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金沢にある3つの茶屋街の一つ、ひがし茶屋街です。3つの茶屋街のうち、ここが一番広くて、それ故一番人気があり、多くの観光客が訪れます。
場所は、金沢駅から北鉄バスか西日本JRバスに乗り、橋場町バス停を降りてすぐのところです。
一番わかりやすいのは、金沢駅から金沢周遊バスに乗る。右回りのバスに乗ると早いです。
近隣には、主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)があるので、併せて行ってみるといいでしょう。
先ほどの橋場町バス停を降りたら後ろの方へ歩き、ひがし茶屋街交差点を右に曲がると、その先がひがし茶屋街です。
茶屋街というのは、文政3年(1820年)に加賀藩の許しが出て、茶屋町が開かれたのが始まりです。その前に、金沢城の入り口にあたる、浅野川大橋と犀川大橋の近くにお茶屋が立ち並んでいて、ここが茶屋街になったというわけです。
浅野川大橋の近くにあるのがひがし茶屋街と主計町茶屋街、犀川大橋の近くにあるのがにし茶屋街です。
ひがし茶屋街の中心部に行く手前に、お寺があります。円長寺です。
越前国藤島村(現在の福井県福井市)の超願寺の僧、道清によって、天正14年(1586年)に大鋸町に創建したのが始まりです。その後、慶長元年(1596年)にここへ建立されました。
この辺りが、ひがし茶屋街の中心部です。写真ほぼ真ん中にある柳の木の下で、記念撮影する観光客が多いです。
ひがし茶屋街の中心部にはこの他、自由軒という洋食屋さんがあります。
自由軒の周辺は、こんな感じです。
ここが、ひがし茶屋街のメインストリートです。先ほどの柳の木のあるところを右に曲がったところです。
茶屋街の建物の特徴は、1階が出格子、2階が座敷になっていて、吹き放しの縁側になっている点です。茶屋街にはこの建物がずらりと並んでして、しかも建物自体の高さも、1階・2階の高さもほぼ同じなんです。
これは江戸時代後期の茶屋町の特徴で、現代でいう歓楽街なのですが、江戸情緒たっぷりの街並みが、観光客に人気です。
ひがし茶屋街のメインストリートは、幅が広めです・・・が、車2台がぎりぎりすれ違えるかどうか・・・です。江戸時代の街並みなので、車が通ることを前提としていない・・・というわけですね。
懐華樓です。江戸時代後期の茶屋町建築様式の建物としては、ひがし茶屋街周辺では最も大きく、お茶室用の入り口や土蔵も備えています。このため、歴史的価値の高い建造物として、金沢市指定保存建造物に指定されています。
前述の通り、茶屋街というのは現代でいう歓楽街でして。天保2年(1832年)に一度廃止されました。それが、慶応3年(1867年)に再び認められました。
現在でも、夕方になりますと芸妓衆が行きかう姿が見られます。また、飲食店や雑貨店として営業している建物もあります。
メインストリートから1本外れた通りに行ってみます。
この界隈のお店と言えば、飲食店と言ってもスイーツが楽しめる和カフェや、和風ランチをいただけるお店が多いようです。
メインストリートから1本外れた通りです。車が通るのもやっとの道幅です。
こちらも、和カフェでしょうか。
志摩です。文政3年(1820年)に建てられました。2階にある座敷、つまり客間を広く取り、通りに面して縁側を設けているのが特徴です。茶室が赤い漆塗りになっている、全国でも珍しい茶屋建築です。平成15年(2003年)に国の重要文化財に指定されました。
軒下に、燕の巣がありました。雛もだいぶ大きくなりました。
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