかしたら俺と似たような理由で入部したのかも知れないけど。どちらにしても、今年入部した新入生の中で、彼女にしたい子を一人選べと言われたら、消去法で選んだとしても、選択法で選んだとしても、俺は本間を選ぶだろう。

とにかく、かわいいっ! 俺と並んで歩いたら、身長で負けるのがちょっと気になるけど、ショートカットがすっごく似合ってるし、あの

「ここkeepじゃないよ。過去形だもん。」
みたいな感じで俺が指摘して、頭の中が真っ白になったときのあの顔。それを、

「えー、keepの過去形だから、keepedかなぁ・・・。」
たまらず俺が、

「違う違う。keepは不規則動詞だから、keptでしょ?」
と、答えを言ったら、

「あ、そうかぁ!」
と。しかもこれが舌っ足らずなしゃべり方で、すっごくかわいいっ! 男の子がこんな時に使う基準というのも、また単純なもんだ。

ピンク色の封筒を鞄に入れた俺は、まだ本間らしき女の子を観察していた。まだ嬉しそうに喋っていた。そして、三人揃って会話が途切れたとき、三人が一斉にこっちを向いた。俺が視線をそらすと、なぜか大受けして、さっき以上に嬉しそうに大笑いしていた。やがて電車が駅に到着して、三人揃ってホームに降りた。そしてまた、名残惜しそうに、三人揃ってこっちの方を向いては嬉しそうな顔をした。そこへドアが閉まって、電車が発車してまで、まだこっちのほうを向いては嬉しそうな顔をしていた。

「さて、何が書いてあるのかな?」
家に帰るなり、俺はこうつぶやいた。とは言え、書いてある内容は大体わかっていた。例えば、

「突然、こんな手紙を渡してごめんなさい。」
と言う、男の子からしてみれば、仮に彼女がいたとしても、こう言う手紙を受け取ったらすっごく嬉しいし、仮に体重が百二十キロで、一緒に柔道をしたら彼氏を押しつぶしそうな女の子が渡したとしても、性格がいいとか何か一つでも取り柄があれば、少なくとも悪い気はしないはず。だから、なぜここで謝るのか男の子の一人としてはよくわかんないけど、こんな感じの出だしで始まって、

「実は私、小西先輩とクラブで逢って、一目惚れしました。」
と、きっかけはともかく、こんな感じの話が続いて、

「今、この手紙を私の部屋で書いていますけど、その時でも先輩の顔が忘れられません。」
と、ひょっとしたら学校で友達と相談しながら書いていたとしても、こんな感じの言葉を続けて、

「先輩、好きです。お返事待ってます。」
みたいな感じの言葉で締めくくってあるんじゃないかと思ったら、そのものズバリだった。

さて、どうしようか。机の上で考えても、答えが出ない。テレビで推理ドラマを見ても、解決の糸口は放送してくれない。マンガを読んでも、このシーンに完全に当てはまるとは思えない。あれこれ考えても結論が出なかったから、俺は寝ることにした。

チャンスじゃないの、小西君。つかさと遊ぶのは勝手だけど、このままうまく言ったとしても、つかさと結婚はできないぞ。いや、そこまで行かなかったとしても、エッチできないんだぞ。嘘だと思うなら、つかさのスカートをめくって見ろよ。中は立派にトランクスだぜ。君が涙する前に、さっさと本物の女の子の乗り換えちゃえば?

ちょっと待ってよ、小西君。確かにつかさが女の子じゃないのは認めるよ。でも、もしここで君がいなくなったら、つかさはどうなるの? 本間は本物の女の子だから、もし君が振ったとしても、これからいくらでもチャンスはあるよ。でも、君がもしつかさを振ったら、誰がつかさを守ってあげるの? もしつかさが将来を悲観して、首でも吊ったら君のせいなんだよ。今の君だったら、つかさが涙している顔は見たくないはずだよ。

俺の頭の中で、悪魔の衣装を着た天使と、天使の衣装を着た悪魔が、勝ちの見えない口げんかをしていた。そして、俺はまた眠れない夜を過ごしていた。

そして、日曜日が来た。この日はつかさがおっきな公園に行きたいって言うから、俺が高橋と一緒に行った、あの公園に行くことになった。

「うわぁ、おっきいなぁ・・・。」
つかさは入るなり、その大きさに圧倒された。

「いや、一応これ持ってきたんだけどね。」
つかさはリュックサックから、バトミントンのラケットを出した。もしこれが高橋だったら、

「シャトルを落としたら、これで顔に落書きするんだよ。」
と、筆と墨汁でも出したかも知れない。つかさの場合は、こんな正月の羽根突きみたいな馬鹿な真似はしないから、それだけは安心できた。

「ほーら、行くわよぉ!」
と、つかさのサーブは上に飛ばないで、ほぼ四十五度の角度で下に落ちた。もちろん、俺には届かなかった。

「ほらほら、シャトルは下からこうやってサーブするんだよ。」
俺はこう言いながら、サーブした。俺のサーブは大きく円を描いて、つかさの頭上を大きく越えていった。つかさは猛ダッシュで追っかけたけど、全然追い付かなかった。

「小西君、もうちょっとちっちゃく打ってよぉ!」
つかさは、笑いながら文句を言った。

こんな感じで、つかさが打っては届かず、俺が打っては遠すぎて、なかなか続かなかった。ここで、あれだけ下手くそだったつかさのサーブが、ようやくいいところに飛んだ。俺が返して、これもつかさの目の前に飛んでいった。つかさは、いいところに返してくれた。こんな感じで、ようやくシャトルがあちらこちらへと飛び始めた。そして、つかさが低く飛ばしてくれたので、俺はカバーできずに落としてしまった。

「小西君、ごめんねぇ!」
つかさは、無邪気に笑っていた。俺も、なぜだかわかんないけど、嬉しくなった。

しかし、俺にはまだ出せなかった答えがあった。それは、悪魔の衣装を着た天使を取るか、天使の衣装を着た悪魔を取るかだった。今まで忘れていたけど、なぜか急に頭の中に現れた。

そして、噴水の見えるベンチで。昇ったり止まったりする、ただそれだけの物で、もし横に彼氏か彼女がいなかったら、およそ通り過ぎてしまうような噴水。これを、飽きもしないでずっと眺めていた。

「もし・・・もしもだよ。」
俺が、こう言った。

「横に座っているのがつかさの彼氏だったとしようよ。で、もしこんな感じでベンチに座って噴水を眺めていたら、何て言って欲しい?」
つかさは、しばし考えていた。と思ったら、なぜかくすんくすん言い始めた。何が起こったのだろうとつかさの方を向くと、つかさが涙を拭っていた。俺には、なぜなのかよくわからなかった。やがて、つかさは本格的に泣き始めた。

