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滋賀県でも有数の桜の名所、三井寺(「みついでら」ではなく「みいでら」と読みます)です。正確には、長等山園城寺と言います。大友皇子の息子の大友与多王が、壬申の乱に敗れた大友皇子の霊を弔うために 「田園城邑」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
天智・天武・持統天皇の吉代三帝の産湯に用いられたとされる霊泉が境内にあります。平安時代前期に、智証天皇がこの水を、天台儀式の法水に用いられたことが、三井寺の名前の由来になっているそうです。
場所は、京阪石山坂本線の三井寺駅から、歩いて5分ほどのところにあります。入山料(拝観料と言わずに入山料という)は、大人600円、中高生250円、小学生200円です。
京阪石山坂本線の三井寺駅からだと、一番近いのが総門です。すぐ近くに、琵琶湖疎水があります。
拝観受付で、入山料を払います。その先に、石段があります。
この石段を登ったあたりが、ちょうど桜がキレイなところだったりします。写真左側が観音堂、奥が微妙寺です。
観音堂へは、更に石段を登ります。
観音堂です。西国第14番札所でもあります。
ちょうどここが大津市でも高台に位置しています。写真左が百体観音堂、右が観月舞台です。
で、その高台から市街地を見ると、こんな感じ。遠くに琵琶湖が見えます。
毘沙門堂です。
で、その毘沙門堂の周辺です。桜がとってもキレイでした。
天台大師像です。
微妙寺です。三井寺五別所の一つで、正暦5年(994年)に創建されました。
ここから金堂の方向に歩いていきます。サクラがとってもキレイでした。
この先にあるのが、金堂です。
ここで左に曲がって、石段を登ります。石段の先には、唐院四脚門があります。唐院は、三井寺の開祖である知証大師の御廟として、三井寺の中でも最も清浄な聖域です。
唐院潅頂堂(かんじょうどう)です。唐院という名称は、知証大師が唐からもたらした経典・法具類を納めるために、清和天皇から御所の仁寿殿を下賜され、伝法潅頂の道場としたことに由来します。現在の潅頂堂は、慶長年間に再建されたものです。
唐院大師堂です。唐院の中心となる仏堂です。現在の大師堂は、豊臣秀吉による文禄4年(1595年)の開所後、いち早く慶長3年(1598年)に再建されています。
三重塔です。慶長6年(1601年)に徳川家康が三井寺に寄進しました。もとは奈良県吉野の比蘇寺(現在の世尊寺)の東搭で、豊臣秀吉が伏見城に移していたものを再度移設しました。高さは約25mあるそうです。
で、ここから一切経蔵へ行きます。桜がとってもキレイでした。
一切経蔵です。三井寺唯一の禅宗様建築です。元は山口県の国信寺(現在の洞春寺)の経蔵で、慶長7年(1602年)に毛利輝元によって移築されました。
零鐘堂(れいしょうどう)です。奈良時代に制作された、重要文化財の梵鐘を安置しています。この鐘は、弁慶が三井寺から奪って比叡山へと引きずり上げたという説話で知られていまして、「弁慶の引き摺り鐘」と言われています。
零鐘堂をバックに、桜を撮ってみました。
金堂のある境内に来ました。桜がとってもキレイでした。
金堂です。天台寺門宗の総本山、三井寺の本堂です。現在の金堂は、豊臣秀吉の正室、北政所によって慶長4年(1599年)に再建されたものです。
金堂をバックに、桜を撮ってみました。
鐘楼です。桜がとってもキレイでした。
石段を下って、釈迦堂へ行きます。
釈迦堂です。御所の清涼殿を移築したと伝えられていまして、多くの僧侶たちがいた、大寺院の食堂の様式を持った、室町時代の建築です。
で、この釈迦堂をバックに、桜を撮ってみました。
三井寺と言えば、大津でも有名な桜の名所です。ちょうど桜が満開でして、つい写真を撮り過ぎてしまいました。
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