この記事の写真は、写真ACからダウンロードできます
長崎の観光名所の一つ、グラバー園です。ここには旧グラバー邸をはじめ、江戸時代後期から明治時代にかけて建てられた世界遺産や、国の重要文化財となっている歴史的建造物があります。
場所は大浦天主堂のすぐ裏、小高い丘にあります。路面電車の最寄り電停は、大浦天主堂です。以前の電停名は大浦天主堂下だったのですが、大浦天主堂になりました。しかし、電停の隣りの交差点の名前は大浦天主堂下でして、名前を変えましたと言われてもビミョーです。
注意点として、長崎駅前電停からは1本では行くことができません。新地中華街か市役所で乗り換えです。
前述の通り、グラバー園は丘の上にあります。このため、入り口を入るとすぐ、階段とエスカレーターがあります。で・・・
「本日のお越し、ありがとうございます。」
・・・という独特のアナウンスが流れています。
エスカレーターの先には、電話ボックスがあります。で、この電話ボックスが何ともレトロ。扉には、「自動電話」と書いてあります。
つまり、大昔は電話と言えば受話器を上げて、交換手さんに繋いでもらうのが当たり前だったのです。その必要がないので、自動電話というわけですね。
開園時間は8:00~18:00です。入園料は大人620円、高校生310円、小中学生180円です。クレジットカードでも支払いできます。なお、JAF会員は100円割引です。
入園料を支払って先に進むと、またエスカレーターがあります。
更にその先にも、エスカレーターがあります。どうやら、入園者はまず一番上に上って、順に下へ歩いて降りてくださいという感じみたいです。
なお、エスカレーターと言ってもスロープ状になっているので、車いすでもそのまま乗れそうです。
旧三菱第2ドックハウスです。三菱造船所の第2ドックが建設された際に、外国人乗組員の宿舎として建設された建物です。1972年(昭和47年)にグラバー園に移築されました。
旧三菱第2ドックハウスからの眺めは、こんな感じ。本当はその下に長崎市内が見えるのですが、あいにくの雨で、全然景色が見えませんでした。
旧長崎高商表門衛所です。長崎高等商業学校というのは、現在の長崎大学経済学部です。東京高商(一橋大)、神戸高商(神戸大)に次ぐ高商として1905年(明治38年)に設立されました。
旧ウォーカー住宅です。1898年(明治31年)に「R.N.ウォーカー商会」を設立し、貿易事業を幅広く手掛けたロバート・ネール・ウォーカーの次男、ロバート2世の邸宅と言われています。グラバー園には、1974年(昭和49年)に移築されました。
旧長崎地方裁判所長官舎です。長崎控訴裁判所(現在の高等裁判所)の官舎として、1883年(明治16年)に建てられました。貴重な明治時代の建築として、1979年(昭和54年)に洋風の意匠がある部分が移築されました。
旧自由亭です。日本人初の西洋料理店のシェフ、草野丈吉のレストランです。このため、玄関には草野丈吉の銅像があります。現在では、ここがグラバー園のカフェになっています。
旧自由亭の先は庭園のようになっていて、テーブルと椅子が並んでいます。なんともエキゾチックな感じですね。
旧リンガー住宅です。1865年(慶応元年)にグラバー商会に招かれ、1868年(明治元年)に「ホーム・リンガー商会」を立ち上げ、グラバー商会の茶葉貿易を引き継いだ、フレデリック・リンガーの旧宅です。この建物は、1868年(明治元年)に建てられたものと推定されています。
旧スチイル記念学校です。1887年(明治20年)に開校しました。学校の名前は、当時アメリカのダッチ・レフォームド教会の外国伝道局長であったスティール博士の名前にちなんだものです。英語教育と独特の学風が特徴でした。この建物は、1973年(昭和48年)にグラバー園に移築されたものです。
現存するわが国最古の木造洋風建築、旧グラバー住宅です。1863年(文久3年)に建てられまして、トーマス・グラバーが親子2代に渡って暮らしたと言われている邸宅です。
トーマス・グラバーは1859年(安政6年)に長崎に来航して、1862年(文久2年)にグラバー商会を設立します。その後、大阪造幣局の開設や、ジャパン・ブルワリーカンパニー(現在のキリンビール)の設立にも尽力しました。
トーマス・グラバーの死後は、息子の倉場富三郎の邸宅になりました。そして1950年(昭和32年)に、長崎市へ寄贈されました。
グラバー園の出口の近くに、長崎伝統芸能館があります。
館内撮影OKとのことで、撮影させていただきました。ここには、長崎くんちの奉納踊りに関する展示がありました。
よろしかったら、写真素材ダウンロードサイト【写真AC】にもお越しくださいませ。当サイトの写真の一部を配布していまして、商用利用も可能です