「ねえ、どうしたの?」
つかさから答えが返ってこなかった。まさか彼氏の横で思いっきり泣いてみたかったとは思えないし、俺にはいくら考えても理由が思いつかなかった。

「小西君、じゃあね。」
と、駅で別れはしたけれど、結局涙の訳は教えてくれなかった。

次の日、俺が帰ってくるなり、俺のお母さんに呼ばれた。

「これ、つかさちゃんが渡してくれって。」
こう言って、何の変哲もない白い封筒を手渡した。部屋に戻った俺は、待ちきれない手つきで封筒を開けた。

「小西君 ありがとう。色んなところへ連れていってくれて、とっても楽しかったよ。でも、もうこれでいいの。もうわかれよう。それじゃあ。」
とだけ書いてあった。これは大変なことになった。俺はすぐさまつかさの家に電話した。

「つかさは、まだ帰ってないよ。」
つかさのお母さんが、こう言った。

「あ、そうそう、小西君。つかさが最近、帰ってからずっと泣いてるんだけど、どうしたの? 喧嘩でもしたの?」
と、こんな事まで教えてくれた。

電話を切った俺は、着替えるのも忘れ、自転車に乗って家を出た。きっと、まだ遠くに行ってないはず。いや、そうあって欲しい。俺は、思い当たるところを探し回ることにした。坂道を抜けて、駅前を走り、文房具屋さんを覗いたり・・・と。しかし、つかさは見つからなかった。

「つかさの奴、一体どこへ行ったんだろう?」
俺はどこへ行くわけでもなく、あっちこっちを自転車で走り回った。コンビニにもいなかったし、マンション街にもいなかったし、公園にもいなかった。そんな事をしているうちに、辺りは見る見るうちに暗くなった。

「いくら何でも、もう帰ってるかな?」
俺は、まだ探したいけど、引き返すことにした。

そして、ふと昔つかさと一緒にサッカーをした、あの河川敷を眺めると、白い制服を着た女の子がコンクリートの堤防に座っていた。俺は、近づいてみた。段々近くなるに連れて、ぐすんぐすんと言う泣き声が聞こえた。つかさだった。

俺は自転車を置いて、つかさの肩をぽんと叩いた。びっくりしたつかさは、飛び上がりながらこっちを向いた。そして今度は、泣きながらしゃっくりを始めた。

「探したぞ。」
俺はつかさの横に座った。

「小西君、ごめんね・・・。」
つかさは、しゃっくりをしながらこう言った。

「びっくりしたぞ、いきなりあんな手紙だもん。一体どうしたんだ。」
俺は、こう言った。

「小西君、・・・あたし見たの。」
つかさはこう前置きして、ぽつりぽつりと話し始めた。実は、たまたま俺と同じ電車に乗っていて、本間からラブレターをもらったところを見ていたのだ。

「あたし、もういいの。だって、あたしいくら頑張っても、小西君の女の子にはなれないんだもん。」
つかさは、またくすんくすんと涙を流し始めた。

「でも、別れたくないんだろ?」
俺は、つかさの肩を抱きながら、こう言った。つかさは何も返事をしないまま、ついに大泣きし始めた。俺は、どうしていいかわからなかった。ただ、大泣きしていても、つかさがやっぱりかわいかった。

「つかさが『別れたい』って言ったとしても、俺が『うん』って言うと思うか?」
俺はつかさの背中をさすりながら、こう言った。頭の上では、月がもうすぐ雲に隠れようとしていた。

「小西君、やっぱり女の子の方がいいよね?」
つかさは、涙声でこう言った。

「簡単に言うけど、俺がつかさを見捨てられると思う?」
俺がこう言うと、つかさはしゃっくりを始めた。

「さ、帰ろう。夏休みになったら、海に行こう。うちの田舎、海の近くなんだよ。昔一緒に行っただろ? 久しぶりに行こうよ。」
俺がこう言った瞬間、雨がぽつりぽつりと降り始めた。

「あ、雨が降ってきた。」
それが本降りになるまで、あっと言う間だった。俺の頭の中では、この後つかさを自転車の後ろにのっけて、家まで送っていくシナリオを書きかけていた脚本家が、あわてて筆箱から消しゴムを出して、必死でシナリオを考え始めた。

「きっと小西君のことだから、傘持ってきてないよね?」
しまった。俺はつかさの事を考えるのが精一杯で、傘のことは頭の隅にもなかった。

「もう、しょうがないわねぇ・・・。」
つかさはこう言って、通学鞄の中から折り畳み式の傘を取り出した。

「さ、小西君帰ろう。」
俺はつかさの傘に入れてもらうことになった。しかし、あの動物園でのあんないいものじゃなくて、俺は自転車を押してたから、頭を隠すのが精一杯だった。

二人を見ていた悪魔姿の天使が、戦いに負けて涙を流して、俺の頭上に雨が降ってきたんだ。と書けば格好は付くかもしないけど、つかさのヒーローになりきれなかった俺は、情けないやら申し訳ないやらで、ただ自己嫌悪に陥っていた。

家に帰った俺は、更に厳しい現実に直面した。

「ちょっと待て。よく考えたら、明日火曜日じゃないのか?」
火曜日の六時間目は、全員クラブだ。と言うことは、本間と鉢合わせになるぞ。さて困った。もしあの手紙の返事を迫られたら、どうしよう。いや、迫られなくても、やっぱり何もしないわけには行かないよな。さて、何て答えようか。彼女がいるとは言えないし、本間が嫌いだって答えるわけにも行かないし。ひょっとして、また女の子を泣かさないといけないのか? それだけは勘弁して欲しいな。ああ、神様、天使様。お願いだから、このまま風邪引いて学校を休ませて!

しかし、その願いもむなしく、俺は風邪を引いていなかった。

一時間、また一時間と、運命の時間が迫ってくる。さあどうする、小西君! 次は問題の、全員クラブだぞ!

