会津若松の観光名所の一つ、若松城です。会津若松にあるので、会津若松城と呼ばれるケースがあります。また、地元では鶴ヶ城と呼ばれるケースが多いみたいです。
会津若松駅から30分ほど歩けば着きますが、遠いのでバスで行くことをお勧めします。まちなか周遊バスのはいからさんか、あかべぇに乗って、鶴ヶ城北口か鶴ヶ城三の丸口で降ります。はいからさんで約20分、あかべぇ(はいからさんと逆回りに走る)で約30分ぐらいです。
写真は、三の丸口です。鶴ヶ城三の丸口バス停のほぼお隣にあります。
三の丸口から入った先に、広~い芝生があります。二ノ丸です。
二ノ丸のお隣にお堀がありまして、赤い橋があります。廊下橋です。
1384年に蘆名直盛が館、のちの黒川城を作ったのが始まりとされ、代々蘆名氏が城主でした。ところが、伊達政宗が蘆名氏を滅ぼし、本拠を移しました。その後、豊臣秀吉に会津を召し上げられ、変わって蒲生氏郷が入りました。
蒲生氏郷が町の名前を黒川から若松に改め、1593年(文禄2年)に天守が完成。名前が鶴ヶ城に改められました。以降、加藤嘉明→加藤明成の居城となりましたが、1643年(寛永20年)に改易され保科正之が入城しました。以降、会津松平家(保科氏から改名)の居城になりました。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争の中の一つである、会津戦争で会津勢が鶴ヶ城に立てこもり、1カ月間籠城しました。板垣退助の降伏勧告を受諾して、9月22日(太陽暦11月6日)に開城しました。
本丸埋門(ほんまるうずみもん)です。築城当時は表門でしたが、加藤時代に改修され、裏門になりました。
天守閣です。後に再建されたものです。このためか、史跡の名前としては若松城跡で、天守閣の周辺は鶴ヶ城城址公園として整備されています。
干飯櫓です。天守閣とは長い廊下でつながっています。
天守閣の中は、天守閣博物館となっています。開場時間は8:30~17:00(最終入場16:30)で、入館料は茶室麟閣共通券が520円、大人410円、小人150円です。ジーン吉本も、中に入ってみることにします。
会津若松市内は高い建物があんまりないので、天守閣からの眺めはサイコーにいいです。こちらは、天守閣の北側です。
これは北東側だったと思います。(間違っていたらごめんなさい)
でもって、こちらが北西側だったと思います。(間違っていたらごめんなさい)
こちらが東側でしょうか。
天守閣からは、(当然ですが)干飯櫓も見えます。
こちらが本丸です。天守閣のすぐ前にあります。
改めまして、天守閣です。現在の天守は、1965年(昭和40年)に外観復興再建されたものです。
御三階跡です。言われなかったら芝生にしか見えないですね。
鉄門です。こちらが本丸につながる表門です。
ここに見られる石垣は、加藤時代に整備された石垣だそうです。この桝形は、敵を三方から攻撃できる利点があります。
椿坂です。その先に桝形があり、さらにその先に鉄門があります。
北出丸大手門です。内部を見透かされないよう、曲がり角が設けられています。北出丸大手門の近くに、鶴ヶ城北口バス停があります。
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