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壇上伽藍(だんじょうがらん)とは、奥之院と並ぶ、高野山の二大聖地のひとつで、弘法大師が最初に整備に着手した場所です。金堂をはじめとして、いくつもの建造物が立ち並びます。
南海りんかんバスの最寄りバス停は、金堂前です。まずは、中門がお出迎えです。
総本山金剛峯寺と言うと、金剛峯寺だけではなく、高野山全体を表します。高野山は一山境内地、つまり山全体が境内でありお寺ということなんですね。で、その一山の本堂が、この金堂です。高野山最古の建造物でした。現在の建物は昭和9年(1934年)に再建されたものです。
六角経蔵です。平治元年(1159年)に建てられました。紺紙金泥一切経を納置しています。ただし、重要文化財の一切経は霊宝館に移されました。
山王院です。御社(明神社)の拝殿として建てられました。
西塔(さいとう)です。弘法大師の遺志に従って、第二世真然大徳が仁和3年(887年)に建立されました。現在の西塔は、天保5年(1834年)に再建されたものです。
孔雀堂です。後鳥羽法皇の御願いによって正治2年(1200年)に落慶氏、仏師快慶作の孔雀明王を安置しました。現在の建物は、昭和59年(1984年)に再建されたものです。
准胝堂(じゅんていどう)です。名前は、御本尊の准胝観音に由来しています。現在の建物は、明治16年(1883年)に再建されたものです。
御影堂(みえどう)です。弘法大師の持仏堂(じぶつどう)として創建されました。現在の建物は、弘化4年(1847年)に再建されたものです。
根本大塔です。真言密教の根本道場のシンボルとして建てられました。日本で最初の多宝搭です。現在の塔は昭和12年(1937年)の、空海入定1100年を記念して再建されたものです。
大塔の鐘です。古くから高野四郎の名称で親しまれてきた、高野山を代表する名鐘です。現在の銅鐘は天文16年(1547年)に再興されたものです。現在も午前4時、午後1時、午後6時(冬季は午後5時)、午後9時、午後11時の1日5回鳴ります。
愛染堂です。後醍醐天皇の御願によって建武元年(1334年)に建てられました。本尊は愛染明王です。現在の建物は、天保14年(1843年)に再建されました。
不動堂です。言い伝えによれば、建久8年(1197年)に鳥羽天皇の皇女院の御願により、行勝上人が建てたといわれています。鎌倉時代の和様建築で、正確な建築年代は不明ですが、仏壇の勾欄や羽目板の格狭間の形などから、鎌倉時代後期と考えられています。
不動堂の前には、蓮池が広がります。
大会堂(だいえどう)です。安元元年(1175年)に創建されました。壇上伽藍にて大法会が催される時、大人数を収容できるための集会所として使用されることから、大会堂と呼ばれています。
三昧堂(さんまいどう)です。西行法師が治承元年(1177年)に、大会堂と共に移築造営しました。現在の銅は、天保14年(1843年)の大火の後に再建されました。
東塔です。白河法皇の御願により大治2年(1127年)に建てられました。中尊は尊勝仏頂で、脇仏は不動と降三世両明王です。現在の塔は、昭和58年(1983年)に再建されたものです。
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