LL教室の中で、俺はいつになく落ち着かなかった。そして、いつになく落ち着かない子がもう一人いた。こっちを見てはくすくす笑ったり、また期待してるような視線を送ってみたり、俺が視線を向けると、わざとらしく視線を逸らしたり。そんな俺のヘッドホンからは、アメリカの町中を模したようなテープが流れていた。テープの内容など、頭の中には全然入らなかった。

そして、長い時間が流れて、一人・・・また一人と部員が帰っていった。本間は、帰る様子がなかった。とうとう、LL教室は本間と俺の二人だけになった。

「本間さん・・・。」
俺は、こう言った。本間は、嬉しさを隠しきれない様子で、俺の座っているブースまで歩いてきた。

「宿題があるんだけどね。」
「え!?」
本間は、訳の分からない顔をした。

「これ、英訳して持ってきてよ。」
俺は、鞄の中からピンクの封筒を取り出した。

「何それーーーっ!」
本間はいっぺんにふくれっ面をした。

そして、いよいよ夏休みが来た。最初、俺はおばあちゃんの家に泊めてあげることにしていた。ところが、この話をお母さんにしたところ、

「つかさちゃんをあそこに泊めるって、それじゃ悪いじゃない。お金は出すから、民宿に泊まってらっしゃい。」
と言うことになった。で、つかさの方はと言うと、

「小西君と海に行くんでしょ? お母さんが協力してあげるから、いっぱい思い出作ってらっしゃい!」
と、つかさのお母さんがお金をくれた。しかも、民宿の予約まで取ってくれた。こうして、両方の親から協力されると言う、よほどの事でもない限りは起こり得ないと言ってもいいぐらいの奇跡が起こった。

そして、俺には楽しみがもう一つ。それは俺にもわからなかった。

「小西君、見せたい物があるの。」
海へと向かう電車の中で、つかさがこう言った。

「見せたい物って?」
俺は、幕の内弁当をほおばりながら、こう聞いた。

「見てからのお楽しみだよ。」
と言うことで、教えてもらえなかったのだ。一体何だろう。俺は、それが楽しみでしょうがなかった。

民宿に着いて、いきなりつかさが、

「変なことしちゃダメだよ。」
と言った。

「ま、泳ぐのは明日だから、テレビでも見ようか。」
俺はこう言って、ポケットから百円玉を取り出した。

「でも、これチャンネルが違うから、どこで何やってるかわかんないよね。」
と言いながらも、テレビに夢中になっていた。

そして、夕御飯。テーブルの上にずらりと並ぶ料理を想像していたら、その通りだった。およそ、女の子が食べきれるかどうか心配になるぐらいの分量。

「でも、この魚がおいしい!」
と、つかさは大満足だった。

「これで温泉でもあれば、最高だね。」
俺がこう言ったら、

「おっちゃんじゃないんだからさぁ・・・。」
と、笑っていた。

「取りあえず、これ終わったら花火しようよ。俺、いっぱい買ってきたからさぁ。」
俺がこう言うと、

「うん。そうしよう。」
と、嬉しそうにしていた。

そう言えば、つかさと花火をするなんて、小学校に行ってるとき以来だった。当時は完全に男の子だったつかさ。火のついた花火を持って、

「どうだ!」
と言わんばかりに、その花火をぶんぶん振り回したり、ねずみ花火に火を付けて

「ほら、危ないっ!」
と、誰かがいる方向にわざと投げたり・・・と。最後に決まって残っているのは、線香花火だった。それを、名残惜しそうに楽しむのだ。ただし、これで楽しみはおしまいじゃない。花火の残骸のたき火だ。そして、このたき火に水を掛けるのは、決まってつかさだった。

やがて時代は流れ、つかさは女の子として人生を再スタートした。そして、花火の中心は打ち上げ花火に変わった。

「次は、これ行くぞ!」
と、大きな筒を出して、俺が導火線に火を付け、

「そら逃げろ!」
と、一気につかさの隣に逃げ、海に向かってまっすぐ飛んでいって、

「うわー、綺麗綺麗!」
と、つかさは手を叩いて喜んでいるのだ。

「ねぇねぇ、あたしにもやらせて!」
と、落下傘が飛ぶやつを出した。そして、恐る恐るマッチを擦って、怖々と導火線に火を付けた。

「爆発するぞっ!」
と俺が叫んだら、

「きゃーーーっ!」
と大きな悲鳴を上げて、およそ俺に抱きつくような格好で、駆け込んできた。

「ぽんっ!」
花火からこう言う音がして、落下傘が海の向こうへひらりひらりと落ちていった。それをつかさも俺も、嬉しそうに眺めていた。

「小西君、見て! あっちでも揚がってるよ!」
別のグループも、おっきな花火を揚げていた。

「ねぇねぇ小西君、この後たき火するんでしょ?」
ほら来た。つかさは花火も好きだけど、その後のたき火が好きなのだ。この辺が小学生時代から全然変わってないなと思った。

「で、あたし水もらってくるからさぁ、ちょっと待っててよ。あ、まだ火を付けちゃダメよ。」
つかさはこう言って、民宿に帰っていった。俺は、花火の残骸を集め始めた。やがて、つかさが重そうにバケツを持ってきた。

「どうしたの?」
俺は、不思議そうに聞いた。

「だからぁ、水もらって来たんだってばぁ!」
つかさは、ふくれっ面をした。

「だって、ここ海だよ。水だったらいくらでもあるじゃない。」
俺は、こう言った。

「あ、そっか!」
つかさは舌を出した。そして俺は、花火の残骸に火を付けた。

「わぁ、ついたついた!」
と、花火を見ているときと同じぐらい嬉しそうな顔をした。しばらくして、しゅーっと言う音がした。火がつかなかったから没にした花火に、火がついたのだ。やがて、たき火が青になり、緑になり、そして元の状態に戻った。

「さ、そろそろ消そう!」
つかさは、持ってきたバケツの水を、一気にかけた。

「小西君、どうしたの?」
つかさは、くすくす笑っている俺に、こう言った。

「いや、だってつかさって昔っから変わんないなって!」
「何それ?」
「だって、バケツの水・・・。つかさって、昔っからこの役だったよな?」
「なんでそんなこと覚えてるのよぉ!」
と言っては、二人で笑ってた。

そして、次の朝。つかさも俺も、パジャマ姿で朝御飯。こっちは、一階の食堂だ。

「ねぇ、このみそ汁って、昨日の鯛かなぁ・・・。」
「当たり前じゃない、そんなこと。」
「そう言う言い方しなくたっていいじゃない・・・。」
と、こんな感じの朝御飯の後は、いよいよメインイベント。

「着替えるとこ見ちゃダメよ!」
と、つかさに念を押された。そして俺は、待ってるのも暇だから、廊下で着替えることにした。と言っても、腰にバスタオルを巻いて、下だけ海パンに履き替えるだけ。

「お待たせ!」
部屋の奥から、ピンクのワンピースの水着を着たつかさが出てきた。それがまた、すっごくかわいいのだ。でも・・・

「あれ、つかさって、ワンピース?」
そう。確か中学校一年生の時、下は男性のシンボルが付いてたから、それをどうやって隠そうか悩んでいた。結局、ビキニに短パンが付いたスリーピースの水着でカムフラージュした。それが、堂々とワンピースを着てるんだから!

