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金沢にある3つの茶屋街の一つ、主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)です。茶屋街自体が浅野川の川沿いにあります。
場所は、金沢駅から北鉄バスか北鉄バスか西日本JRバスに乗り、橋場町バス停を降りてすぐのところ。ひがし茶屋街のすぐ近くにあります。
茶屋街というのは、文政3年(1820年)に加賀藩の許しが出て、茶屋町が開かれたのが始まりです。その前に、金沢城の入り口にあたる、浅野川大橋と犀川大橋の近くにお茶屋が立ち並んでいて、ここが茶屋街になったというわけです。
浅野川大橋の近くにあるのがひがし茶屋街と主計町茶屋街、犀川大橋の近くにあるのがにし茶屋街です。写真は、浅野川大橋です。写真手前に主計町茶屋街、写真奥にひがし茶屋街があります。
浅野川の川岸に沿って、茶屋町建築様式の建物がずらりと並びます。茶屋町建築様式の建物の特徴は、茶屋街の建物の特徴は、1階が出格子、2階が座敷になっていて、吹き放しの縁側になっている点です。
ひがし茶屋街は飲食店や雑貨店が多かったのですが、主計町茶屋街は料亭や旅館が多く見受けられます。
浅野川沿いを歩いていくと、何やら橋が見えます。中の橋です。
中の橋のすぐ近くに、主計町緑水苑があります。
このあたりにには加賀藩士の富田主計の屋敷があったことから、主計町と呼ばれていました。現在でも、江戸時代後期の面影を残した街並みが、江戸情緒たっぷりでステキです。
道幅は、車ややっと通れるぐらいの幅でして。やはり江戸時代は車が通ることを考えていなかったみたいです。
浅野川沿いから一本隣の通りに入りました。ここは更に道幅が狭くて、人はすれ違えるものの、車はムリですね。
細い路地の途中に、お寺があります。源法院です。弘法大師の霊場で、本山は高野山真言宗金剛峯寺です。飛脚の祈願所として繁栄し、旅行者が道中の無事を願ってお参りしていたそうです。
先ほどと逆方向を撮影してみました。
茶屋というのは隠語で、茶屋街というのは現代でいう歓楽街のことです。天保2年(1832年)に一度廃止されました。それが、慶応3年(1867年)に再び認められました。現在でも、夕方になりますと芸妓衆が行きかう姿が見られます。
さらに奥に進むと、浅野川沿いの道に出ることができます。人気があるのがひがし茶屋街ですが、情緒たっぷりなのが主計町茶屋街なのかなと思います。
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