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(注:この記事は、ジーン吉本が独断と偏見で記載したものです。従って、記事の正確性につきましては補償いたしかねます)
箱根といえば小田急ロマンスカー、小田急ロマンスカーのフラッグシップといえばVSEですね。ところが、小田急電鉄の広告やポスターによく登場したVSEが、何と2022年3月11日で定期列車としての運行を終了、2023年秋頃には引退するという、衝撃のニュースが飛び込んできました。
VSEが引退となる理由は、小田急電鉄によりますと「機器の老朽化」が理由です。しかし、VSEのデビューは2005年3月と、まだ17年しか経っていません。なので、まだ新しい電車という感じです。しかも、小田急ロマンスカーでもEXEの方がよっぽど古いんです。それなのに、EXEはリニューアルの上で今後も使用。VSEはリニューアルされることなく引退・・・て、一体なぜ?
ここで、ジーン吉本が考えられる理由を挙げてみます。
1.連接台車構造が仇となった
長らくロマンスカーは連接台車と言って、車両と車両の間に台車を設置する構造でした。それが、EXEで連接台車構造をやめ、展望車もやめたんです。しかし、EXEは残念ながら評判が芳しくなく、残念ながら小田急のイメージリーダーになれませんでした。そこで、VSEではロマンスカーの原点に戻って、連接台車構造と展望車を復活させたのです。
しかし、連接台車で現役なのはジーン吉本が知る限りでは、VSEの他には、長野電鉄の特急ゆけむりだけです。ただし、特急ゆけむりは旧小田急ロマンスカーHiSEでして、「なあんだ、結局小田急ロマンスカーじゃん」というわけです。
で、VSEは連接構造で、しかもカーブ通過時の乗り心地向上のために車体傾斜構造をつけるという、特殊構造なのです。この特殊な構造が仇となって、保守部品が入手できなくなった可能性があるのです。
2.ホームドアに対応できない
前述のとおり、VSEは連接台車のため、普通の車両よりも車体が短いのです。このため、普通の車両と扉の位置を合わせられないのです。そうすると、ホームドアを設置するときに問題になるんです。
ちなみに、これに関しては「ホームドアの位置はクリアできる」と小田急電鉄は言っています。しかし、「簡単にクリアできる」のか、「どうにかクリアできる」のかは不明で、VSEを引退させたらホームドア設置コストを下げられるという可能性はあるかもしれません。
3.走る喫茶室が無駄になった
かつてロマンスカーは、「走る喫茶室」とも呼ばれるサービスを提供していました。車内にビュッフェを設置し、座席で飲み物やお弁当を注文すれば、そのまま座席まで持ってきてくれるサービスでした。それがいつの間にかなくなったのですが、VSEで「ロマンスカーカフェ」として復活したのです。
しかし、このサービスは2016年で終了。そこへ新型コロナの影響で、車内販売も終了。こうなると、車内の調理スペースがデッドスペースになってしまうんです。もちろん、調理スペースを撤去して、座席を増やすという手もあるんですけどね。
4.そもそも2本しかない
前述のとおり、VSEはEXEの後継として製造されました。製造にあたっては、EXEが小田急のイメージリーダーになりきれなかった反省から、かなりの意欲作となりました。お客さんから好評だったのですが、なぜか2編成しか作られず、あとはMSEやGSEが製造されました。
・・・と、ここで新型コロナです。小田急ロマンスカーを減便するとなると、車両が余ってしまいます。そこで・・・
「そうだ! VSEを引退させればいいじゃないか! どうせ2本しかないんだし」
・・・というわけで、お金をかけてVSEを更新するぐらいだったら、そのまま引退させた方がいい、ということになってしまったのはないか・・・というのがジーン吉本の推測です。
では、製造から20年も持たずに引退した列車って、他にはないんですかといいますと、あります。それが、京阪電鉄の3000系です。
ロマンスカーといえば小田急というイメージが強いですが、元祖ロマンスカーといえば京阪電車です。3000系は京阪電車の特急型車両で、1976年にデビューしました。京阪発の冷房付き特急電車ということで、登場時にはかなりの人気でした。なにせ、特急に乗るのにわざわざ3000系が来るのを待つ人がいたぐらいでした。
しかし、1989年に鴨東線が開業し、これまで三条行きだった特急が、出町柳行きになりました。その結果、特急電車が足りなくなり、8000系がデビューします。8000系といえば、これが無料特急とは思えないぐらいのハイグレードな車両です。京阪電鉄は8000系は最低限の本数でいくつもりだったのですが、特急に乗るのにわざわざ8000系が来るのを待ってから乗る人がいるという状態でして。結局3000系を引退させて、8000系に置き換えることになりました。
かくして、3000系は先輩を駆逐したのと同じ理由で、自分が引退に追い込まれたというわけです。1995年には大半の車両が引退したので、19年ぐらいしか活躍できなかったというわけです。
ちなみに、3000系は富山地方鉄道に行きまして、10030形として活躍することになりました。塗分けがかぼちゃみたいになりましたが、(記事執筆時点で)まだまだ元気に活躍しています。
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