「うん。小西君にこれを見せたかったんだ・・・。」
よく見ると、下のふっくらとしたモノがなくなっていた。

「あれ、邪魔でしょうがなかったの。だって、ブルマがはけないもん。高校に入学するときに、そこが問題になったの。だから、一年間休学して手術したんだ。」
俺も高橋のそれは見たことあるけど、姿から形から全く一緒だった。

「で、その水着の下はどうなってるの?」
と聞いたら、つかさに平手打ちを食らった。

男の子代表としては、ここでビキニを着て欲しかったんだけど、そこまでの勇気はなかったようだ。確かあの時も、

「ワンピースで、下がショートパンツになってる奴ってないかなぁ・・・。」
なんて言ってたぐらいだから。

海に着くなり、つかさと俺はビニールシートを砂浜に引きにかかった。

実はこの海、小学生時代のつかさとだったら、来たことがあった。もちろん、当時は完全に男の子で、持ってくる道具はと言うと、ゴムボートとか、水中眼鏡とか、シュノーケルまで持ってきた。

「水とんの術!」
と言いながら、水中眼鏡にシュノーケルをつけて、ずぶずぶと海に潜るのだ。

「いいなあ、それ。俺にも貸してよ。」
と、俺も水中眼鏡とシュノーケルで潜ってみたら、

「うわっ、水が入ってきた。」
俺は突然海から上がって、大きく咳をした。

「ばかだなあ、このてっぺんが海に浸かってるじゃない。」
つかさは大笑いしながら、こう言った。

この他にも、ゴムボートを膨らます大仕事は、必ずと言っていいほどつかさがやっていた。

「俺がやるからさ、小西君は休んでてよ。」
・・・と書けば、何とつかさは優しい子だと言うことになるけど、実は目的がもう一つあった。つかさ曰わく、

「だって、これやってたら、準備体操の代わりになるもん。」
と言うことだった。しかし、時代は流れて、ゴムボートを膨らます仕事は、俺の役に変わった。

「ねぇ、準備体操はいいの?」
つかさは、こう言った。

「いい。俺、これやるから十分準備体操になるよ。」
俺はゴムボートを出して、空気を入れにかかった。つかさはと言うと、鞄の中から浮き袋を取り出し、膨らましにかかった。

「あれ? つかさって泳げなかったっけ?」
俺は、不思議になった。

「だって、自信ないもん。」
そうだった。俺の記憶が正しければ、つかさが最後に泳いだのを見たのは、あの中学校一年生の時にプールに行ったきりだった。俺はあの後、秀樹と一緒に何回かプールへ行ったが、もしあれ以降につかさがプールへ行ってなければ、泳ぐのは四年ぶりのはず。もし男の子だったら四年ぐらい泳いでなかったとしても、何とか泳げるかも知れない。でも、これが女の子となると、ちょっとわからない。

「行くぞ!」
俺は、完成したゴムボートを持って、海に入った。

「あ、待って! 私も行く!」
つかさも、海に入った。と思いきや、およそ膝ぐらいの浅いところからさっさとゴムボートに乗り込んだ。

「あーっ、もうちょっと深いところで乗ってよ。」
「だって、これ以上深いところだったら、乗れないもん。」
そんなことを言いながら、俺はつかさの乗ったゴムボートを、沖へ沖へと押していった。そして、胸ぐらいの深さのところで、俺はゴムボートに這い上がった。

「うわっ、冷たい冷たい!」
俺が這い上がるなり、つかさははしゃぎ始めた。そして、俺が両手でオールを持って、沖へ沖へと漕いでいった。

「うわー、砂浜がもうあんなとこだよ!」
つかさは、ゴムボートの低い椅子の上に、体育の時の三角座りの格好で座っていた。それが、ボートが揺れる度に足を開いたり、閉じたりするのだ。

そうか。大事なところを取っちゃったか。と言うことは、アレもつけたのかな? こうやって見る限り、形は似てるよな。と言うことは、結婚はできないかも知れないけど、ナニはできるよな。でも、これって赤ちゃんできるのかな? 試しにやってみて、できちゃったじゃ済まないよな、やっぱり。いかんいかん。こう言うことを考えるのはよそう。それにしても、つかさの水着姿ってかわいいよな。胸も順調に成長してるみたいだし。恐らくCカップ、いやもっとあるかも知れないな・・・。

「この辺って、もう足が付かないよね?」
「試しにボートひっくり返してみようか?」
「いいわよ。その代わり、溺れたら助けてくれる?」
「やっぱりやめよ。」
「何それ!」
こんなことを言っては、つかさも俺もはしゃいでいた。

次は、ビーチボール。およそ膝ぐらいの深さのところで、ビーチボールを使ってバレーをやった。

「小西君、行くわよぉ!」
つかさは、サーブをしようとした。しかし、風にあおられて失敗。気を取り直して、もう一度。今度は成功。でも、随分手前に落ちた。俺には届かなかった。

「反対向きに立ったらいいんじゃない?」
俺はこう言った。そこで、俺が風上を向いて立つ格好になった。次は、俺がサーブ。今度は見事に飛んだ。でも、風にあおられてつかさがうろうろし始めた。落下点を見失ったつかさは半分転び掛けて、海水をばしゃっと浴びた。

「冷たいっ!」
ビーチボールはあっちへ飛んだりこっちへ飛んだり、なかなかうまく行かなかった。たまにボールが風にながされて、随分遠いところへ飛んでいった。

「小西君、取ってきて!」
そう。これを泳いで取りに行くのが、俺の役だった。

こんな感じで、昼間でずっと泳いでいた。それにしても、浮き袋は膨らましたものの、使うことなくしぼんでいった。一体あれは何だったのだろう。

「くどいけど、覗いちゃダメよ。」
俺は、また締め出しを食らった。

覗いちゃダメって、覗くなって言われたら覗きたくなるのが男の子だよな。それに、アレも見たいし、コレも見たいし。いかんいかん。そんなことしたら、嫌われるよな。でもやっぱり見たいよな。そろそろ水着を脱いだところかな? ああ、だめだ。これじゃまるで、お預け食らった子供と一緒だ。

「お待たせ!」
つかさがミニスカート姿で出てきた。

帰りの電車の中。つかさはすっかり疲れたのか、ぐっすりと眠っていた。これがまた、かわいいんだ。

「小西君、また海に行こうね。」
と、寝言を言っていた。ここで食べてしまいたくなるんだから、恐ろしい物だ。俺はつかさの肩を抱いた。つかさは、俺にもたれかかってきた。ああ、この匂いがたまらない。俺も、何だか幸せな気分になった。そして、俺もついうとうとした。

「小西君、もうすぐ駅だよ!」
俺は、つかさの声で目が覚めた。

「やっぱり小西君は、あたしが一緒じゃないとダメみたいね。」
と、とどめを刺された。

やがて秋が来て、公園の銀杏が黄色くなる頃。学校から帰ると、お母さんが手招きした。

「これ、手紙が来てたよ。」
封筒の後ろを見ると、高橋知子と書いてあった。一体どうやって住所を調べたのかは、未だに謎だ。

部屋に帰って、封を開けた。中には、高橋が一人で学校の校庭らしいところに立っている写真が一枚入っていた。他に、便せんが一枚。内容はこうだった。

小西君 突然いなくなって、ごめんね。あの時は、私もショックだったけど、きっと小西君もショックだったと思う、きっと。でも、もう大丈夫。私は平気だよ。

さて、私がなぜこんな手紙を書いたかというと、今度東京に行くからなのです。うちのクラブの全国大会が東京であって、九月二十日に私も行くのです。もちろん、泊まりがけで。小西君、びっくりしたでしょお!

夜の八時ぐらいだったらホテルを抜け出せると思うんで、一度会いたいなと思ってます。水道橋の駅で待ってますので、絶対来てね。

来なかったら、知らないぞ。
それじゃあ、待ってるからね。

・・・と言うことだった。

俺は、カレンダーを見た。九月二十日は、土曜日だった。と言うことは、つかさと逢ってるのは大抵日曜日だから、重なることはないなと思った。しかも、水道橋の駅も、どうやって行ったらいいかは知っていた。というのは、昔つかさが男の子だった頃、たまに野球を見に行ったのだ。

その晩、俺は布団の中で、また余計な想像をしていた。

そうか。知子ちゃんが東京に来るのか。クラブで全国大会に行くなんて、すごいよな。あれっ、でもESSって全国大会あったっけ? まあ、きっとあるんだろう。大阪に行って、別のクラブに行ったかも知れないし。どうしよう。会いに行ったらつかさに悪いかな? まあ一日ぐらいだったら許してもらえるだろう。わざわざ大阪から友達が来てるとか何とか言って。それにしても、知子ちゃんって大阪に行って彼氏はできたのかな。きっとできてるだろうな。でも、もしそうだとすると、女の子と遊びに行くことを先に考えるよな。と言うことは、やっぱり彼氏はいないのかな? まあ、東京から転校生が来たって話になったら、きっと大阪の連中は白い目で見るだろうし、それもしょうがないような気もするな。

それからしばらくして、夜つかさから電話がかかってきた。

「ねぇ、小西君、今度の土曜日は暇?」
つかさは電話でこう言った。

「どうしたの?」
俺は、何か嫌な予感がした。

「たまには野球見に行こうよ。東京ドームまで。」
つかさがこう言った。そして俺は、急にピンチに立たされた。東京の地理に詳しい人だったらすぐわかると思うけど、東京ドームの最寄り駅が、水道橋駅、つまり高橋と待ち合わせている場所なのだ。後楽園駅で降りてもいいんだけど、乗り換えが大変だから、ここから東京ドームへ行こうと思ったら、水道橋駅になるのだ。

さて困ったぞ。もしつかさの方を取って、待ちぼうけを食らっている高橋と鉢合わせになったら、何が起こってもおかしくないぞ。かと言って、もし高橋の方をを取ったとしたら、今度は友達か誰かと一緒に野球を見に行ってたつかさと鉢合わせになるかも知れないな。どうしよう。また、あの本間のラブレター事件の再来か。下手をすると、今度はその場で起こるかも知れないぞ。ここは一つ、つかさが前売り券を買ってないことを祈るしかないな。

「ごめん。日曜日にしない?」
俺は電話から、つかさに頼み込んだ。

「どうしたの?」
つかさは、不思議そうにこう聞いた。

「土曜日はね。大阪から知り合いが来るんだよ。」
俺は、とっさにこう言い訳をした。

「ふうん・・・。」
きっとつかさは何気ない返事をしているのだろうとは思うけど、こう言う立場に立たされると、俺を疑っているように聞こえるから不思議だ。

「わかった。それじゃあ、日曜日にしよう。」
つかさはこう言って、電話を切った。俺は、受話器を置くなり大きくため息を付いた。良かった。何とかピンチを乗り切った。俺はそう思った。

そして、土曜日が来た。俺は、七時三十分には水道橋駅の改札前で待っていた。

「知子ちゃんと待ち合わせると、いつも俺が待たされるんだよな。」
俺は、改札口からの人の列を気にしながら、こうつぶやいた。つかさの約束は日曜日に延期したから、この人の列にはいないはず。それに、プレイボールは大抵六時か六時三十分だから、万が一来ていたとしても、もう東京ドームの中のはず。わかってはいるけど、なぜか気になった。

「お待たせ!」
俺の顔を見るなり手を振った高橋は、見慣れない高校の制服を着ていた。

「ちょっと痩せたんじゃない?」
俺が久しぶりに高橋を見たときの、第一印象だった。

「そうかなぁ、おいしいものいっぱい食べてんだけどなぁ・・・。」
高橋は、こうつぶやいた。

「やっぱり、大阪って食べ物がおいしい?」
俺は、こう聞いた。

「うん。おいしいし、安いし、量があるし。大阪の人が東京に来たら、飢え死にするって話、何となくわかるような気がするな。」
高橋は、こう言った。

「で。今日は時間、大丈夫なの?」
俺は、時計を見た。

「うーん、あんまりないけど・・・。」
高橋は、こう言った。

「それじゃあ、取りあえずどっかサテンに入ろうか?」
俺は、東京ドームと反対側を指差した。

「うん。」
高橋がこう言ったので、近くのサテンに行った。俺はアイスコーヒーを、高橋はホットコーヒーを頼んだ。

「でも、すごいね。全国大会って。どこのクラブ?」
「ESS。英語弁論大会だよ。」
「へぇーっ、そんなのがあるんだ。」
「・・・て、小西君出なかったけ?」
「全員クラブの方は、出してないはずだよ。普通クラブの方は知らないけど。」
普通クラブというのは、火曜日六時間目の全員クラブ以外の時間にも活動をしているクラブのことだ。うちの高校のESSには、全員クラブのESSと、普通クラブの方のESSの二つがあった。この二つのクラブは、やってることは一緒だけど、全く別のクラブで、当然別々に活動していた。だから、俺は普通クラブのESSで何をやっているか知らなかったし、英語弁論大会という物自体の存在も知らなかった。

「ふうん・・・。」
高橋は、相づちを打った。俺は、目の前のアイスコーヒーを口にした。

「それにしても、なんで水道橋の駅で待ち合わせたの?」
俺は、こう聞いた。

「だって、宿舎というか、泊まってるホテルが水道橋にあるんだもん。」
「へぇ、水道橋なんかにホテルってあったっけ?」
俺は、首を傾げた。

「それが、あるのよ。あたしも知らなかったんだけどね。」
「よかった、渋谷って言われなくて。」
「こっちから願い下げよ。ほら、小西君は覚えてるかどうかわかんないけど、一緒に渋谷に行ったときに、思いっきり迷子になったじゃない。あれで、渋谷は懲りたわよ。」
高橋は、こう言って笑った。俺だって、忘れたくても忘れられないぞと言いたくなった。

「ねぇ、大阪は慣れた?」
俺は、こう聞いた。

「うーん、東京とあんまり変わんないよ。遊ぶところは結構あるし。Loftもハンズもあるし。」
「大阪弁は、もう喋れるようになったの?」
「うーん、ダメ。例えばね。『小西君さあ』みたいな感じのことを言って、きょとんとした顔をされちゃうの。未だにね。」
高橋は、ちょっと微笑んだ。

「知子ちゃん、彼氏できた?」
俺は、一番聞いてみたいことを聞いた。高橋は、コーヒーカップを口にした。そして、首を横に二回振った。

「欲しいなとは思ってんだけどね。」
高橋は、こう言ってうつむいた。

「そっかぁ・・・。」
俺は、アイスコーヒーを口にした。

「ねぇ、小西君は彼女できた?」
高橋は、身を乗り出した。きっと高橋に聞かれるだろうと思っていたことを、見事に聞かれた俺は、ちょっとだけ答えに困った。

「うん。一応ね。」
まさか男の子だよとは答えられなかったから、こう答えた。

「それよりもさぁ、東京に戻ってこないの?」
俺は、こう聞いた。

「戻って来るって?」
「うん。東京の大学を受験してさ、こっちに下宿しちゃうんだよ。」
俺は、テーブルに身を乗り出した。

「知子ちゃんだって、こっちの方が性に合ってるだろ?」
高橋は、コーヒーカップを口にして、ちょっと考え込んだ。

「どうしようかなって思ってんだけどね。」
高橋は、ちょっとだけうつむいた。

「本当はね。東京の大学を受けたいの。でも、うちはお母さんしかいないから、東京の大学はおろか、大学に行けるかどうかもわかんないのよね。」
高橋はこう言って、憂鬱そうな顔をした。

「一応短大だけは行かせてくれるみたいだけど、きっと東京に行くなんて言ったら、心中しようなんて話になるかもね・・・。」
高橋は、窓の外を眺めた。俺は、このシチュエーションに合う答えが浮かばなかった。高橋につられて窓の外を眺めると、もうナイターが終わったのか、人の列が見えた。

「あと何回、東京に遊びに行けるのかな?」
高橋の顔が、やけに寂しそうだった。

「うちに泊まったらいいんだよ。」
俺が、沈黙を破るかのようにこう言った。

「それは遠慮しとくわ。あれで十分懲りたもん。」
高橋はこう言って、微笑んだ。そして俺は、きっと高橋が微笑んでいる顔を見るのは、これが最後かも知れないと覚悟した。

「じゃあ、先生に見つかるとまずいから。」
と、高橋とは水道橋の駅で別れた。しかし俺は、高橋の後ろ姿を見送りたい気分になれなかった。

次の日、俺はまた水道橋の駅にいた。ただし、隣にいるのはつかさだった。

「久しぶりだね、この駅で降りるの。」
つかさは、もう嬉しそうな顔をしていた。

「そうだね。」
まさか昨日ここにいたと答えるわけには行かないから、俺は取りあえずこう答えた。

「あ、そうそう。昨日はごめんね。」
俺は、こう言った。

「いいよ。でも、確か野球すっぽかしたの、これで二回目だったよね。」
そうだった。

あれはつかさと俺が小学生の頃。野球を見に行こうと、つかさがナイターのチケットを学校に持ってきた。俺は野球が好きだったから、喜んでチケットを持って帰った。でも、ナイターがあるというその日、俺は風邪を引いて熱を出した。結局、俺はナイターを見に行けなかったのだ。

「もっとも、あの試合は雨で中止になったけどね。」
つかさは、こう付け加えた。

つかさと俺は、外野席の前の方に座って、プレイボールを待った。やがて、大きなサイレンが鳴った。

「ねぇ、ホームラン打ったら、この辺テレビに映るかなぁ?」
つかさは、こんなことを気にしている間、俺は高橋のことを気にしていた。きっと今頃新幹線に乗ってるかな、それともまだ東京にいるのかな、それを気にしていた。

「小西君、打った打ったぁ!」
つかさは立ち上がって、俺の肩を引っ張って、ねぇねぇねぇと言わんばかりのジェスチャーを全身でやった。しかし、ボールは三塁側の内野席に入った。

「なあんだ、ファールか。」
つかさは、がっくりと席に着いた。

「ねぇねぇねぇ、また打ったよぉ!」
つかさはまた立ち上がって、グラウンドを大きく指差した。しかし、ボールはセンターのグローブにすっぽりと入った。

「なあんだ、センターフライか。」
つかさは、またがっくりと席に着いた。このシーン、およそプロ野球好プレー珍プレー大賞のカメラでも来てたら、しっかりとオンエアーされるんじゃないかと、俺は心配になるぐらいの、オーバーアクション。

「でも、この辺は昔っから変わってないな。」
俺は、そう思っていた。

つかさが小学生の頃、野球を見に行くとやっぱりこんな感じで、俺が幕の内弁当を広げている間でも、

「小西君、何食ってんだよ。ほら、打ったぞ。」
と、平凡なショートゴロでも呼んでくれるのだ。これで、ホームランになろうかと言う打球が飛ぶと、

「ほら、これホームランじゃないか!」
と、席を立って俺の肩を叩くのだ。これを、小学生の男の子がやってるのと、女子高生、にしか見えない奴がやってるのとでは、世間の見る目が違うのは、言うまでもない。

「ねぇ、小西君。これホームランになるんじゃないの!」
つかさはまた、席を立った。ふわりと大きな打球がどんどん伸びて、センターのバックスクリーンに入った。

「入ったわよ。これ。ホームランよ、ホームラン!」
つかさは席を立ったまま、大きくガッツポーズ。それはそれは、嬉しそうな顔をした。横で見ていた俺はと言うと、

「頼むからやめてくれ。」
と、恥ずかしさを堪えるのに必死だった。

ナイターが終わって、つかさはまだ興奮が冷めないようだった。

「ねぇ小西君、うちの高校の文化祭に来ない?」
つかさは帰りの電車で、いきなりこんな事を言った。

「だってぇ、みんな彼氏連れて来るんだもん。あたし一人で回ったら、寂しいよ。」
やはりこれも、いつものように、彼氏ができたらやってみたかったことのようだ。

「そうだな。つかさの高校も一度見たいしな。」
俺は、こう言った。つかさは、嬉しそうな顔をした。

「その代わり、うちの高校の文化祭に行くのはやめよう。つまんないから。」
俺は、つかさに行きたいと言われる前にこう言った。

そして、つかさの高校の文化祭の当日。

「へぇーっ、つかさの高校って、ずいぶん遠いんだね。」
電車の中で、俺は思わずこう言った。

「そうでしょお! あたしこれを、毎日通ってるんだから。」
つかさは、ここぞとばかりに不満をぶつけた。

「俺だったら絶対、朝起きられないだろうな。」
俺は、つかさに指摘される前に、こう言った。

「あーっ、それあたしが言おうと思ってたのに・・・。」
つかさは、ふくれっ面をした。

こんな感じで、電車に乗る時間も長ければ、歩く時間も長かった。正確には、初めて歩く道なので、短い道でも長く感じると言った方が正しいかも知れない。

「つかさ、まだぁ・・・。」
俺は、こうぼやいた。

「まだそんなに歩いてないじゃない。」
つかさは、情けないなと言わんばかりにこう言った。

「ねぇ、コンビニがあるから、寄っていこうよ。」
俺は、通り道にあったコンビニを指差した。

「だからぁ、寄り道しちゃあダメ!」
俺の提案は、つかさが却下した。

つかさの高校の校門に大きく、総和学園文化祭、と看板が立っていた。つかさの高校は、俺の高校よりもずっと広くて、体育館が二つもあって、プールもあって、コンピュータールームまであった。

「ねぇ、つかさのクラブも展示か何かやってるの?」
俺は、科学部の展示を眺めながら、つかさにこう聞いた。

「やってないよ。」
つかさは、平然とこう言った。

「でも、つかさって文化系のクラブなんだろ?」
俺は、こう聞いた。

「帰宅部だよ。」
つかさは、聞くんじゃなかったと言いたくなるような答えを返した。

「それじゃあ、クラスで何かやるとか?」
俺は、こう聞いた。

「昨日終わったの。」
「なんで昨日呼んでくれなかったんだよ!」
俺は、不満そうにこう言った。

「だって、合唱だよ。あんなの見たって、しょうがないじゃない。」
「そりゃまあ、そうかも知れないけど、俺としては、文化祭で活躍してるつかさを見たかったな・・・って思ったの。」
「活躍してるとこって、あたしが出る日に呼んだら、こんな感じで一緒に歩けないところだったんだよ。」
つかさは、ちょっとだけ不満げな顔をした。

「ねぇ、それよりもさぁ、模擬店行こうよ。お好み焼きとか、たこ焼きとか、色々あるよ。」
つかさは、嬉しそうな顔をした。

「へぇ、つかさの高校って、模擬店が出るんだ。」
「小西君とこの高校は、ないの?」
「ないよ。生徒会で毎年提案されるんだけど、職員会議で却下されるんだよ。」
「ふうん・・・。」
つかさは、さもかわいそうにと言わんばかりの顔をした。

つかさと俺は、ちょうど校舎と校舎の間にある、中庭に行った。そこにはテントが三つ立っていて、お好み焼きと焼きそば、ジュースを売っていた。

「へぇ、お好み焼きが三百円に、焼きそばが二百五十円、ジュースが九十円か。安いよなぁ・・・。」
俺は、つい自分の高校と比べたくなった。

「だからぁ、コンビニ行くのやめようって言ったのよ。」
「そう言うことか・・・。」
俺は、こう言った。

「よおし! 全部制覇してやるぞ!」
俺は張り切って、三つとも全部買った。つかさは、お好み焼きとジュースを買った。これを持って、取って作った特設のテーブルに持っていった。

「おいしいね、このお好み焼きも、焼きそばも。」
「でしょお! うちの高校はね、模擬店設営にPTAが協力してくれるの。だから、絶対模擬店はなくならないのね。」
つかさは、お好み焼きをほおばりながら、こう言った。

「いいな。うちの高校も、やって欲しいな。ただでさえ、盛り上がりに欠けるって声が毎年あがるんだから。」
俺は、焼きそばをほおばりながらこう言った。

「う・・・。」
俺は、焼きそばを喉に詰めた。

「ほらほら、そんなにあわてて食べなくてもいいじゃない。」
こんな感じで、お好み焼きと焼きそばをお腹に入れた俺は、すっかりお腹がいっぱいになった。

「ねぇ小西君、模擬店はまだあるんだよ。」
つかさは、満足そうな俺の顔を見ながら、こう言った。

「え・・・。」
俺は、言葉を失った。

「こっちこっち!」
つかさは、俺の手を引っ張った。そして連れていってくれた場所は、第二体育館の隣の、空き地だった。ここにもテントが三つあって、たこ焼きとホットドック、うどんを売っていた。

「さて、小西君は全部制覇するんだったよね?」
つかさは、にやりと笑った。

「こうなったら、全部食ってやる!」
俺は、また三つ全部買った。つかさは、ホットドックだけ買った。

「いいな、これ。こんな高校だったら、俺毎日行きたいな。」
うどんを食べながら、俺はこう言った。

「あれ、朝起きられないんじゃなかったの?」
つかさは、痛いところを付いた。

「う・・・。」
ホットドックを詰まらせた俺は、うどんのつゆでごまかした。

男の子のお腹でもちょっときつかったけど、何とか全部食べきった。

「ああ、本格的にお腹一杯だぞ。」
俺は、すっかり満足した。

「ま、小西君の場合は、今日だけだもんね。あたしは、まだ明日もあるからいいけど。」
それにしても、俺は不思議でしょうがないことがあった。まず、いくら文化祭って言っても、朝のホームルームぐらいはあるはず。でないと、誰が出席しているのかわからないから。でも、確かつかさは校門をくぐってからも、ずっと俺と一緒だ。と言うことは、この高校は出席を採らないのだろうか。

「ああ、それ? もちろん、採ってるよ。これで。」
つかさは、制服のポケットから、小さいカードを出した。

「このカードさえ出せば、出席になるの。文化祭の時だけはね。それじゃあ、忘れないうちに出してくるからちょっと待って。」
つかさはこう言って、校舎の中に消えた。しかし、年一回のお祭りとは言え、こんなアバウトな出席の採り方でいいのだろうか。こんな事を考えてるうちに、つかさが帰ってきた。

「もっとも、こんなことしなくても、みんな行くに決まってるけどね。」
つかさは、こう付け加えた。

俺が不思議でしょうがないことが、まだあった。さっきからここの高校の生徒達とすれ違ってるし、この模擬店の周りにも、いっぱい生徒達がいるんだけど、つかさの友達らしい生徒がいないのだ。その証拠に、例えばすれ違った友達にあいさつするとか、そこまでは行かなくても、あいさつ代わりに軽く手を挙げるとか、そう言うシーンが全然ないのだ。つかさの友達って、そんなに人数が少ないのか? 俺は、それが不思議だった。

「ああ、それね。」
つかさは、こう前置きした。

「何せこうやって出席採ってるから、何時に誰が来るかわかんないのね。それに、彼氏と一緒に歩いているときは、声を掛けない同盟を友達全員で結んでいるから、もしすれ違ったとしても、まず誰も声を掛けないよ。」
つかさは、こう言った。

「それよりもさあ。もうすぐ体育館で、演劇部が劇やるみたいよ。体育館に行かない?」
つかさは、プログラムを見ながらこう言った。そして、体育館の中。もう結構人が入っていて、つかさと俺は、舞台から見て奥の方の席に着いた。

劇の内容はと言うと、とある高校の演劇部が、文化祭に向けて練習をすると言う、何とも安易な内容だった。それでも、部員の中で恋が芽生えてと言うストーリーも追加されていた。

つかさはと言うと、完全に劇に見入っていた。俺も一応劇を見ていたけど、つかさの方を度々振り向いてみた。つかさがこれだけ真剣な顔をしているのも、久しぶりだった。そして、髪をたなびかせる仕草も、すっかり女の子だな。俺は、そう思っていた。

「どう? 面白かった?」
帰りがけに、つかさがこう言った。

「いやあ、うちの高校の文化祭がますます貧弱に見えちゃったよ。」
これが、俺の正直な気持ちだ。

「来年も、一緒に行きたいね。」
と俺が言ったら、つかさは黙ったままだった。

ある日曜日、ぼんやりとマンガを読んでいたら、つかさから電話がかかってきた。

「小西君、うちに遊びに来ない? お母さんがサツマイモで蒸しパン作ってくれるって。」
つかさが電話でこう言った。自転車に乗って遊びに行くと、ちょうど蒸しパンが食べ頃だった。

「小西君、いつものこれだけど、良かったら食べてよ。」
つかさのお母さんが、こう言った。すっごくいい匂いがして、手で二つに割ったら湯気がぷんと上がって、サツマイモの甘い香りがした。すっごく甘くて、おいしかった。

「小西君、話があるんだけどね。」
つかさは、いつ切り出そうかと迷った挙げ句にこう言った。

「今まで、色々な思い出をありがとう。とっても楽しかったよ。」
これはもしかして、そろそろ別れようかという事か?

「でもね、あたし辛いの。小西君、楽しそうなんだもん。」
つかさは、うつむいたままだった。

「このまま続けたって、小西君がかわいそうなのわかってるもん。だから、辛いの。」
つかさは、くすんくすん言い始めた。

「だから小西君、・・・別れよう。」
つかさは、しくしくと泣き始めた。俺は何も言えず、黙っていた。つかさと俺の後ろからは、きっとお母さんが下で見てるんだろう。テレビの音が小さく聞こえた。でも、何を言っているのかよくわからなかったし、聞きたい気持ちにもなれなかった。さて、いつ言おうか。俺は、それしか考えていなかった。

「じゃあ、俺が思っていることを言うよ。」
つかさの気が済むまで泣くのを待って、俺は、こう前置きした。

「そりゃあ、確かにこのまま続けたら、俺は辛いかも知れない。」
俺も、うつむいたままこう言った。

「でもね。もしここで別れたら、俺はもっと辛いよ。」
つかさは、くすんくすん言っていた。

「ねぇ小西君、・・・一つだけ聞いていい?」
つかさは、泣き声とも何とも言えない声で、こう言った。

「確かこの前、大阪から友達が来てたって言ってたよね?」
ほら来た。いつかはきっと聞かれるだろうとは思っていた。覚悟はしていたつもりだけど、なぜか胸騒ぎがした。

「ねぇ教えて! 誰と会ってたの?」
つかさは、また泣き出した。俺は、ついに事実を話す覚悟を決めた。

「実はね。前の彼女なんだよ。今、大阪に住んでてね。たまたま東京に来てたんだ。」
つかさは、まだ泣いていた。

「彼女、あの日クラブで全国大会だったんだ。昔、俺と同じクラブだったんだけどね。それが、両親が離婚して、大阪に転校しちゃったんだ。」
俺の話し方は、つかさの耳にはなつかしそうに聞こえたかも知れない。

「でもね。もし前の彼女と、つかさと、どっちを取るって言われたら、俺はつかさを取るな。」
俺の耳から、テレビの音が消えた。そして、周りに置いてあるはずの、少女マンガやらテレビやらがすうっと消えた。もう俺の目からは、つかさしか見えなくなった。

「だって、つかさのことが・・・好きだから。」
その時、つかさははっとした。俺の目からも、なぜか涙が出てきた。でも、なぜか俺の視界に、つかさの部屋が戻ってきた。

「まだ女の子にも言ってないんだぜ。」
俺はこう言って、今にも折れそうなつかさの背中をさすった。つかさは、完全にしゃっくりあげていた。

「小西君、本当にいいの?」
つかさは、涙声でこう言った。

「だって、決めてたもん。中一の頃だったかな。つかさが病気になったって聞いたときにね。『ずっと俺が守ってやる』って。」
これは、本当だった。中一の頃、つかさが病気のことを聞かされて、部屋に閉じこもって、つかさのお母さんに呼び出されたとき。俺は決心していた。学校中、いや世界中を敵に回しても、つかさの味方になろうって。もっとも、この時はこういう結末になるとは思っても見なかったけど。

「いくら頑張っても、結婚できないんだよ。」
つかさは、しゃっくりあげながらこう言った。

「確かに、この国だと無理だろうけど、きっと結婚できる国があるよ。もしなかったら、なかった時に考えようよ。」
俺は、こう言った。

「赤ちゃんだって、無理だよ。」
つかさは、今にも折れそうな声でこう言った。

「やってみないと、わかんないよ。」
俺はこう言った。

「小西君・・・。」
つかさは、俺にぐっと抱きついて、そのまま大泣きを始めた。ぐっとぐっと抱きついて、離れなかった。

「俺・・・俺、何があっても、絶対につかさを離さないからな。」
俺も、つかさをぐっと抱きしめた。そして、本当に何時間もずっとつかさを抱きしめていた。つかさって、やっぱり女の子なんだな。だって、こんなに柔らかいし、あったかいし。もし小学生時代以前の記憶さえ消してしまえば、絶対つかさを女の子として好きになれるな。俺は、そう思った。

「小西君、・・・あたし小学生の頃の記憶を消したい。ねぇ、消させて。」
つかさは、うわごとのようにこう言った。この言葉は、つかさの家を出た後でも、俺の頭の中でこだましていた。

「小西君、・・・あたしも小西君が好き。」
俺の意識が段々遠くなった。またテレビの音が聞こえなくなった。次いで、つかさの部屋にあったはずの本棚が、テーブルがすうっと消えた。目の前のつかさは、嬉しさを堪えきれないのか、一筋の涙を流していた。今、つかさは天使の衣装を付けて、俺の目の前に降りてきた。周りからは、黄色い光が包んでいた。夢の中とも何とも言えないこの世界。俺は、何とも言えない気持ちになった。きっとつかさも、俺と同じ事を考えているかも知れない・・・

「お母さん、ごめんなさい。赤ちゃんは諦めて下さい。」
俺は、帰りがけにそうつぶやいていた。